Posts categorized "文化・芸術"

「 漱石の凄さ 」

 いまさらという感じもあるんですが、ドラマ「 鹿男あをによし 」の1話は、凄く面白かった。私にとって、ドラマ自体は尻すぼまりな感じになってしまったのですが、1話は面白かった。それは、どうしてだったのかを考えていたら、それは、1話は、漱石の「坊ちゃん」だったからだ、と思い当たり、やはり小説家、夏目漱石の偉大さを再認識した。でも、段々トーンダウンしてしまったのは、最大の危機に関する謎解き部分にいまひとつぴんとこなかったからだ。それなら本家坊ちゃんのような青年の成長物語の比重がもっと大きければもっとおもしろかったと思う。NHKあたりで、漱石原作のドラマとか、小説家や詩人の伝記ドラマとか昔はよく作られていて、それなりにおもしろかったけれど、またそういうのやってくれないかなと思う。

 私は、他人の理屈よりも自分の感覚を信じる。悪いけど。でも多くの人は、自分の好きなひと(あるいはテレビや新聞に出てるひとと言い換えてもいい)の言動であれば、無条件に信仰してしまう。自分で考えるのが面倒くさいから、「すきな人(テレビに出てる有名人)がこう言っていたからそれはそうなんです」というひとのなんと多いこと。いくら好きなひとの言葉でも変なものは変なのに。そこまで考えないか、と思わず思う。脳ミソがテレビだけでできているような・・。メディアリテラシーというか、そんな言葉を持ち出さなくても、ちょっと意識して他のメディアにも目を通して、テレビを見るとその変さ、そしてそれに出ているひとたちの言動の変さにはすぐに気付くはずなのに。 結局、大雑把な感想を言わせてもらえば、大人がいなくなってしまったと思う。もてはやされているのは子ども(思春期気分の大人も含む)ばかり。そして大人と呼ばれているひとたちも、(思春期の)子どもにばかり喝采を送っている。そんな世界。それはやっぱり異常なんですよ。思春期で止まったエセ大人にミスリードされた耳年増の子どもが増える。世の中なんてこんなもの、現実なんてこんなものと経験もしてないことを知ったつもりになる。それは、やはりとてもまずいことだと思う。

 昔も子どもむけのドラマはいっぱいあった。でも上質の大人向けのドラマもあった。それが、なんだかなぁ~。映画も自己満足っぽいものや、テレビ局の絡んだタレント頼りのものばかり。だから、それならっいっそ、漱石の小説をとか中也の伝記をとか思う。彼らの悩みは充分現代的だし、あの暗さを含んだ諧謔も、”いま”、ならもっと理解されるのではなどと思ったりする。

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Kバレエの「海賊」

 まず最初に、私はバレエについての専門的な知識はほとんどなく、熊川哲也のダンスを観たいというだけで観ているファンなので、これから書こうとしていることは、バレエについての専門的なレヴューではまったくないことをお断りしておきます。
 
 Kバレエカンパニーの「海賊」(熊川抜き)公演を観てきました。よくも悪くも、”熊川ありき”のKバレエですので、前回「白鳥」を観た時のように、熊川哲也にだけ注目してしまい、他の人のダンスの印象が薄くなってしまうというようなことはなくて、Kバレエのそれぞれのメンバーの踊りを前よりじっくり観ることはできました。熊川哲也に代わってアリの代役を踊った橋本直樹さんについては、ジャンプや回転などのテクニックは、確かなものを持っているダンサーだと思いましたが、感情表現の点―アリ役では、メドーラに憧れながらも、主人のコンラッドへの忠誠心や身分の違いから、叶わぬその想いをこころの中に秘めるというような―では、まだあまりこちらまではその感情が伝わってこなかったかなと思いました。そういう点では、熊川君のアリを観たかったなあと思います。橋本=アリは、もともとのアリの設定―コンラッドという主人に仕えているという感じはよく出ていたと思いますが、Kバレエの「海賊」は、熊川=アリを中心に作られているので、「海賊」はストーリーにそんなに魅力があるわけではないので、熊川哲也という中心が欠けるとやはり物足りない気がします。そんな中、私が一番気に入ったのは、2幕1場(洞窟)での、”鉄砲の踊り”と名付けられている海賊たちの踊りです。この男性舞踊が、観ていて楽しくなるようなダンスで、「海賊」らしさが一番出ていた部分だったのではないかと思いました。あとは、舞台美術・衣裳は堪能しました。最初の、航海図のような幕の向こうに並んで立っている海賊たちの姿が透けて見える演出や、海賊船の登場シーンは、船やバックの色や照明がはっとするくらいきれいでしたし、衣裳も、いつもながら繊細できれいでした。「白鳥」の時も思いましたけれど、女性のミディ丈のドレスが私はチュチュよりも好きだなと思います。あの舞台美術、衣裳、熊川演出を観るだけでも価値はあると思いますが、やはり本人の思い入れのあった熊川=アリを観れなかったのは残念でしたし、アリ役のあのジャンプや回転やひねりが膝にとってはかなりの負担で、怪我につながったのでは、なんて思ったりもしました。公演前のインタビューによると、これからやってみたい構想がいっぱいあるみたいですので、きっと元気にカムバックしてくれると思いますが、長く彼の踊り続ける姿を観たいと思っているファンとしては、自身のダンサー生命のことも考えて、演目や振り付けを考える時期なのでは、と思ったりしました。ジャンプの熊川だけでなく、類まれな表現力の方にも、もっと皆が注目してほしいなと思います。

