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~長新太さんのことつれづれ~

 長新太さんの訃報を聞いてから、長さんの絵本や著作などをあらためて見直したりしてみて感じたことをつれづれに書いてみようと思う。

 2002年11月21日発行の「別冊太陽 絵本の作家たちⅠ」のインタビューより、少し引用してみます。

 「ナンセンスだからといって、ひとりよがりじゃいけない」と言った後、絵本の表現の普遍性について聞かれて、

 ここより落ちると非常に安っぽくなっちゃうし、逆に上へ行くとひとりよがりになる、そういう非常に細い境界みたいなのがあって。そのへんで、ぎりぎりやってるのがいいんじゃないかしらね。

 表現の課程での変化についての質問に対して

 一番はじめ考える時は、当然これは通過しないだろうっていう、かなり過激なことを考えます。たとえば原石というのがあって、それをだんだん研磨して宝石にすることを考えると、初めの原石がものすごくいいものじゃないといけないということがあって。その原石にあたるのが非常に過激なものであって、それをだんだんけずってく段階で、さっき言った普遍性みたいなものがちゃんと出てきて、それで収まるんですけどね。初めっからある程度の宝石の形になってるものから始めると、かなりゆるいものができちゃうって感じがある。ただ、ほんとの宝石になるちょっと前の段階で出したいと思うこともある。でもそれは自費出版ならいいけど、プロとしやる場合はちょっとよくないんじゃないかなあ、と思ったりしますけど。       
                              
                         (「別冊太陽 絵本の作家たちⅠ」 長新太インタビューより)

 この辺り、長新太さんの創作のスタンスが、かなりよくわかる発言だと思う。創作における「非常に細い境界」への人一倍のこだわりをその作品の全てから受ける。そして、「ほんとの宝石になるちょっと前の段階で出したいと思うこともある。」という発言も、彼の作品から受ける”引き算の魅力”に通じる発言だと思う。長新太さんの影響を受けた作家は多いと思うが、長新太さんのようにその表現から過激さと同時にストイックさと洒脱さとでもいったものを感じさせる人は余りいない。それはこれらの発言に垣間見られる彼の表現や絵への拘りによるものだという気がする。そこから、あの過激だけれどどこか観る者に静謐ささえ感じさせる絵が生まれていたのだと思う。そのようなストイックさ、ダンディズムとでも呼びたいような姿勢は、若い世代からはなかなか感じられない資質だ。 
 
 ところで、長新太さんの作品によく登場するもののひとつにヘビがあるが、そんなヘビの出てくる作品のなかでも、「かえるのひこうせん」のヘビは私にとって一番インパクトが強い。なんかこのヘビは性質の悪さ加減が際だっている。そしてヘビ自身はその自分の性質の悪さに気付いていないというところが余計に始末に終えない。この作品は、たぶん本人の経験が反映されているような感じで、長新太さんの作品中では比較的分かりやすい部類に入ると思うが、そんな非常に困った性質のひと(ヘビ)を描いてもユーモアを持って描くところが彼の真骨頂だと思う。そしてそのヘビに泣かされるかえるくんには本当に同情せずにはいられなくなる。

 次は、”マンガどうわ”と題された「なんじゃもんじゃ博士」(ハラハラ編、ドキドキ編)について。(福音館書店の雑誌「母の友」に1985年の4月号から2002年12月号まで掲載された作品を二冊にまとめたものです。)なんじゃもんじゃ博士と博士の分身のようなゾウアザラシの奇想天外な冒険の旅の物語が2ページずつ完結の”マンガどうわ”になって、これぞ長新太ワールドと言うしかない世界です。私たちは、 「なんじゃこりゃー!」と言いながらただただそのふしぎな世界に遊べばいいだけなのです。その”ナンセンスロードムービー”とでも呼びたいような作品を読んでいるうちに、自然と癒されるような感じを受けるのは、あのかなりの拘りから生まれていた絵によるところが大きいと思います。

 一体、あのような長さんの表現の資質はどこから生まれたものだろうか。徹底したナンセンスへの拘りと、あの詩情あふれるユーモアは。
 私は、その拘りは上記に引用したインタビューの最初で語られている戦争の体験から生まれてきたもののように思う。戦争という、愚かさ、悲惨さ、無意味さの過剰を知っているからこそ、あの表現における「非常に細い境界」をはずれないバランス感覚や、生涯を通してのナンセンスへの拘りが生まれたのではないだろうか。過激さと静謐さ、繊細さが同居している不思議な絵を見ているとそんなことを考えさせられる。

 

かえるのひこうせん
長 新太 / 長 新太さく / 長 新太さく
佼成出版社 (1979.3)
通常2??3日以内に発送します。

 
なんじゃもんじゃ博士 全2巻

福音館書店 (N/A)
この本は現在お取り扱いできません。

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シンプルな絵本~「あおくんときいろちゃん」「ペツェッティーノ」

