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代表作はそれではないでしょう

 少し前に、大島弓子さんのマンガ原作の映画、「 グーグーだって猫である 」が封切られて話題になりましたが、 昔、彼女のマンガのコアなファンだった者としては、彼女の代表作はそれじゃないでしょうという気がする。彼女の作品のあの独特の雰囲気を映画で表現するのは難しいと思うけれど、「グーグー」は、私は余技的作品だと思う。映画化するのはそれではないでしょうと思う。

 ひさしぶりの更新なので、今回は、ご挨拶程度の記事ですが。

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御茶屋峠(「バナナブレッドのプディング」より)~少女の心に住む理想の男性

 金城武演じる「不夜城」の劉健一のヘアスタイルを見たときに、デジャヴ感におそわれた。” 「バナナブレッドのプディング」の御茶屋峠が本当にいた!” と。 と言っても、大島弓子ファン以外にはわからないだろうけれど、私が本当に少女だった頃にバイブルのように読んでいた、少女マンガ家、大島弓子さんの代表作(は、ほかにもいっぱいあるのですが、彼女の作風のターニングポイントとなった作品という意味ではこれかな。)「バナナブレッドのプディング」の登場人物、(主人公衣良の友人、さえ子の兄の美形でプレイボーイでナイスガイ、御茶屋峠のヘアスタイルが、うしろでひとつにたばねたロングヘアだったのです。
 
 この物語は、主人公衣良の、
  
   わたしは三浦衣良
   イライラの衣良と申せましょう

 というちょっと変わった自己紹介で始まります。そして、兄の御茶屋峠に、衣良の精神に危うさを感じた彼女の友人さえ子が、衣良を助けるために、衣良の理想の男性像=”世間にうしろめたさを感じている男色家の男性” を装って、彼女との偽装結婚(=もちろん性的関係はなし)を頼むことから話が始まるのですが、( 付いてきてますか?みなさん )、御茶屋峠は、主人公衣良(少女)の性についてのとまどいの表現に、(さえ子と遊びで化粧した顔を峠に見られて、「 ヌードよりも露骨 」ととじこもってしまったりのような )「 おれははじめからおとな相手にしてたから、ああいう心理にでくわすととまどってしまう 」と言っているようにおとなの男性で、典型的な遊び人なのですが、最初は、さえ子に頼まれてしぶしぶお芝居をして、はやくこの束縛から逃れたいと思っていた峠が、第2話のラストで、衣良が” 崖からおちないための ” 彼女の ”ライナスの毛布 ” になることを決意します。そんなこんなで(わかるかなあ・・・)、物語は、峠の(男色の)恋人役をさえ子に依頼された、峠がコーチをしているサッカー部の部長、奥上大地(本物の男色家)や、奥上の恋人で峠の大学の教授、新潟健一とかが登場して、奥上は芝居が元で、峠のことが好きになってしまい、さえ子はそんな奥上の気持ちを知りながら奥上に片思い、教授も峠と奥上の芝居を目撃して、峠をライバルと勘違いし、峠に嫉妬するなどと、物語は一方通行のベクトルだらけのまま、衣良も峠が芝居をしていたことに気付いて、本物の男色家、新潟教授と同居することになるという意外な展開を見せて、物語は混乱したまま最終話になだれこんでいき、一体作者は、どう収拾するのだろうという感じだったのですが、衣良の精神の混乱がピークに達した時に、クライマックスの事件が起こり、物語は唐突な感じで終わりを告げます。峠の衣良に対する、静かな、兄のような、父親のような、神様のような ”愛” のことばによって。(他の一方通行の愛にはなんの結論も示されてはいません。物語のラストは、結婚した衣良の姉、沙良の母への手紙で終わってます。 ここまで、読まれて興味を持たれた方は読んでみてください。)最初のほうの峠のように、少女の感性にとまどわれるでしょうか・・・。最近は、衣良のように悩みを持つこともなく、一足跳びに、おとなの世界に足を踏み入れてしまう少女のほうが多いので、衣良の抱えていたような悩みは少女にさえ理解されなくなっているような気もしますが。

 ところで、衣良の理想の男性像がなぜ、「 世間にうしろめたさを感じている男色家 」なのかについて、蛇足とは思いますが、ちょっと説明しておきます。男色家=女性に興味がない=自分に危害を及ぼさない、という意味で、少女にとって安心できる存在です。そして、「世間にうしろめたさを感じている」というのは、自分(衣良)の助け(=衣良との偽装結婚という世間へのカモフラージュ)を必要としている存在であることで、だからそれが衣良の奇異な理想の男性の条件の意味なのです。(わかりますよね?)

 この作品の御茶屋峠像は、この作品以前の大島作品のなかの、たとえば、「いちご物語」の主人公、林太郎の兄、森太郎にその原型が見られる。純粋な主人公たちを、少しおとなの視線で見守る存在として。
 で、私が、当時思ったことは、「 御茶屋峠のような男性は現実にはいない 」ということだった。そしてまあ、その峠のヘアスタイルとルックスが「不夜城」の金城武に似ているというだけで、劉健一と御茶屋峠は何の関連もないのですが・・・。作中で、衣良が峠のことをこころのなかで、 「神さま」 と呼んだあとで、「いけない!!神さまと思っちゃいけない 」と葛藤する場面がありますが、当時の私の理想の男性でもあった、御茶屋峠というのは、ある意味、女性のこころの中にしか存在しない人物なのかもしれません。(少女を見守るという点では「ハウル」にも似ていますが。)
 

 そして、この作品後、彼女の作品は、少女マンガの限界を超えて、現代の人間の問題を扱った短編の傑作を生み出していくのですが、なかでも、わたしが一番すきだったのは「 ダリアの帯 」という作品です。主人公は只野一郎 (ただのいちろう) と只野黄菜 (ただのきいな) という(結婚3年目の微妙な時期にさしかかった)夫婦です。物語は、妻の黄菜が流産してしまい、少しずつ精神がこわれていくことから始まります。(この黄菜の精神のこわれていくようすと、それに対する一郎の心理の描き方は、ヘタな純文学作品などよりもうまいと思います。)興味のある方は読まれてみてください。


 

バナナブレッドのプディング
大島 弓子著
白泉社 (1995.9)
通常2-3日以内に発送します。

 

大島弓子選集 第10巻
大島 弓子著
朝日ソノラマ (1992)
通常2-3日以内に発送します。

 

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