 最後の最後のカーテンコールに監督、熊川哲也が出て来たときの、観客の割れんばかりの拍手と、待ちかねたというようなスタンディングオベーションに、皆の想いが表れていたと思います。出てきてお辞儀をするだけで観客を引きつけるあの力は天性のものだと思います。

 

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デュシャンの「大ガラス」のこと(寂しい現代人の自画像)~ふと思い出して

 ”昔々”で始めなければならないくらい前に、マルセル・デュシャンに入れ込んでいた時期がありまして、”ユリイカ”や”美術手帳”や”芸術新潮”などのダダイズムやシュールレアリスムの特集記事を読んでは、難解な言葉の羅列に何が書いてあるかさっぱりわからない、と嘆息しつつ、ブルトンはダサいけどデュシャンはカッコいい、というくらいの次元に私のデュシャンへの興味はあったと思います。
 有名な”泉”やモナリザのレプリカに髭をつけた洒落のような作品は、そのユーモアにまあ笑えたりもするのですが、私が今回ふと思い出したのは、デュシャンの代表作とも言われている、「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」(通称「大ガラス」 1915~1923年) という作品です。この作品については、様々な解釈、解説がなされてきましたが、私が、今回思い出したのは、ガラスに描かれた機械の設計図のようなその作品本体ではなくて、現代社会と現代人の状況を予言していたような、奇妙な題のほうです。デュシャンの意図はわからないし、そのことについて忖度するほどの時間も興味も今の私にはないのですが、この不気味な現代の状況の予言のような題名は、彼の生きていた当時のヨーロッパやアメリカと今の日本の状況が似通っているのか、現実が芸術に追いついたと言うのか(悪い意味で)、まさに現代日本で起きていることだ。巷に独身者たちの生産性のない性のための妄想が商品化されてあふれているこの状況を予言していたような題だと思う。そして、遺作ではさらに独身者たちの不毛でからまわりしている変態的なエロティシズムが作品となって私たちを挑発している。は~~っと書いていても何かうんざりしてくる。デュシャンのこれらの作品は、デュシャンが時代の状況を冷静に観察して作品化したものなのか、そのような独身者のひとりとしての自己表現だったのかはわからないが、天才というものは時代を先取りするということは言えると思う。なにものをも生み出さないエロティシズムの不毛さ寂しさは私を憂鬱にしかさせないが。

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ペイントギャラリー~Happy New Year~

inu


     「犬の絵」       by kai

「 皆さま、今年もよろしくお願いします。 」

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E・Lカニグズバーグ「ジョコンダ婦人の肖像」

 題名の「ジョコンダ婦人の肖像」というのは「マドンナ・リザ・ジョコンダ」つまりあの「モナ・リザ」のことです。モナ・リザのモデルについては諸説ありますが、カニグズバーグは、フィレンツェの名もない商人ジョコンダ氏の二度目の妻としています。そして、この物語は、レオナルドがなぜ彼女の肖像を描いたのかという問いへの答えとなっています。