 最近、次男に寝る前に読む絵本を私が三冊くらい選んだ中から、「どれにする?」と聞いたところ、彼が選んだのはレオ・レオニの「あおくんときいろちゃん」だった。以前に、シンプルさの極致のようなこの絵本が、子どもにわかってもらえるかなあと思って読んだことがあったが、意外にすんなりと気に入ってもらえたので、子どものよいものをわかる能力をあなどってはいけないというのが、私のうれしい感想だったのですが。(勿論、日々の生活では、「それ何?」って言いたいようなアニメや漫画もしっかり見たりしていますが、そういう時は横で、「お母さんあんまりこういうのは好きじゃないなー」と呟いたりして抵抗しているのですが・・。)
 この絵本は、レオ・レオニがアトリエに訪れた孫のために、画用紙に絵具で即興で作ったおはなしが元になっています。絵具で描かれた青いまるのあおくんと、黄色いまるのきいろちゃんは、いちばんのなかよしですが、あるひのこと、まちかどでばったりであったのがうれしくてうれしくて、ふたりともみどりになってしまうというおはなしです。このシンプルさ、シンプルだけど、それが絵本になって私たちに差し出されると、そのシンプルさで表現されたものの深さに、私たちは驚き、静かな感動を覚えます。

 「あおくんときいろちゃん」を少し複雑にしたようなおはなしに、 「ペツェッティーノ」(レオ・レオニ) があります。このおはなしは、副題に「じぶんを みつけた ぶぶんひんの はなし」とついているように、なかなか哲学的な内容です。ちいさいペツェッティーノは、じぶんのことを、おおきなだれかのぶぶんひんなんだろうと思って、そのことを確かめようとたびにでますが、だれもペツェッティーノのことを、じぶんのぶぶんひんだとはいってくれません。さいごにであった、かしこいやつにいわれていった「こなごなじま」で、かれはつかれはてて、こなごなになってしまいます。そして、やっとペツェッティーノにもわかりました・・・

 一時期、レオ・レオニの絵本ばかり集めていたことがあって、(たぶんわが家の絵本のなかで、レオ・レオニの絵本は一番冊数が多い、)そんな彼の絵本のなかでも、この「ペツェッティーノ」は絵も可愛いわけではないし、主人公のペツェッティーノはオレンジ色の角が丸い四角に描かれてますし、彼がであういろいろなやつたちも、いろいろな色のちいさい四角の集合体として描かれているだけです。この絵本はおもしろいけれど、子どもには手に取ってもらえないだろうと思った絵本でした。だから、たくさんある彼の絵本の中から、子どもがこの絵本を読んでと言って選んだときは、正直びっくりしました。「ほんとうに これでいいの?」と念を押したくらいです。内心ではとてもうれしかったのですが。

 レオ・レオニは、「スイミー」が小学校の国語の教科書に取り上げられたりして、その名前は日本でもよく知られていると思いますが、彼のたくさんの著作の中から、子どもが選ぶ絵本を見てみると、案外、親が望むちょっと教訓的な内容の絵本や、かわいい絵のとっつきやすい絵本より、こういうシンプルでも深く考えさせられる絵本が選ばれるのを見ると、絵本の表現ということについて、深く考えさせられます。

 ※コメントご感想お待ちしています。掲示板はこちらです。

 

あおくんときいろちゃん
藤田 圭雄 / Lionni Leo
至光社 (1979)
通常24時間以内に発送します。

 
 
ペツェッティーノ
谷川 俊太郎 / 〔谷川 俊太郎著〕 / 谷川 俊太郎著 / Lionni Leo
好学社 (1978)
通常2~3日以内に発送します。

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長新太さんのご冥福をお祈りします

 絵本作家の長新太さんが、25日にお亡くなりになったそうです。悪いということは知っていたのですか、こんなに急に逝かれるとは・・。ショックです。日本の絵本界にとってかけがえの無い存在だったと思います。
 私の、長新太さんに対する気持ちは、去年の12月20日の記事「前衛絵本作家 長新太!」に書かせてもらいました。拙文ですが、読んで頂けたら幸いです。
 訃報を伝える新聞記事によると、病床で最後まで手がけられていた絵本「ごろごろ にゃーん」の続編が、来年4月に刊行される予定だそうです。
ご冥福をお祈りします。

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ちいさい頃によく読んだ絵本~ベストスリー

 子どもがちいさい頃によく読んだ本を紹介しようと思う。

 我が家は、男の子二人ですが、性格がかなり違うので、好みの絵本もかなり違っていて、上の子は「おばけもの」が好きで、「ねないこだれだ」のおばけに始まり、せなけいこの「おばけえほんシリーズ」などを好んで選んでいた。下の方は、乗り物系の絵本が好きで、歯医者さんに置いてあったロイス・レンスキーの「ちいさいきかんしゃ」という絵本を治療に行くたびに読まされたのを覚えている。

 今回は、ふたりともに人気のあった絵本を三冊紹介することにします。
 まず、誰でもご存知と思います超有名ベストセラー絵本ですが、エリック=カールの「はらぺこあおむし」(偕成社)です。これは二人とも夢中になりました。絵本のぼろぼろ具合が読んだ回数の多さを物語っています。子どもたちの大好きな食べ物の話ですし、何よりも、最後にさなぎからちょうちょになるところで、子どもたちの顔がぱっと輝いて、読み終わると必ず「もう一回」と何度も何度も読まされたのを覚えています。そして、子どもって、絵本に食べ物が出てくると、必ず食べる真似をすると思うのですが、この絵本でも、どようびに、あおむしは見開きページいっぱいに描かれた食べ物を全部食べておなかがいたくなるのですが、子どもたちも、その食べ物のページが大好きで、毎回そこに描かれた食べ物を全部食べる真似をしていたのを思い出します。絵本は次のページで、みどりのはっぱをたべてあおむしのおなかのぐあいがなおるというストーリーになっているのですが、ヘンゼルとグレーテルがお菓子の家にあこがれるように、さなぎから蝶になるところと同じくらいに、食べ物のページを目を輝かせて見ていたのを思い出します。

