Posts categorized "日記・コラム・つぶやき"

噓臭くない真摯さ

↓※この記事は2009-05-03 にgooブログに掲載したものの再投稿です。

 清志郎の訃報を聞いて、彼の音楽やその活動について、なにか評論めいたことなんてなにも書きたくないし、そんなものを聞きたくも、読みたくもない。そんなものを読んだりするくらいなら、内田裕也のように意味不明な言葉を口ばしって、ごまかすほうがマシだ。泉谷の「オレとしては忌野清志郎が亡くなったコトは受け入れません」というコメントが一番ぴったりくるよ!強いて評論家めいた言辞を弄するなら、彼とともに「嘘臭くない真摯さ、正直さ」が失われてしまった気分。RCは都立高校の同級生達による”東京ローカルバンド”だった。「日本の芸能界なんてしょぼいからね」と言っていた彼の言葉のように、そんな(しょぼい)芸能界で生きていかざるをえない自分の立ち位置を、醒めて客観視していたことが、彼の音楽だけでなく、俳優としての演技など、すべての活動から窺われる。彼の「真摯さ、正直さ」が嘘臭くないのは、その自己も含めた周囲を見つめる醒めた視点があるからだ。そしてその視点は、あの時代の都立高校の風土の中から醸成されたものだった思う。私は、そんな彼のファンだった。
 そして私もこう言いたい。
 「忌野清志郎が亡くなったコトは受け入れません」と。

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男の子、女の子ー過去記事の再掲載

↓※この記事は2006-04-24にgooブログに掲載したものの再投稿です。

 本題に入る前に、現代人の(特に女性の)外見についての完璧主義について少し書いておこうと思う。これは、私が以前にこのブログで紹介した本「未熟なオトナと不遜なコドモ」(ロバート・ブライ著)「女性の身体はスリムで若くなければならないという強迫観念」と表現されていますが、私たちは、そして殆どの少女たちが、この強迫観念にしばられて、膨大なエネルギーを外見に、そして、痩せることに集中しているのです。そのバカバカしさ・・・。以前に紹介した箇所と重複するかもしれませんが、同書からもう少し引用してみます。「教養を身につける苦労を怠る者、代わりにナルシシズムに浸り」「女性たちもまた、肉体的にも感情的にも若く、さらには未熟であれと社会に命じられている。」「イニシエーションを体験していない女性たちのナルシシズムはきょうだい主義社会を直接あおり、男性の思春期の延長とも共謀している。」

 さらに、”美意識”についての清水真砂子氏の意見も引用しておきたいと思う。
 
 ”美意識”とは私たちにあいまいさを許し、しばしば人を傲慢にさせる。
 
 美意識とは「自分が美だと考えるものが、人間の本性の底にある真実や善と結びつくはずだという観念」といってよい。

 そして、「強い」もの、「りりしい」もの、「美しい」ものに惹かれる人間の性に留意して、たえず相対化し、惹かれそうになる自分に待ったをかけると。
 そして、権力機構の中枢は、意外に、美意識をくすぐる、いき、スマートな性質を持っていたりするとも。
      (「子どもの本の現在」現在を見すえて―上野瞭論より 清水真砂子著)

 私も、美意識にしばられ過ぎている女性達の例にもれず、美形を観賞することにはやぶさかでないのだが、「美しいものが善や真実と結びつく」という思い込みからは自由でいたいと思う。もちろん、「みにくいものが善である」という思い込みもまた真実ではないのだが。

 さて、本題に入りたいと思いますが、最近また、思春期の男女間の痛ましい事件のニュースが報道されましたが、こういう事件が報道されると、現在男の子を育てている親としては、男の子がまっとうに育つことの困難さや、男の子に対する否定的な見方や彼らの置かれている状況の難しさを思ったりするのですが、ここでは、少し話しを異性間のトラブルにしぼって話してみたいと思う。ここでも、(これもまた以前にこのブログで紹介しましたが)少年の特徴をわかりやすく解説してくれる著書「男の子って、どうしてこうなの?」(スティーヴ・ビダルフ著)から引用したいと思う。
 ところで、現在参観日とかで学校へ行って気付くことは、(特に小学校高学年で顕著なのですが)一般的にやる気があって成績がよく元気なのは女の子で、男の子は―積極的な子は粗野で攻撃的な方法の自己表現に走るのでアナーキズム化し、消極的な子は自分をうまく表現できないために、とても自信がなくやる気もなさそうで逃避的な様子で精細がない―といった二極化の様相を示しており、どちらにしても、この時期の男の子は女の子に比べてやっかいもの的で否定的なイメージで捉えられているのではないだろうか。そしてそういうイメージに拍車をかけているのが最近の少年事件で、それらによってまた少年に対する否定的なイメージが社会的に形成されている。どちらのタイプにしても、この時期の少年達は劣等感を抱きやすい条件が揃っている。そして、そのことに対する充分な周囲の理解と援助が無い場合、その劣等感は、容易に周囲(女の子)に対する攻撃的言動となって現われる。多くの少年事件は、少年たちのこの心理で説明できるものだと思う。そしてそれに拍車をかけているのが、少女達の未熟な皮肉っぽさで、必要以上に辛らつで残酷な彼女達の言動によって、少年たちは更に傷つき怒りをため込むようになる。