 物語では、ミラノでロドヴィコ・スフォルツァ公に仕えていた頃のレオナルドやミラノ公妃ベアトリチェ、彼女の姉でマントヴァ公妃イザベラ・デステなどのことが、レオナルドの札付きの召使だった(大うそつきでどろぼうだったと書かれてます)サライの目を通して描かれています。この物語はレオナルドがなぜそんなサライを死ぬまで手元に置いたのかという疑問に対するカニグズバーグの答えでもあります。本の表紙にはレオナルドによるサライと思われる美しい若者の横顔のデッサンが使われていますし、レオナルドとサライが同性愛関係にあったのではということはよく指摘されていることですが、カニグズバーグはレオナルドがサライを必要としたのはそれだけの理由ではないと、作中でミラノ公妃ベアトリチェにその理由を語らせています。つまり、「レオナルドは自分に欠けているものをサライから得るために彼を必要としたのだ」と。そして、それはすべて偉大な芸術に必要なものであると。カニグズバーグはそれを芸術における”ワイルド”な要素であると言っています。すべての偉大な芸術にはワイルドな要素があるのだと。
 このことを、ベアトリチェはサライに語っています。これが、ひとつの答えですが、もうひとつの答えのほうは、ミラノ公妃ベアトリチェにあると作者は言っています。カニグズバーグはベアトリチェのことを、そんなに器量はよくないが、愛嬌があって機知に富んでいて、とても周囲の者達に愛される魅力的な人物として描いています。それに比べて、姉のイザベラ・デステのほうは、器量はよかったが、虚栄心と自己愛が強い退屈な女性として描かれています。史実はどうだったかは、私にはわかりませんが、このイザベラの描かれ方は、物語としてはたいへんおもしろいのですが、ちょっと気の毒な気もします。というのも、イザベラの肖像と言われるレオナルドの手による有名なデッサンが残されていて、この物語でもそのデッサンのことが、レオナルドは何故そのデッサンに色をつけなかったのかという説明(つまり、イザベラにあまり魅力を感じなかったため)とともに出てくるのですが、そういう意地悪い見方で紹介されている当のデッサンを先入観なしに見てみると、これが中々味があってよいのです。レオナルドの繊細なタッチで描き込まれた手や横顔などは見応えがあるし、私には完成されたタブロー作品にも負けない興味深い趣のある作品に仕上がっていると思います。作中では、レオナルドはイザベラの中年にさしかかった徴候を容赦なく描いたと否定的に紹介されていますが、私には、レオナルドの他の作品に比べて、例えば、カニグズバーグによって、ジョコンダ婦人の中に好きだったベアトリチェの面影を見て、彼女の肖像を描いたと説明されている「モナ・リザ」(これが最初の問いの答えです)の神秘性、中性性に比べて、そこには、生身の女性が描かれている気がするのです。
 でも、この物語で語られているベアトリチェとイザベラを比べてどちらが魅力的かと問われれば、それはもちろんベアトリチェなんですが、それはそれとして、「イザベラ・デステの肖像」のデッサンの素晴らしさは、この物語の解釈とは関係なく存在するように思われます。


 ※4月10日の拙記事「ダ・ヴィンチとミケランジェロ」よかったら参照してください。

※よかったら、gooブログのほうも訪問してみてください。

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熊川哲也さんのこと

 先日、念願だった熊川哲也さん率いるKバレエ カンパニーの舞台(『白鳥の湖』)を観ることができた。元々、ダンス全般観るのは好きなのですが、地方に住んでいると中々こういう本格的な古典全幕バレエを観る機会は無いので、そんなにいい席は取れなかったのですが、堪能させてもらいました。舞台美術や衣裳も素晴らしくて、芸術監督熊川哲也の鋭く繊細な美意識が細部にまで感じられました。勿論、熊川さんのダンスはスペシャルでした。カーテンコールでは、観客殆ど総立ちのスタンディングオベーションに何度も何度も答えている姿が印象的でした。観客のその反応は、お世辞や形式的なものではなく心からの感動の表現として自然に出てきたものでした。
 