 次は、もう少し長い文章の絵本、ウクライナ民話の「てぶくろ」(福音館書店)です。これもかなり、読んだ痕跡が残っています。おじいさんがもりにおとしたてぶくろに、ねずみ、かえる、うさぎ、きつね、おおかみ、いのしし、くままでがつぎつぎとやってきて暮らしだすという、気難しいひとが聞いたら、うさぎは許すとして、きつねからは論理的に無理だろうと文句を言われそうな話なのですが、同じやりとりが繰り返されるリフレインの醸し出す面白さを子どもたちも楽しんでいたようです。あとから来た動物のキャラクターに合わせて、同じことを訪ねるのにも言い方を変えていたり(読んでいるほうも楽しいです)、中に住んでいると答えるメンバーが一匹ずつ増えていったりというのが思いのほか子どもたちには楽しいようです。あなたは、いのししのところで、初めて、中にいるメンバーに「(いのししがてぶくろにはいるのは)ちょっと むりじゃないですか」と言わせているのはちょっと無理があると言いたいですか?

 三冊目は、これもご存知だと思いますが、北欧民話「三びきのやぎのがらがらどん」(福音館書店)です。そういえば、これも、ちいさいやぎと、ちゅうくらいのやぎと、おおきいやぎが、順番に、はしをわたろうとして、それぞれのトロルとのやりとりが、三回繰り返されますね。それぞれのやぎによって、はしのなるおとや、しゃべるこえが変えられています。はしのなるおとは、ちいさいやぎ→かた こと かた こと、ちゅうくらいのやぎ→がた ごと がた ごと、おおきいやぎ→がたん、ごとん、がたん、ごとんというふうに。そして、この絵本のクライマックスは、はしをうならせるがたん、ごとんというおとからすでにみんなに期待感を抱かせる、おおきいやぎの登場シーンです。 「おれだ!おおきいやぎのがらがらどんだ!」というがらがらごえとともに登場するおおきいやぎ―このシーンの絵は、おおきいやぎの頭部だけが見開きいっぱいにその力強いつのを強調するように描かれており、(読むほうも思わず力が入るところですが、)子どもたちも、おおきいやぎの力強さ、かっこよさに、何度読んでもどっと沸きます。その後、おおきいやぎにこっぱみじんにされて、かわへつきおとされるトロルはちょっとかわいそうな気もしますが・・。
 
 この絵本、このおおきいやぎの英雄的ともいえるような力強さに男の子があこがれるのはわかりますが、女の子にもなかなか人気があるみたいなのですが、一方、読んでいるお母さん方は、どうでしょうか。子どもたちの圧倒的な支持に比べて、お母さん方は、「絵がかわいくない」とか「どこがおもしろいのかわからない」とかの感想を持つ方が結構多いようです。お母さん方の「かわいい」という基準でのみ選ばれた、ふわふわ綿菓子か、ぺろぺろキャンディーのような絵本しか与えられずにいると、絵本の面白さを本能的に感じ取ることのできる子どもたちは、絵本の世界の豊かな広がりを与えられないまま、本物の面白さを知ることもなく絵本から興味を失ってしまうことになるのではないかという危惧を覚えます。ずっと、読み継がれたきた絵本には、読み継がれるだけの価値と理由がある。自身の狭い価値観に縛られて絵本が選ばれることによって、絵本の優秀な読み手である子どもたちが絵本から遠ざけられているのではないかと思います。ただ、「かわいくない」という理由のみで。(このことについては、もう一回、項を改めて、書いてみたいと思います。)

はらぺこあおむし
森 比左志 / Carle Eric
てぶくろ
内田 莉莎子 / Rachёv Evgienii Mikha〓〓lovich
三びきのやぎのがらがらどん
瀬田 貞二 / Brown Marcia

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絵本のなかの子どもの顔~エッツ他

 今回は、ちょっと変わった視点で絵本を紹介してみたいと思う。

 絵本の絵の方に注目して、”絵本に描かれた子どもの顔ベストスリー”と言った感じで選んでみました。

 ひとつめは、 「おやすみなさいフランシス」 (ラッセル・ホーバン 文 /ガース・ウイリアムズ 絵 /福音館書店)です。この絵本の主人公、あなぐまの子どもフランシスの顔は最高です。
 まず、表紙の絵の、こっちを向いたフランシスの顔の好奇心にあふれて、生き生きした目の表情を見ていると、思わずぎゅっとしたくなるほど可愛いいです。
 次に、おとうさんにおんぶしてもらって、へやまでつれてってもらうときの、フランシスのみちたりて、とろんとしたうれしそうな顔を見ていると、こっちまでしあわせな気分になってきます。
 次に、へやのすみにとらがいると両親にうったえにいくときの顔も食べちゃいたいくらいかわいい。
 そして、散々、両親にあまえてはなしを聞いてもらって、あんしんしたフランシスの寝顔がまた可愛い。子どもが小さい頃、「子どもって、寝顔が一番可愛い」と思ったりしたことを思い出します。フランシスの顔を見ていると、そんな時期を思い出して、しあわせな気持ちになれます。子どもの子どもらしさをこんなにも巧みに描けるガース・ウイリアムズの観察眼と表現力には、ただただ脱帽するばかりです。

