ローマ教皇が亡くなられて、世界中から注目されているバチカンのサン・ピエトロ大聖堂内にミケランジェロ作の「ピエタ」がある。ピエタとは”哀れみ”という意味のイタリア語ですが、キリスト教美術では、十字架から降ろされたイエスの遺体を抱いて悲しむ聖母マリアの像のことです。ミケランジェロは、生涯に四つのピエタ像を制作していますが、なかでもバチカンにあるピエタ像が一番有名で、唯一の完成作です。バチカンの「ピエタ」の聖母マリアは、乙女のように若く美しく造られています。でも、私が紹介したいのは、バチカンの「ピエタ」ではなく、ミラノのスフォルチェスコ城美術館にある、ミケランジェロの未完の遺作「ロンダニーニのピエタ」のほうです。
この作品は、ミラノのスフォルチェスコ城というお城の美術館の一番奥の部屋にあります。私は、その作品に辿りついた時、自分でもどうしてなのかわからないけれど涙があふれ出して止まらなくなってしまったのです。後にも先にも、絵や彫刻を見て泣いたのはこの時一回だけです。
例えば、ゴッホの絵からは、ゴッホの気配のようなものを感じたりするんですが、美術館を回っていて、近くにゴッホの絵があると何となくその気配が感じられるんです。ゴッホの絵の妖気とでも言ったらいいのか、「近くにゴッホがある!」というのがわかるんです。そのことを「すごい」とは思うけれど、絵を見て泣いたりはしない。
そして、ダ・ヴィンチの絵画。私は、画集で見ていた頃は、ミケランジェロよりダ・ヴィンチのほうが好きでした。ダ・ヴィンチがミケランジェロの作品を下に見ていたように、私もミケランジェロの作品は、マッチョ過ぎて、過剰で、ダサイと思っていたのです。それに比べて、ダ・ヴィンチの作品のなんて優雅で貴族的なことか、と思っていました。でも、ルーブルで「モナリザ」を見ても、ウフィッツイ美術館にある、美しい天使の絵を見ても、ミケランジェロの作品(「ロンダニーニのピエタ」)に接した時の涙を流すような感覚は沸いては来なかった。なんとなく、絵がすーっ、すーっと通り過ぎていくだけの感じとでも言ったらいいのだろうか、作品の繊細さなどには感心したりはするのだけれど、それ以上の気持ちは沸いて来なかった。天才が、さらーっと仕上げたとでも言ったらいいような淡白な作品という感想以上のものが・・・。どの作品も有名過ぎて、その作品を前にしても、「これは知っている」という確認作業に終わってしまうからだろうか・・・。
例えば、あのバルセロナにあるサグラダ・ファミリア教会を見た時も、私には、写真でそれを最初に見た時以上の感動が沸いて来なかった。何の予備知識もなく、この建築に突然出遭ったとしたら、もっと違っただろうかと、その時ふと思ったのですが、それと同じことをダ・ヴィンチの作品に接した時にも思ったのですが。
ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」に接した時の感覚を、言葉ではうまく表現できないのですが、天才ミケランジェロがその生涯の最後に到達した彼の精神の苦闘の軌跡がこの作品に全て結実しているとでも言ったらいいのでしょうか。たぶん、手先や目なども不自由になりながらの制作だったのでしょう。そのことによって、却って全盛期の完成作品には見られない精神性が備わっているのです。ダ・ヴィンチによって、「解剖学にとらわれ過ぎている」と批判されていたミケランジェロですが、彼が人生の最後に到達したこの作品の精神性は、レオナルドの到達し得なかった地点だと思う。私はその時から、ミケランジェロ派になった。
俗っぽい言い方をすると、ダ・ヴィンチの作品は、美男だったと伝えられる彼の容姿のように、誰にでもさっとわかるが、深みに欠ける。醜男だったと伝えられるミケランジェロの作品からは、彼の精神の悩みが感じられる。そして、最後の作品の精神性において、彼はダ・ヴィンチを超えた。醜男の芸術はそれでいいのだ!などと、大天才ミケランジェロに対して失礼なことを考えていた私ですが。
ミラノに行かれる方は、是非、この作品を見ることをお薦めします。画集ではわからない作品の本質や価値は、実際にその作品と同じ空間に身を置いてみないとわからないものだというのが私の経験から言えることです。
さて、ミケランジェロの他の作品についても少しだけ書いてみたい。次のローマ教皇の選挙(コンクラーベ)が行われることがニュースになったサン・ピエトロ寺院にあるシスティナ礼拝堂には、彼の最も有名な絵画作品(天井画と壁画)がありますが、その天井画のなかに、ミケランジェロが描いたもっとも可憐な乙女の像があります。「デルフォイの巫女」と呼ばれるその乙女の像は、男性美と筋肉美の崇拝者のような彼が描いた天井画の像の中で異彩を放っていて、見るものをほっとさせてくれます。もし、これからこの天井画を見る機会のある人は、彼女の像を捜してみてください。
ベニスでだったと思いますが、イタリア人のガイドがある天井画の説明をする時、「世界で最も美しい天井画は、バチカンのシスティナ礼拝堂にあります」と言っていたのを思い出しますが、現代のイタリア人にとってもミケランジェロの作品は彼らのプライドの最も重要な根拠なんだなあと思いましたが、私は、ダ・ヴィンチとの比較で、美男と醜男の芸術なんてことを考えてしまいました。ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」の素晴らしさを多くのひとに知ってもらいたくてこの文章を書いたのですが。
※「ロンダニーニのピエタ」のある「スフォルチェスコ城美術館」はミラノのPiazza Castelloにあります。ドゥオモから歩いて行ける距離にありますので、機会のあるかたは是非訪れてみてください。
ご意見お待ちしています。マイホームページの掲示板「あざみ広場」のほうものぞいてみてください。
Recent Comments