 私が熊川哲也の名前を初めて知ったのは、彼がゴールド・メダルを受賞した’89ローザンヌ国際バレエ・コンクールがNHKの教育テレビで放映されたのを偶然見た時です。私がその番組を観ていたのは、その番組の解説をしていた、名前は忘れましたが、たぶんその世界では有名なフランス人の女性の解説者の毒舌ぶりがおもしろかったためで、さすがフランス人とある意味感心しながら、彼女の解説を聞きたくて、その長い番組を最後まで観てしまったのです。コンクールを観たことのある方ならご存知と思いますが、コンクールはクラシックの部門と創作ダンスの部門に分かれていて、クラシックの部門は、そこそこ彼女に誉められるひともいたのですが、創作ダンスの部門では、それこそ彼女の毒舌が冴えわたって、「これはひどいですね」 「全然だめですね」 「創作ダンスというものが全然わかっていませんね」 などというコメントが続いて、殆どのひとがばっさばっさと切られていったのですが、その彼女が、最後に熊川さんが登場する前に、「皆さん、彼のダンスを観てください。創作ダンスとはこういうものです。」みたいなことを言ったのです。私は彼女のそのコメントにびっくりして、そして熊川さんの創作ダンスを見て、ーピエロの扮装でのダンスでしたが―その大胆かつ豊かな表現力に感動したのです。たぶん、その時17歳くらいだったと思います。フィギュアスケートの伊藤みどりなどを見てもテクニックはあっても表現力はいまひとつというのが日本人のイメージだったので、その時の彼のダンスには本当にびっくりしました。今でも時々、そのコンクールの様子がビデオで紹介されたりするんですが、大体クラシックダンスのほうが使われていて、私が感動した創作ダンスのほうは観る機会が無いのが残念なんですが、今でもその時の鮮烈なイメージが頭の中に残っています。こんな日本人が出て来たんだという感慨とともに。その後の、活躍ぶりは、皆さんもご存知のとおりですが、偶然とは言え、あのコンクールで熊川哲也というバレエ界のスターが誕生した瞬間を目撃したことは、私の中で、密かに自慢すべきこととなっています。同じ時代に生きていてよかったと思うような芸術家のひとりです。そして、あの日本人離れした表現力がどうやって身に付いたのかその秘密を知りたい気がします。

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ペイントギャラリー~星と星の協力~

hositohosinokyouryoku
「星と星の協力」 by kai

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阿修羅像の貌~奈良、失われたもの、変わらないもの

 子どもが修学旅行で奈良の方へ行って来たので、奈良について書いてみたいと思う。
 主に仏像を観るために、奈良には何度か行った。イタリアなどと比べるとちょっとした暇があれば行けるので、夜行で出かけて、夜行で帰って来るようなハードスケジュールで、旅行の間中、目一杯歩き回り、足にマメができて足の指にテーピングしながら歩き回ったこともあった。奈良のお寺の仏像との出会いは、学生時代の奈良・京都への研修旅行だった。その旅行から帰って来て以来、奈良のお寺や仏像の素晴らしさのとりこになった。イタリアに行って、その気が遠くなるほどの文化遺産を見るにつけ、「日本でこれに匹敵するのは何か」と考えた時に私が思い浮かべたのが、奈良のお寺にある仏像達である。「ああ、日本にはあれがあるじゃないか」と。

 東大寺の三月堂の日光・月光菩薩、戒壇院の四天王像、新薬師寺の十二神将像、薬師寺の日光・月光菩薩像、そして、法隆寺の百済観音像などなど。そして、お寺も、京都のお寺に比べると、大陸的で大らかで、心が開けていくような印象を受ける。法隆寺の建築の素晴らしさ、薬師寺の東塔の風雪を経た美しさなど挙げていけばきりがないが、東大寺などもあんなに有名なお寺なのに、俗っぽさがない。全ての建物が凛とした美しさをたたえているのは、むかしのひとたちの志の高さによるのではないだろうかと思う。

 ある時、法隆寺を訪ねた時のこと、コインロッカーに荷物を預ける時間も惜しんでバスに乗ったので、大きな旅の荷物を抱えたままお寺の門をくぐってしまったことがあった。どこかに荷物を預けるところぐらいあるだろうと高をくくっていたのだが、さすが法隆寺、そんなものは全く見当たらず、困ってしまった私は、図々しくも寺務所に行って、荷物を預かってもらえないかと頼んだのだった。そんなことを頼みにくるひとはあまりいないらしく、とまどわれたのだが、預かってもらえることになって、寺内を身軽になって回っていると、大宝蔵殿のところで寺務所で荷物を預かってくれたひとが私に話しかけてきた。私が、百済観音のような現代的とも言える仏像を感心して見ていたのに気付いたのか、「あなたは、美術として仏様を見るからそういうすーっとした姿の仏様が好きのようだが、私達は信仰の対象として見ているので、こういうふっくらした姿の仏様のほうが好きです。」と言って指されたのが夢違観音と言うふっくらしたお顔の小さな仏様だった。(※夢違観音は悪夢を吉夢に変えてくれると言われている有名な仏様です。)それを聞いて、ああ、これらの仏像は今でも信仰の対象なんだと、今更ながらに当たり前のことに気付かされた出来事でしたが。