 次に紹介するのは、私の大好きな絵本作家マリー・ホール・エッツの 「またもりへ」 (福音館書店)です。
 この絵本は、前に紹介したエッツの絵本「もりのなか」の姉妹篇とも言える絵本ですが、またもりのなかへいったぼくが、どうぶつたちと、じぶんのとくいなことのみせあいっこをじゅんばんにするというあそびをするのですが、ぼくのばんになって、ぼくがどうぶつたちのまえでさかだちをしたあと、はなでぴーなっつをつまもうとして、おかしくなってわらってしまうという重要なシーンがあるんですが、そのぼくのわらう顔が、これまた本当にいいんです。エッツの絵は、「フランシス」のガースの絵ほど細部を描いていませんが、最小限の線だけでよくぞここまで、というほどそのぼくの笑顔が絶品なのです。
 それは、物語のラストで、また、ぼくをむかえにきたおとうさんに、「おとうさんだって、ほかに なにも できなくても いいから、おまえのように わらってみたいよ」と言わせるほどいい笑顔なんです。そして、そういう笑顔を描ける、エッツにも脱帽するしかありません。

 最後に、日本の画家から誰かひとり挙げておきたいのですが、なかなか思い浮かばないですね。いわさきちひろさんもうまいと思いますが、彼女の描く子どもは、愁いがあって、ちょっと私の思う子ども像ではないんですね。
うーん、絵の大きさと大らかさで赤羽末吉画伯を挙げておきます。昔話が多いので、おじいさんとおばあさんの絵がやっぱり多いですが、日本古来の子どもの顔のよさがあると思う 「ももたろう」(福音館書店)のももたろうの顔を挙げておきます。
 やっぱり、日本の場合は、子どもの生き生きとした表情まで描くという伝統がないのかなあ。

 子どもというのは、ある年齢までは、世の中の愁いなどからは守られて育ってほしいし、そういう子どもたちの見せてくれる豊かな表情は、私たち大人にとって得難い宝石のように大事なものに思われます。風船一個、石ころ一個で幸せになれる彼らの能力を「またもりへ」のおとうさんのようにうらやましく思いながら。

 

おやすみなさいフランシス
松岡 享子 / Hoban Russell / Williams Garth

 
またもりへ
間崎 ルリ子 / Ets Marie Hall

ももたろう
赤羽 末吉 / 赤羽 末吉著 / 赤羽 末吉絵 / 松居 直

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「りすのナトキンのおはなし」~ピーター・ラビットの絵本10

 今回、紹介するのは、1902年に出版されて以来、世界中で愛され続けているvery famousな絵本「ピーター・ラビットの絵本」シリーズより、「りすのナトキンのおはなし」(ビアトリクス・ポター 作・絵/石井桃子 訳)です。

 「ピーター・ラビット」と言うと、そのキャラクターは世界中で認知されているわりには、おはなしを読んだひとは少ないのではないでしょうか。かく言う私もそうだったのですが・・・。日本では、マヨネーズのCMに出てくるうさぎということしか知らないひとも多いのではないでしょうか。
 私が持っているのは、「愛蔵版 ピーター・ラビット全おはなし集」という全部のおはなしが一冊にまとめられて入っている大型の絵本で、(子どもが自分で読むのには、おはなし毎に製本されている小さい本のほうが読み易いと思いますが)ポターの絵の素晴らしさや色彩の美しさは、絵が大きい分「愛蔵版」のほうがよくわかります。ポター本人は、お嬢さんで、気難しいところもあるひとだったらしいですが、彼女の絵からは、彼女の自然を観察する眼の確かさを知ることができます。この絵本に出てくる動物や植物は、それらがいつも身近にあって、それらをよく観察した者でないと描けないリアルさにあふれてます。そして、愛らしい。愛らしくないキツネやアナグマなども出てきますが、大体の動物が愛らしく描かれています。その愛らしさは人間の子どもの愛らしさにも共通のものだと思います。この絵本がいつまでも色褪せないのは、この自然観察に裏打ちされた絵のすばらしさにあると思います。

 さてそんなおはなしのなかから、「りすのナトキンのおはなし」を選んだのは、うちの次男の一番のお気に入りということもあるのですが、このおはなしの主人公ナトキンの”なまいきさ、性懲りの無さ”に、我が家の次男坊の姿を見るようで、私もこの話が一番印象にのこっているからなのです。