 実際には、少年たちの知らない少女たちもまた、しばしば自信のなさや居心地の悪さを感じている。彼女たちも少年たちと話し、愛情を分かちあいたいと思っているのだ。もし少年たちがもう少し社交術に長けているか、大胆であれば、男の子と女の子のあいだに、もっと肯定的な関係が生まれるだろう。ところが、少女たちはおたがいにささやきあい、少年たちをあざけっている。少年たちは少女たちを困らせ、おとなしい子たちは少し離れたところに立ったまま、くよくよ考えてばかりいる。
 「陰湿な」心の性質(「もし少女と対等につきあえないのなら、彼女たちを操るしかない」という心持)がしばしば芽生えるのはこの段階においてである。ヌード雑誌やソフト・ポルノのようなミュージック・ビデオによっては救われない。「見て、でもさわっちゃだめ」というメッセージは規模の大きないじめにすぎない。それは強い性的な充電をひきおこし、発散されないままに心のなかで怒りに変わっていく。現実の少女と話すチャンスがあまり持てないと、少年たちは女性を操作したり支配したりすることを夢想しやすくなる。彼らの女性にたいする態度や、人間としての女性とつきあう能力は劣化するいっぽうだ。
                  (「男の子って、どうしてこうなの?」170頁~171頁より)

 わが子の経験で言えば、それは、下の子がまだ小学校の低学年の頃のことなのですが、ある女の子に「おはよう」とあいさつしたら、その女の子は、いっしょにいた女の子とひそひそとささやき合っただけで(何と言ったかは知りませんがたぶん息子の事を半分ばかにしたような言動だったと思います)あいさつはなかったようです。それを聞いて、私は「(彼女の)その態度はおかしいね」と彼に言いましたが、彼にとっては、「自分は女の子には相手にされないのだ」というトラウマのような経験だったかもしれないと思います。こういう経験が積もり積もっていくと、傷つきやすい子のなかには、女の子に対する憎しみの感情をため込んで、ニュースで報道されるような残酷な行動に走ってしまうという不幸な事件が起こってしまうのではないでしょうか。
 そういう痛ましい事件を起こさないためにも、社会や女の子の男の子に対する理解や助言が求められているのではないでしょうか。そしてそれは、今の多くのTVメディアなどには見いだされないものだと思います。
 どうか、少年たちに理解とよりよい助言を。

 最悪なのは思春期の子どもたちを放っておくことである。(同書より)

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つれづれ日記(完全主義の滑稽さ)-過去記事の再掲載

↓※この記事は2006-04-11 にgooブログに掲載したものの再投稿です。

 学校の新年度が始まって、(我が家にはピカピカの中学一年生もいるので)入学式やら諸々の書類提出やら家庭訪問やらで、4月もばたばたとあわただしく気忙しく過ぎていきます。