 今でこそ仏教について惹かれるものを感じている私ですが、当時の私は美的対象としてしか仏像を見ていなかったような気がします。でも、仏像を見るという行為にも信仰につながる部分はあると思いますが。
 そんな私が、奈良へ行ったら必ず見なければと思っていたのが、興福寺の国宝館にある阿修羅の像でした。阿修羅像は少年のようなほっそりした体つきに、眉をひそめた愁いのある顔をしており、その顔が夭折した美人女優の夏目雅子に似ていると言われていました。今回、阿修羅像の顔が表紙になっている本を引っ張り出して見てみたのだけれど、やっぱりびっくりするくらい彼女に似ていました。日本人の美意識の琴線に触れるような繊細なお貌とでも言えばいいのでしょうか。側面のふたつの顔も六本の腕も造形的に何の破綻もなく自然に造られています。天平時代の作と伝えられているこの像の顔に見られる現代性を見ていると、日本人の美的感性はそんなに変ってないんじゃないだろうかという気がしてきます。こんなことばかり言っていると、また「仏像は拝むものです」とやんわりとさとされそうな気がしますが。余談ですが、夏目雅子似の友人がいるのですが、彼女の顔も興福寺の阿修羅に似ています。

 ところで、仏像を見ることの他にも奈良に行きたい理由があった。それは、学生時代に旅行した際の、いくつかの場所の記憶が、もう一度訪ねたい風景として私の頭のなかにずっと残っていたのだ。最初の旅行はちょうど二月の終わりごろで、春の初めのなんとも言えない空気を感じさせる時季だったので、一層強い印象を受けたのかもしれない。”由緒正しい春の風景”とでも言ったらいいのだろうか。
 それらの場所はどれも夢のなかのようにぼんやりとしていて、はっきりとここですという確かな記憶は残っていないのですが。最初の旅行から十年ぐらい後に再び奈良を訪れた時、私は曖昧な記憶をたどりながらそれらの風景を捜した。まず、東大寺の二月堂から下ってくる参道―私の記憶のなかでは土と芝生の坂道を何度も下った記憶が残っていた―に行ってみたが、何度うろうろしても石畳の整備された参道しか見当たらなかった。そして、飛鳥が一望できる甘橿丘へ登る遊歩道も二回目に行った時は、すっかり整備されていて、記憶のなかの、由緒はあるけれどそこら辺にある丘と変わりないような親しみやすさを感じた風景は失われていた。そして日本最古の道と言われる山の辺の道のどこかと記憶されている場所―茶店が近くにあって、畑のなかの道沿いに石仏がたくさんあったような場所を捜して、天理から桜井まで歩いたのだが、ここだと思うような場所を見つけることはできなかった。夢と現実がごっちゃになって、現実にはない場所の記憶が残ってしまっていたのかもしれない。でも、失われた風景、変わらずに残っているものの全てがごっちゃになって、私の記憶のなかの奈良を形作っている。
 
 ちょっと前に、法隆寺の門前に最後まで残っていた食堂が、強制的に撤去されたというニュースを見たが、昔、そこにあった古い食堂で丼物の昼食を食べた記憶も懐かしい思い出として残っている。そんな食堂にも風情があったのだが、二回目に行った時にはもう跡形もなかった。

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ダ・ヴィンチとミケランジェロ

 ローマ教皇が亡くなられて、世界中から注目されているバチカンのサン・ピエトロ大聖堂内にミケランジェロ作の「ピエタ」がある。ピエタとは”哀れみ”という意味のイタリア語ですが、キリスト教美術では、十字架から降ろされたイエスの遺体を抱いて悲しむ聖母マリアの像のことです。ミケランジェロは、生涯に四つのピエタ像を制作していますが、なかでもバチカンにあるピエタ像が一番有名で、唯一の完成作です。バチカンの「ピエタ」の聖母マリアは、乙女のように若く美しく造られています。でも、私が紹介したいのは、バチカンの「ピエタ」ではなく、ミラノのスフォルチェスコ城美術館にある、ミケランジェロの未完の遺作「ロンダニーニのピエタ」のほうです。