 みずうみのそばの森にすんでいるりすたちは、みずうみのまんなかにある島の木の実が熟すると、いかだに乗って木の実をとりにやってきます。その島は、ふくろうじまと呼ばれていて、島の中心のかしわの木に、年取ったふくろうのブラウンじいさまが住んでいて、りすたちは毎回じいさまにおみやげを持ってくる代わりに、島の木の実を取ることを許してもらっているのでした。そんななかナトキンだけは、ブラウンじいさまに毎回なぞなぞを出したり、木の実も取らずに遊んでいました。そして、そんなことを続けていたナトキンのことを、無視していたブラウンじいさまでしたが、りすたちが島にくるさいごの日、6日めにナトキンがおなじようになぞかけをして、悪ふざけをエスカレートさせたとき、ブラウンじいさまはとつぜんナトキンにとびかかりいえのなかにつれていってしっぽをもってかわをはごうとしたのです。ナトキン絶体絶命だったのですが、ちからいっぱいあばれたため、しっぽがぷっつりきれてナトキンはなんとかにげだしました。よかったね、ナトキン食べられなくて、というおはなしですが。

 だから言ったでしょうという気がする結果なのですが、子どもというのは痛い目にあわないとわからない、というところがある気がします。「だから言ったでしょう」というのは、いつも私が子ども相手に思っていることだからです。でも、わが家のナトキンは”悪ふざけやいたずらは程ほどにしないと自分の身を危険にさらすことになりかねない(罰をうける)”なんていう教訓的な内容よりも、ナトキンのかけるなぞなぞや、ナトキンが毎回いろんな木の実をつかってするあそびのほうに魅力を感じているに違いないと思ったりもするのですが。

 このおはなしのラストは、しりきれしっぽと呼ばれているナトキンが森のなかでほかのりすからなぞをかけられてからかわれると、そのあいてにぼうをぶつけたり、ふくろう語でわるくちを言ったりという相変わらずの負けん気の強さが描かれていますが、とりあえずナトキンには「いのちをおとさなくてよかったね」と思わずにはいられません。

 

りすのナトキンのおはなし(ピーターラビットの絵本 10)
ビアトリクス・ポターさく・え・いしいももこやく

 ご意見、ご感想等あればよろしくお願いします。掲示板等書き込みもよろしくお願いします。
 「あざみ野荘でつかまえて」掲示板「あざみ広場」です。

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絵本「チャーリー・ブラウンなぜなんだい?」~ライナスの勇気~

 スヌーピーの「ピーナッツ」シリーズの作者チャールズ・M・シュルツに、心理学用語にもなっている「ライナスの毛布」で有名な、あのライナスが主人公になっている絵本がある。
 副題にーともだちがおもい病気になったときーと付いているように、ライナスやチャーリー・ブラウンのクラスメートのジャニスが白血病になってしまうおはなしです。ジャニスの入院している病院へおみまいにいったチャーリー・ブラウンとライナスは、ジャニスからそのことを聞かされた病院からの帰り道、ライナスがチャーリー・ブラウンに「どうして、チャーリー・ブラウン、なぜなんだい?」と問いかけます。そのライナスの問いかけた言葉、「チャーリー・ブラウンなぜなんだい?」がこの絵本の題名となっています。
 この、シーンは、簡潔な表現ですが、とても適確にふたりの気持ちが表現されています。

 これまでの、まだみじかい人生のなかでも、ふたりにはいろいろなことがありました。しかし、こんな深刻なことに面とむかったのは、はじめてでした。

 という風にふたりの受けたショックが語られた後で、ライナスは
  
 「どうして、チャーリー・ブラウン、なぜなんだい?」
  
 とチャーリー・ブラウンに問いかけます。

 それに対して

 チャーリー・ブラウンはこたえませんでした。
 ライナスは、ゆっくりあるいていきました。

 という言葉が続きます。
 このシーンを読んで思ったことは、このふたり、”チャーリーとライナスはなんておとななんだろう”ということです。ライナスは、自分の問いにチャーリーが答えられないことはわかってます。わかっていながらもそう問わずにはいられないライナスの気持ち、それに対して、安直な言葉を返すことはせず、ただ黙っていたチャーリー、このふたりのやりとりからは、そんなふたりの誠実さがつたわってきます。そしてそれは、作者シュルツの誠実さなのだろうと思います。

 そして、この絵本でのライナスは、私たちに素晴らしい勇気を見せてくれます。お姉さんのルーシーのジャニスに対する意地悪な言葉に対して決然と言い返したりしてジャニスのことをかばい続けるライナスですが、退院したジャニスが化学療法で髪が抜けてしまって帽子をかぶって登校した時、ジャニスの帽子を取りあげてからかったいじめっ子にも決然とつめよります。

  「ジャニスは白血病なんだぞ、このばかやろう。がんなんだぞ。・・・・・・・・・・・・・・・・あの子は病気をなおすために化学療法をうけて、それでかみの毛がぬけちゃったんだぞ。それがうれしいのかよ。あの子とおなじめにあってみたいか、よくかんがえてみろ。いままで頭をつかってなにかかんがえたことなんか、ないんだろう」

 このライナスの言葉には何度読んでも泣かされます。あの”安心毛布を手放せない”ライナスの勇気に感動させられるのです。
 ジャニスの好きなぶらんこを小道具にした物語のラストもとっても爽やかです。

 
 ところで、我が家の次男坊のライナスの毛布はピンクの花柄のバスタオルです。もうぼろぼろにすりきれていて、それが花柄だったということはほとんどわからなくなっていまして、勿論洗濯機は使えません。それが無くても眠れるようになった時に、もういいだろうと思って隠しておいたんですが、つい最近また「あのピンクのタオルは?」と尋ねられて、私がてっきり捨てたと思ってぼろぼろ泣き出してしまったので、捨ててないよ~と言って出さざるをえませんでした。ふーっ、捨てなくて良かったという感じでした。
 そう言えば、もっとちいさかったころは、ともだちが遊びに来たときにそのタオルのことを、「ほら~、このピンクのタオル、あったかくてやわらかいよ~っ」と自慢そうに紹介してたのを思い出します。あなたのお子さん、あるいはあなたの「ライナスの毛布」は何ですか?
 