 そんななかで、最近感じていることを少しだけ書いてみたいと思ってます。私のブログを読んで下さってるかたはご存知だと思うのですが、我が家の子どもは二人とも男の子なので、母親にはわからないその習性にうんざりしながら、可愛く思ったりして過ごしているわけですが、何が言いたいかと言うと、彼らも発展途上中ではありますが、れっきとした一個の他者ですから、(彼らのアホな行動に”そんなばかな”と思いつつ)強権発動は極力控えて付き合っているわけです。(この点を本人たちに聞いたら大いに異論はあると思いますが。)で、日ごろ私が何となく感じているのは、子どもとの関わりにおいて、子どもが自分にとって異性であってよかったかなという点で、私から見て、それはちょっとと思うような行動があっても、彼らが男の子であるということから来るワンクッションが、私の反応にあると思うのです。ぶっちゃけて言うと”男の子だから仕方ないか・・”と諦めつつ、ダマシダマシの子育てをしている感じがあって、時々”もうすぐ堪忍袋の緒が切れる!”とか”仏の顔も三度まで”と宣言してぷっつんしていますが、女の子がいないので、この点、同性の子どもの場合だとどうなのかと想像するだけなのですが、きっと、向こうが母親に自己同一化してきたりすると、親子共々、色んな反応とかが完全主義になってしまうようなことがあると思うのです。私は、昔から、女の子のそういう極端さ、極端に清潔さを求めるとか、極端に美を求めるとか、痩せてなければならないとかなどの、極端に「こうであらねばならない」と考えて、かた苦しくなってしまうという点が苦手で、色んな点である程度アバウトな男の子を見ているとほっとしたりするのですが、最近は、そんな男の子たちも、母親たちの完全主義の影響を受けて自らをかた苦しくしている傾向もあると思うのですがどうでしょうか。
 極端な完全主義の滑稽さは、あの有名なゴージャス姉妹に感じる滑稽感が最もわかりやすい例ではないでしょうか。(彼女達は大真面目にやっているのだろうが、あの巨大すぎる胸ひとつとっても”ムネハオオキクナケレバナラナイ”という美意識に対する完全主義的な帰結として見たら大笑いだ。)まあ、あれほど分かりやすい例でなくても、周囲の空気を固苦しくさせている(そして客観的に見れば滑稽な)女性たちの完全主義には気をつけようと、自省の気持ちを込めて思います。
 
 「なにごともほどほどでいいではないですか」、と。

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再度、私のブログを訪問して下さった方へ

 私のブログを訪問して下さった方へ、前にも書きましたが、再度です。

 ブログパーツに貼り付けてるツイッターの私がリツィートした方々のツィートも読んで下さい。

 そしてもしよろしければ、ツイッターにログインして過去のツイートも読んでみて下さい。

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私のブログを訪問して下さった皆様へ

私のブログを訪問して下さった皆様へ、

どうかブログの横に貼り付けてるブログパーツのツイッターの

私がリツィートしている方々のツイートもチェックして下さい。

いま、本当に日本のこれからに不安と危惧を抱いています。

領土問題という餌を投げ入れられて、マスコミや極右政治家たちに煽られて、彼らに喝采していれば

”いつの間にか締まっているのは自分たちの首”ということになってしまうでしょう・・。

からくりはいつも同じです。

”腹痛で総理を途中降板したひと”を再選した極右党や、

”維新独裁ごっこ”をしている某市長の党に政権を渡してはいけません!

耳あたりのよい勇ましい言葉に煽られてはいけません。

経済面だけから考えても、現在の日本は中国とも韓国とも国交断絶するわけにはいかないのです。

先人達の戦後の努力を無にするような乱暴な輩の甘言に喝采しているうちに締まるのは彼らではなくて自分たちの首なのです・・。

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やっとツイッター始めました!

時流から遅れることどれぐらい?かもわかりませんが、ツイッターを始めてみました。

まだ用語とか機能とか把握してませんし、そんなに熱心でもありませんが、とりあえず、ブログのサイドバーにパーツとして貼り付けてみました!

今日は、少し昼間の気温が上がりました。

我家は息子ふたりがインフルに感染しました。shock

ひとりはなんとか復活して今日から修学旅行です!

ちなみにA型だったので、たぶん新型だろうとのことです。(ちなみに予防接種はしてました!)

あすは早くも節分ですね。

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あけましておめでとうございます(&クリスマスの写真)

 あけましておめでとうございます!

 しばらくアップできなくて、ほったらかし状態ですが、

 新年のご挨拶と、写真のアップだけしておきます。

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 左の2枚は室内のツリーです。写っている木製のオーナメントは、その素朴なところが気に入って、長男が1才の時に買ってからずっと使ってます。

 右の写真は、玄関に、生の樅の木の枝を花瓶に挿して、飾り付けをしたものです。枝は小振りのもので150円くらいでした。買って来た時は、とても良い木の香りがしてました。

 クリスマスにアップしたかったのですが、年が明けてしまいました。それと、3枚ともろうそくの灯りで写したので、ちょっとわかりにくいかと思いますが。

 1月いっぱい忙しいので、映画とかもあまり見れなくて、2月になったら、またぼちぼちアップしたいと思ってます。

 今年は、「プロバンスの猫たち」というカレンダー(猫がというより猫の背景の風景が気に入ったので)と、いつもの雑誌の付録の花のカレンダーを買いました。

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「硫黄島からの手紙」TV放送&ブログの検索ワードを見てのつぶやき