 この作品は、ミラノのスフォルチェスコ城というお城の美術館の一番奥の部屋にあります。私は、その作品に辿りついた時、自分でもどうしてなのかわからないけれど涙があふれ出して止まらなくなってしまったのです。後にも先にも、絵や彫刻を見て泣いたのはこの時一回だけです。

 例えば、ゴッホの絵からは、ゴッホの気配のようなものを感じたりするんですが、美術館を回っていて、近くにゴッホの絵があると何となくその気配が感じられるんです。ゴッホの絵の妖気とでも言ったらいいのか、「近くにゴッホがある!」というのがわかるんです。そのことを「すごい」とは思うけれど、絵を見て泣いたりはしない。

 そして、ダ・ヴィンチの絵画。私は、画集で見ていた頃は、ミケランジェロよりダ・ヴィンチのほうが好きでした。ダ・ヴィンチがミケランジェロの作品を下に見ていたように、私もミケランジェロの作品は、マッチョ過ぎて、過剰で、ダサイと思っていたのです。それに比べて、ダ・ヴィンチの作品のなんて優雅で貴族的なことか、と思っていました。でも、ルーブルで「モナリザ」を見ても、ウフィッツイ美術館にある、美しい天使の絵を見ても、ミケランジェロの作品(「ロンダニーニのピエタ」)に接した時の涙を流すような感覚は沸いては来なかった。なんとなく、絵がすーっ、すーっと通り過ぎていくだけの感じとでも言ったらいいのだろうか、作品の繊細さなどには感心したりはするのだけれど、それ以上の気持ちは沸いて来なかった。天才が、さらーっと仕上げたとでも言ったらいいような淡白な作品という感想以上のものが・・・。どの作品も有名過ぎて、その作品を前にしても、「これは知っている」という確認作業に終わってしまうからだろうか・・・。

 例えば、あのバルセロナにあるサグラダ・ファミリア教会を見た時も、私には、写真でそれを最初に見た時以上の感動が沸いて来なかった。何の予備知識もなく、この建築に突然出遭ったとしたら、もっと違っただろうかと、その時ふと思ったのですが、それと同じことをダ・ヴィンチの作品に接した時にも思ったのですが。

 ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」に接した時の感覚を、言葉ではうまく表現できないのですが、天才ミケランジェロがその生涯の最後に到達した彼の精神の苦闘の軌跡がこの作品に全て結実しているとでも言ったらいいのでしょうか。たぶん、手先や目なども不自由になりながらの制作だったのでしょう。そのことによって、却って全盛期の完成作品には見られない精神性が備わっているのです。ダ・ヴィンチによって、「解剖学にとらわれ過ぎている」と批判されていたミケランジェロですが、彼が人生の最後に到達したこの作品の精神性は、レオナルドの到達し得なかった地点だと思う。私はその時から、ミケランジェロ派になった。

 俗っぽい言い方をすると、ダ・ヴィンチの作品は、美男だったと伝えられる彼の容姿のように、誰にでもさっとわかるが、深みに欠ける。醜男だったと伝えられるミケランジェロの作品からは、彼の精神の悩みが感じられる。そして、最後の作品の精神性において、彼はダ・ヴィンチを超えた。醜男の芸術はそれでいいのだ!などと、大天才ミケランジェロに対して失礼なことを考えていた私ですが。

 ミラノに行かれる方は、是非、この作品を見ることをお薦めします。画集ではわからない作品の本質や価値は、実際にその作品と同じ空間に身を置いてみないとわからないものだというのが私の経験から言えることです。

 さて、ミケランジェロの他の作品についても少しだけ書いてみたい。次のローマ教皇の選挙(コンクラーベ)が行われることがニュースになったサン・ピエトロ寺院にあるシスティナ礼拝堂には、彼の最も有名な絵画作品(天井画と壁画)がありますが、その天井画のなかに、ミケランジェロが描いたもっとも可憐な乙女の像があります。「デルフォイの巫女」と呼ばれるその乙女の像は、男性美と筋肉美の崇拝者のような彼が描いた天井画の像の中で異彩を放っていて、見るものをほっとさせてくれます。もし、これからこの天井画を見る機会のある人は、彼女の像を捜してみてください。