 あと、子ども(男の子特有でしょうか?)によく見られる行動をもうひとつあげると、NHKのアニメ「おじゃる丸」に出てくる男の子かずま君(漢字忘れた)が好きな「ただの石コレクション」があります。特別に変わった石やきれいな石ではなくて、ほんとうに道路工事で使われるようなただの石をうれしそうに拾ってくるのです。漫画になるくらいだから、かなりの子どもたちがやっていることだと思いますが・・・。最近は、減りましたが、まだ時々拾ってきます。

 絵本の話にもどりますと、この絵本のまえがきをポール・ニューマンが書いています。そして、白血病という重いテーマを、こういう風に軽やかに爽やかさも感じさせて表現できる作者のチャールズ・M・シュルツの力量には只々脱帽するのみです。
 
 

チャーリー・ブラウンなぜなんだい?
チャールズ・M・シュルツ作・細谷亮太訳

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アーノルド・ローベルの絵本

 ひさしぶりに絵本の紹介をします。がまくんとかえるくんが主人公の『ふたり』シリーズで有名なアーノルド・ローベルの絵本です。このシリーズは全部で四冊出ていて、どれがいいとかは私のなかでは無くて、それぞれ全部いいですが、春ということで、『ふたりはともだち』 (アーノルド・ローベル作、 三木 卓訳、文化出版局)から「はるがきた」というおはなしを紹介します。
 
 はるになったので、かえるくんはがまくんをたずねます。かえるくんがいろいろ呼びかけてがまくんをおこそうとしますがなかなかおきてくれません。「ぼく ここに いないよ。」なんて言ったりします。なんとかげんかんまでつれていくのですが、まだねむっていたいがまくんは、5月のなかばごろにもう一かい起こしにきてくれといってまたねむってしまいます。かえるくんはがまくんのカレンダーをやぶきはじめました。がまくんがねむりはじめた11月からはじめて1月2月・・・4月まで。そして、がまくんのところへいって、5月になったからおきなよと言うんです。がまくんは、はやいなあとおもいながらもカレンダーを見たら5月なのでおきることにしました。そして、ふたりは、はるのよのなかをみにでかけました。
 
 とこんな感じのおはなしが一冊に五話ずつはいっています。
がまくんとかえるくんのやりとりはいつもこんな感じです。しっかりものでやさしいかえるくんにくらべて、がまくんはにんげん世界ならばちょっと”困ったちゃん”と言われて敬遠されかねないキャラクターかもしれません。しかし、かえるくんはそんながまくんのことをおもいやりながらやさしくフォローしています。いや、おもいやりなんていう、ちょっと上からの視線を感じさせる傲慢な感じは、ふたりの間には感じられません。もっと自然にふたりは”ともだち”というかんけいが描かれています。『ふたりはともだち』の最後のおはなし「おてがみ」に見られるようなゆっくりとした時間の流れは(かえるくんはかたつむりに手紙の配達をたのみます。)全篇に共通しています。

 もう一冊ローベルの絵本を紹介します。
 『どろんここぶた』 (アーノルド・ローベル 作、岸田衿子 訳、文化出版局)です。(次男のお気に入り絵本です。)
 主人公のこぶたが一番すきなことは、やわらかいどろんこのなかに、すわったまま、ずずずーっとしずんでいくことです。こぶたをかっているおひゃくしょうのおじさんとおばさんは、ふたりともこぶたのことをとてもかわいがっていましたが、あるあさのこと、うちじゅうの大掃除をはじめたおばさんが、こぶたのだいじなどろんこを「ここが いちばん きたないねえ」といって掃除機で吸いこんでしまったのです。こぶたはおこって、うちから逃げ出してしまいます。
 やわらかーいどろんこをさがしながら、おおきなまちまでやってきたこぶたは、どろんこと間違えてセメントのなかにずずずーっとしずんでしまいます。セメントづけになってうごけなくなったこぶたを見に、まちじゅうのひとが集まってきました。さて、こぶたはどうなったでしょうか。
 
 ラスト、無事におひゃくしょうさんのうちに帰ったこぶたは、ちょうど降ってきた雨でできたやわらかーいどろんこのなかに、満足そうにずずずーっとしずんでゆきました。
 
 よかったね、ということではなしはおしまいなのだけれど、このはなしを読んで気になるところは、こぶたがなによりだいじにしていたどろんこを掃除機で吸いこんでしまうのがおひゃくしょうのおばさんだったということだ。(このおばさんは『ルシールはうま』というおはなしでも、うまにたいして同じようなことをしてしまいます。)ローベルは女性が持っているそういう側面をよくわかっています。このおばさんも悪気があるわけではない、よかれと思ってやっていることなんですが、自分の価値観でしかものごとを見ていないので、おばさんにとってきたないものでしかないどろんこが、こぶた(子どもとおきかえてもいいとおもう)にとってどんなに大事なものかということがわからない。私たち、特に女性のほうがそういうことを平気でしてしまうということを反省させられます。