 「硫黄島からの手紙」がTV放送されました。カットされている部分があったのは残念でしたが、残酷なシーンがあるため、TVでの放送は無理なのかなと思っていましたので、良かったと思います。改めて、イーストウッド監督の作風に敬意を表したいと思います。それと同時に、日本人の描く戦争映画が、この映画のレベルにまで全く達していないことに、落胆させられますが、私たちは、この映画によって、やっと、六十年以上も忘れ去っていた、硫黄島の戦いと、そこで命を落とした日本兵の気持ちに、心を向けさせられたのです。この映画が、これまで、受けた傷の深さのためか、きちんと検証されてこなかった、戦場の真実と、実際に戦った兵士の証言に私たちの目を向けさせるきっかけになったと思います。
 それと改めて西郷役の二宮和也の演技力を再認識しました。清水の遺体が発見されて、西郷が遺体に清水の千人針をそっと置いて泣くシーンで、西郷が、遺体のほうを見つめながら画面をすーっと横切るんですが、その時の彼の表情が素晴らしい!


 それと、ブログの検索ワードに、夏休みの宿題の読書感想文関連らしい、本カテゴリーの検索が数件入っているのに気が付きましたが、参考にしていただくのはかまわないのですが、どうか、コピー&ペーストだけはやめてくださいね。以前、偶然に、自分がまったく投稿していないある掲示板で、自分が書いた文章の一部を見つけたときには、なんだかなあ~と思いましたので。

 
 ※参考記事 「硫黄島からの手紙 」

 ※参考記事 男はどうして戦争映画がすきなのだろう(「硫黄島からの手紙」を観て感じたこと)

 ※参考記事 「父親たちの星条旗」より

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ツリー&キャンドル&手作りケーキ

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Happy New Year !ですが、去年のクリスマスの写真をアップしておきます。ろうそくの灯りっていいですね。右後ろは、オーナメントを飾りすぎて、満艦飾になってしまった小さなツリーです。

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「 漱石の凄さ 」

 いまさらという感じもあるんですが、ドラマ「 鹿男あをによし 」の1話は、凄く面白かった。私にとって、ドラマ自体は尻すぼまりな感じになってしまったのですが、1話は面白かった。それは、どうしてだったのかを考えていたら、それは、1話は、漱石の「坊ちゃん」だったからだ、と思い当たり、やはり小説家、夏目漱石の偉大さを再認識した。でも、段々トーンダウンしてしまったのは、最大の危機に関する謎解き部分にいまひとつぴんとこなかったからだ。それなら本家坊ちゃんのような青年の成長物語の比重がもっと大きければもっとおもしろかったと思う。NHKあたりで、漱石原作のドラマとか、小説家や詩人の伝記ドラマとか昔はよく作られていて、それなりにおもしろかったけれど、またそういうのやってくれないかなと思う。

 私は、他人の理屈よりも自分の感覚を信じる。悪いけど。でも多くの人は、自分の好きなひと(あるいはテレビや新聞に出てるひとと言い換えてもいい)の言動であれば、無条件に信仰してしまう。自分で考えるのが面倒くさいから、「すきな人(テレビに出てる有名人)がこう言っていたからそれはそうなんです」というひとのなんと多いこと。いくら好きなひとの言葉でも変なものは変なのに。そこまで考えないか、と思わず思う。脳ミソがテレビだけでできているような・・。メディアリテラシーというか、そんな言葉を持ち出さなくても、ちょっと意識して他のメディアにも目を通して、テレビを見るとその変さ、そしてそれに出ているひとたちの言動の変さにはすぐに気付くはずなのに。 結局、大雑把な感想を言わせてもらえば、大人がいなくなってしまったと思う。もてはやされているのは子ども(思春期気分の大人も含む)ばかり。そして大人と呼ばれているひとたちも、(思春期の)子どもにばかり喝采を送っている。そんな世界。それはやっぱり異常なんですよ。思春期で止まったエセ大人にミスリードされた耳年増の子どもが増える。世の中なんてこんなもの、現実なんてこんなものと経験もしてないことを知ったつもりになる。それは、やはりとてもまずいことだと思う。

 昔も子どもむけのドラマはいっぱいあった。でも上質の大人向けのドラマもあった。それが、なんだかなぁ~。映画も自己満足っぽいものや、テレビ局の絡んだタレント頼りのものばかり。だから、それならっいっそ、漱石の小説をとか中也の伝記をとか思う。彼らの悩みは充分現代的だし、あの暗さを含んだ諧謔も、”いま”、ならもっと理解されるのではなどと思ったりする。

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