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天木直人氏の団塊の世代へのメッセージ

 天木直人氏のホームページ、10月9日の「メディアを創る」で、天木氏は「団塊の世代はお荷物で終わることになるのか」と題して、慶応大学教授の金子勝氏の毎日新聞での論説を引用しながら団塊の世代へメッセージを送っている。
 
 天木氏はその文章の最後を
 
 「昭和22年生まれ、団塊の世代の真っ只中に生まれ、育った私は、団塊の世代こそ常にもっとも激しい競争社会を生き抜いて来た世代であり、その人口の多さゆえに優秀な人間も多く、時代をリードする宿命を負わされてきた世代であるとおだてられ、また自らもその気にさせられてきた世代であることを知っている。
しかし今私は同じ団塊の世代に語りかけたい。本当にそうであったのかと。気がついてみたら何も出来ずに、何もなそうとはせず、手に入れたそこそこの経済的豊かさに満足して終わろうとしているのではないのかと。
余生を安逸に過ごすことに専念するのもいい。しかし最後に一度ぐらい世の中の為に尽くすことを本気で考えてもいいのではないか。全学連闘争の真意は何であったのか。自分の為に騒いだだけだったのか。
これほどまでに壊れてしまった日本の政治、これほどまでに米国に膝を屈した小泉自民党政権の誤りを変えようと努力することなく社会のお荷物のままで人生を終わっていくのであるとすればあまりにも悲しい。」
 
 という言葉で締めくくっている。

 彼らの言動に大きな影響を受けて来たと思われる私自身の彼らへの今の気持ちは、天木氏、金子氏の意見に全く同意で、現状の彼らに対しては、” 騙された ”、 ” 失望した ”、” 信用できない ”という全く否定的な評価、不信感しか持てない。そして、この天木氏の呼びかけが彼らの一部の人にでも届けばと思わずにはいられない。私は、彼らの中から出て来た代表的な文化人、芸能人などの底の浅さ、胡散臭さ、拝金主義、現状肯定主義、などの全てに失望している。

 ※ウクライナ戦についての記事をgooブログのほうに書きましたので、興味のある方はのぞいてみてください。

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20代の右傾化について

 前に私の掲示板の方でちょっと触れさせてもらった日本の20代の右傾化について、少しだけ書いてみようと思う。あの天木直人氏のホームページの8月15日の記事「あの戦争は止むを得なかったのか」の記事で評論家、保阪正康氏の「日本が右傾化する傾向が20代や60-70代にみられる」という言葉が紹介されていますが、(60-70代の右傾化については、私のホームページの掲示板の8月25日の「無題」という書き込みでちょっと触れさせてもらいましたので、そちらを参考にしてもらいたいと思いますが、)今回は、20代の右傾化について少しだけ書いてみたいと思います。(合わせて、リンク先のそれらの記事も読んでもらえたらと思います。)
 
 20代の右傾化については、彼らのそういう傾向というのは、思想と言えるほど深い思考に基づくものでもなく、60-70代のように自身の受けてきた教育や経験によるどうしようもない心情と言うのとも違う、とても観念的なものでしかない印象を受ける。たぶん、ナイーブである彼らが、ナイーブなままに、彼らの中にある左翼へのぼんやりとした感情的反発から、それらを面白おかしく揶揄し、反日的と言われるアジア各国を勇ましくこきおろし、自分達の自尊心をくすぐってくれる―例えば小林よしのりのような(私から見れば彼のマンガは男のヒステリーにしか見えないが)単純で非現実的な断言者達(ハーメルンの笛吹き)の声にファッション的に付和雷同しているのにすぎないように見える。
 パーティーにナチの腕章を付けた姿で出席して批判された英国の王子のように、ファッション的な右傾化、現実への不満の捌け口のような右傾化でしかないと思う。(王子には説教してくれる父親がいたわけですが・・。)

 ところで、このことに関連して紹介したいのが、共同通信ワシントン支局長杉田弘毅氏の「戦後60年の日米関係」という評論です。その中で杉田氏は、今年7月14日に「米下院が圧倒的多数で可決した戦後六十年決議」の東京裁判条項 「東京裁判の戦犯判決を再確認する」について言及している。以下に少し引用してみます。

 
 「米連邦の公的機関として初の東京裁判に関する声明」(米議会調査局)というこの条項は、第二次大戦に出征したハイド下院外交委員長が提案した。「日本で広がる東京裁判見直しの機運を認めない」(同委員会スタッフ)という米国の決意表明である。
 米主要メディアは小泉純一郎首相の終戦記念日の靖国神社参拝見送りや、「おわびの気持ち」を表明した首相談話を「驚くほどの和解的なトーン」(ワシントン・ポスト紙)などと評価した。日本が伝統的な太平洋戦争観の枠にはまっている限り、米国は安心する。   (「戦後60年の日米関係」より)


  その記事は、米国は日本に平和主義からの転換を求め、日本の対テロ戦争への軍事的貢献を容易にしたいとの思惑があるが、そのことは日本人の「近現代史や太平洋戦争への見直しをも噴出させる、もろ刃の剣でもある」と続き、さらにそのことによって、日本が「良好な対中関係を描き、東アジア共同体を築こうとする新アジア外交に動きだす可能性」もあるが、その場合は、「米国の国益と正面からぶつかる」ことになり、「米国は強烈な圧力をかけてくるだろう」と続いている。
 このアメリカの思惑のねじれがそのまま日本の戦後のねじれになっていると思うが、それでも、米下院の決議というのは、アメリカの太平洋戦争についてのオフィシャルな意志表明だろうし、それに対して公式に真っ向から反対する態度を表明することなど、少なくともファッション的身振りでしかない彼らにできるとは思えない。アメリカの掌の上の彼らにできるのは、せいぜいアメリカの国益に反しない単視眼的な嫌中、嫌韓、嫌北朝鮮的態度位だろう。

 この辺りの事情については、gooブログでも紹介した立花隆氏の記事の「日本の政治を動かす”アメリカの意志”」という項なども参考にしてください。

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