 書店のひとが言っていたのですが、ローベルの『ふたり』シリーズは、最近の子どもに受けないんだそうです。子どもは、親の考えや好みに敏感ですからね。このシリーズ、まず、大人に読んでもらいたいなと思います。

 

ふたりはともだち
アーノルド・ローベル作・三木卓訳

 
どろんここぶた
アーノルド・ローベル作・岸田衿子訳

 
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フォークロアな絵本~タバック&ヤノッシュ~

 夜の間に雪が降りました。5cmくらい積もりました。私の住む南国では珍しいことです。時々、屋根から落ちる雪の音が、ばさっ、ばさっ、と聞こえてきます。普段より静かな気がします。
 今回は、フォークロアな絵本をニ冊紹介したいと思います。一冊目はシムズ・タバックの「ヨセフのだいじなコート」(フレーベル館)です。(2000年のコールデコット賞受賞作です。)
 ヨセフは穴のあいたコートを持っていました。表紙の絵のコートは、すでにすそのほうにいくつも穴があいています。まず、ヨセフはそのコートにつぎをあてて着ます。次に、すそのほうを切って、ジャケットを作ります。ジャッケトの袖が破けてきたらチョッキにします。という具合に、次々と小さいものにリサイクルしていって、最後にはボタン(くるみボタンなんでしょうね、)にして使います。ボタンをなくしたところで、お話は終わります。もうそれ以上リサイクルできないので。この絵本は、切りぬき絵本の手法が使われていて、リサイクルした次の形が、前のページの窓から見えるようになっています。私は、コート→ボタンになるという徹底ぶりに感動しました。皆さんはどう思われますか。貧乏臭くていやだと思うでしょうか。新品の服を着ている子がほとんどのような最近の子どもたちはどう思うでしょうか。案外、「すごい!」と思うんじゃないでしょうか。
 それと、切りぬき以外にコラージュの手法も使われていて、この絵本の、温かいフォークロアな雰囲気作りにマッチしています。それと、ストーリーと関係ない文章が、ページの端っこのほうに(コラージュされた新聞などに)書かれていて、(ナンセンスなものが多いです、)それを見落とさないように読むのも楽しみでした。
 「I Had a Little Overcoat」というイディッシュ語のわらべ歌をヒントにして書かれた絵本だそうです。

 フォークロア絵本、二冊目に紹介したいのは、絵本「おばけリンゴ」が有名な、ドイツの絵本作家ヤノッシュの、「くまのサーカスザンパーノ」です。
 
 ある村に、赤いトラックに乗って、ザンパーノおじさんと、くまがやってきました。おじさんは、おそろしいくまを、みごとにてなづけて、くまにいろいろなげいとうをさせます。くまは、おじさんのいうことならなんでもやりました。つなわたりやおどりまで。おしまいに、くまがおじぎをすると、おじさんはそのあたまのうえに、どかっとながぐつのあしをのせて、とくいそうなポーズまでしてみせました。みんなは、「おじさんってすごいなあ。」とかんしんしてみていました。そのとき、ハエがとんできて、くまのはなさきをまわりはじめました。くまはハエをおいはらおうと、手をぐるぐるまわしはじめました。それにつられてくまのつなをにぎっていたおじさんのからだも、空をぐるぐるまわりはじめました。そして、そのつなが切れると、おじさんはそのままどこかへとんでいってしまいました。くまは、そのまま森のなかへきえていきましたが、おじさんはいまでも空をとびつづけているそうです。ときどき、よそから来た人が「あの、空をとんでいるのはだれですか。」とたずねるそうです。

 くまよりつよいといい気になっていたおじさんですが、ほんとうは、くまのほうがつよかったんですね。
 ”これはほんとうにあったおはなしです。”という言葉でこのお話は終わっていますが、どこかで聞いたようなお話だと思いませんか?
 油絵風のタッチで、一見稚拙にみえるように描かれたヤノッシュの絵は、その作品に”素朴派”と呼びたいような懐かしい雰囲気を醸し出しています。

 

ヨセフのだいじなコート
シムズ・タバック作・木坂涼訳

 ※ヤノッシュの「くまのサーカスザンパーノ」は、現在、書店では入手困難なようです。図書館でさがしてみてください。
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長谷川集平の絵本~MEET THE SHUHEI~