 ベニスでだったと思いますが、イタリア人のガイドがある天井画の説明をする時、「世界で最も美しい天井画は、バチカンのシスティナ礼拝堂にあります」と言っていたのを思い出しますが、現代のイタリア人にとってもミケランジェロの作品は彼らのプライドの最も重要な根拠なんだなあと思いましたが、私は、ダ・ヴィンチとの比較で、美男と醜男の芸術なんてことを考えてしまいました。ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」の素晴らしさを多くのひとに知ってもらいたくてこの文章を書いたのですが。

 ※「ロンダニーニのピエタ」のある「スフォルチェスコ城美術館」はミラノのPiazza Castelloにあります。ドゥオモから歩いて行ける距離にありますので、機会のあるかたは是非訪れてみてください。

 ご意見お待ちしています。マイホームページの掲示板「あざみ広場」のほうものぞいてみてください。

 

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ペイントギャラリー~だれも乗っていない不思議の船~

daremonotteinaifusiginofune
「だれも乗っていない不思議の船」 by wataru
     春ですね。でも、花粉症の私としては、憂鬱な季節です。     次回は絵本を紹介しますね。

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ペイントギャラリー~Bird Year~

toritatinoe2
「鳥たちの絵」  by kai
 あけまして、おめでとうございます。 今、感じているのは、ほんとうにすばらしいものは、特に、刺激的でもなく、仰々しくもなく、最先端でもなく、そして、悲しいことに現在では、それらの多くはマジョリティーでもなく、野に咲く花のように、夜空の星のように、ひっそりと、でも、いつまでも変わらずに存在しているということ。 そういうものとの出会いを紹介していきたいと、思っています。

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エルスケン写真展~セーヌ左岸の恋~

 高知県立美術館で開かれている「エルスケン写真展」に出かけた。(12/5~’05.1/30まで)私の手元に、'85年にリブロポートより初版が発行された「エルスケン 巴里時代」という写真集がある。私が買っているのは’88年に発行された4刷だから、写真集としては、当時としてはかなり売れたほうなのではないだろうか。展覧会では、写真集「セーヌ左岸の恋」が売られていたが、リブロポート版では、「セーヌ・・・・」の写真だけでなく、当時のパリの街角や市井の人々を撮ったもの(ブレッソン風)、有名人を撮った珍しい写真なども掲載されている。「セーヌ・・・・」以外の写真では、市井の人々を撮った写真と、有名人を撮った写真では、前者では、被写体に対する愛情のようなものが感じられるが、後者の有名人のポートレイトやスナップなどからは、対象との距離や皮肉っぽい眼差しさえ感じられて、そういうところは彼らしい。
 さて、「セーヌ左岸の恋」であるが、撮るほうと、撮られるほうの距離がほとんど無い写真、若い彼だからこそ撮れた写真といえると思う。それにしても、この暗さはなんだろう。時代の不幸と個人の不幸がリンクしている。アンの写真に、この物語の登場人物ロベルトの言葉として「不幸せなことがひとつの生き方になっていた。悲惨と堕落が僕たちの美。不幸がふつうのことだった。」と添えられている。この時代、戦争が終わって開放されたはずのパリにこんな暗い青春があったなんて。この写真集を買った当時の私はまだ、青春に片足位は突っ込んでいるような時期で、日本はというとバブルの真っ最中、暗さとか不幸とかは、個人の片隅に追いやられていた。そんな当時の私に、この写真集は、今よりも、大きなインパクトを持って突き刺さって来た。その写真たちは、「もっと暗さを!」と語りかけてきた。
 青春期なんてとうの昔に過ぎ去り、バブルも崩壊し、隠されていた不幸や悲惨が、以前程、珍しいものではなくなりつつあるような今、私はこの写真に、最初に出会ったとき程のショックは受けない。そこに、写っている当時の風俗(というには、あまりにも痛ましいが、)に憧れるようなこともない。只、時代を超越しているようなアンこと画家のヴァリ・マイヤーズの眼差しの普遍性には、変わらずに惹きつけられる。
 「世界の不幸から目をそらすな。」と、いわれているようで。

 アンは言う。「サンジェルマンで生き残った若者たちなんて、片手で数えるほどよ。夢も希望もない、つらい世界だった。・・・・・・・」  (「エルスケン 巴里時代」より)

 しかし、アンは、生き残った。そして、エルスケンも。芸術のちからによって、かれらは救われたのだと思う。


 「エルスケン写真展」高知県立美術館(TEL・088・866・8000)で’05、1/30(日)まで

 

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ペイントギャラリー

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メリー・クリスマス by kai

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ペイントギャラリー

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「小さな仲間たち」  by wataru

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