 去年、絵本の店で、「はせがわくんきらいや」(ブッキング)を見つけた時は、「わー、久し振りー!」といった感じで、懐かしくなって、「いま手に入れておかないとすぐに手に入らなくなる!」と思って、焦って買った。その後、以前、「復刊ドットコム」の記事にも書いたように、絶版、復刊を繰り返して、絶版状態にあったこの絵本が、読者の復刊リクエスト投票によって、’03年に復刊されたことを知った。(その後、「とんぼとりの日々」「パイルドライバー」などの著作も同投票で復刊されている。)
 「はせがわくんきらいや」は、’76年に発表された彼のデヴュー作で、当時、絵本の世界に殆ど興味の無かった私が記憶しているくらいだから、「森永ヒ素ミルク事件」が取り扱われていることもあって、絵本としては珍しく、新聞や一般誌、テレビなどでも紹介された話題作だった。そういった紹介記事を、たぶん私も読んでいると思うが、今となっては、その内容を思い出せない。たぶん、企業犯罪を告発する社会派の絵本といった紹介のされかただったと思う。
 昭和30年、姫路市に生まれた長谷川集平は、当時、西日本を中心に大問題になった、森永乳業のヒ素の混入されたミルクを飲んでしまう。この絵本は、その自身の体験や、自分の周囲の被害にあった子どもたちのことを思い出しながら書かれたもので、この作品制作のベースには、事件を起こした企業への怒りがあると思うけれど、この絵本が、今日まで支持され続けているのは、怒りが、生な形で提示されているのではなく、見事に絵本という作品に昇華されているからだと思う。そして、それを、自分とほぼ同世代の青年が書いたということも驚きだった。
 今回、読んでみて、作者の感性と技倆に感心し、改めて、その早熟な才能に驚いた。そして、重いテーマも含まれているのに、子どもの反応も悪くない。
 
 物語は、赤ちゃんのときに、ヒ素のはいったミルクを飲んで、なにをやってもうまくいかず、めちゃくちゃで、じぶんたちにめいわくばかりかけてしまう、はせがわくんのことが、子どもの目を通して描かれています。子どもの言葉は率直です。表題が「はせがわくんきらいや」ですから、文中にも何度も「はせがわくんきらいや」が出てきます。でも、あたたかいんです。「きらいや」、「しんどうてかなわんわ」という言葉の行間から、ぼくの、はせがわくんに寄せる思いやりの気持ちが滲んで来ます。おとなたちの、言葉で「かわいそう」と言いながら、こころのなかで、そういう存在を差別し、排除したりする態度とは違います。だから、余計に「きらいや」という言葉が、私たちに「どうして?」という問いかけとして響いてくる。そして、そのベースにある怒りが、私たちに届いてくる。
 まだ、読まれてないかたは、是非、読んでみてください。

 次に、我が家で大ブレイク中の長谷川集平絵本を、あと三冊紹介します。
 一冊目は、「とんぼとり」です。
(この絵本は現在絶版となっています。読まれたいかたは是非復刊リクエストに投票してください。)
 ’77年に発表された「とんぼとりの日々」の作者自身によるリメイク版です(’94年初版発行)。両方読みましたが、リメイク版のほうが、画面展開がダイナミックで、子どもの反応も良かったです。とんぼとりのしかけを器用に作る、九州からの転校生がすごい存在感です。方言が効いていて、読んでいて楽しいです。ここに描かれている、生き生きとした少年たちの日常の遊びの世界からは、「こんなことしたした。」という、お父さんたちの声が聞こえて来そうです。
 
 次は「パイルドライバー」(ブッキング)。これも、絵本を余り読まない次男が、夢中になりました。格闘技にくわしくないお母さんがたのために説明すると、「パイルドライバー」というのはプロレス技のひとつです。(かなり危険な技です。)臆病な母親としては、こんなに受けて大丈夫か、と心配になり、「これは絵本だからね。」とついつい注意してしまうのですが、こういうのは、やっぱり、男の子の血がさわぐんでしょうか?
 好きな女の子についついいじわるしてしまう男の子が、ある日、その女の子にプロレス技をかけられて・・・・。
 これも、お父さん必見だと思います。

最後は、「トリゴラス」(文研出版)。怪獣好きには必見です。 これも、大人気です。(子どもたちには、ヒーローものとか、怪獣映画で見慣れた世界なので、とっつきやすいんだと思います。)
 解説に、「少年の鬱屈した凶暴にして性的な想像力が描かれている。」(草森紳一)と書かれている問題作(?)です、が笑えます。
 そういうテーマも、大胆にも、さっと、絵本にしてしまうところは、すごい才能だと思います。内面のそういう凶暴な力を持て余している、青年期の人たちが読んでもいけるんじゃないでしょうか。そして、そういう自己も含めて、笑い飛ばせばいいと思う。笑うことによって、自己を客観視できるし、少なくとも、内面の凶暴な力に飲み込まれ、その奴隷となってしまうようなことはなくなると思う。

 ここまで、書いてきて、長谷川集平というひとは、ほんとに”少年を描かせたら日本一だ”という気がしてきます。そして、これらの絵本を、多くのお父さんたちに読んでもらいたいと思います。


 bk1書店長谷川集平のページへ

 長谷川集平のホームページ、SHUHEI’S GARAGEへ(おもちゃ箱のような面白さです。)

追:My Homepage「あざみ野荘でつかまえて」の日記ページの記事を更新しました。(ヨハン・クライフやオランダのサッカーについてです。)興味のあるかたは、見てみてください。掲示板「あざみ広場」のほうも絵本紹介や、サッカーについての投稿が載ってます。そちらも、よかったら、御覧になってください。

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