「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイアモンド」 (「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」より)
「ルーシーはダイアモンドを持って空にいる 」
映画「アイ・アム・サム」でビートルズの曲を聴いて、久しぶりにジョンのことを色々思い出しました。
ジョン・レノンが、ニューヨークの自宅ダコタアパート前で殺されたのは、1980年12月8日のことでした。ヨーコの目の前で、狂信的なファンの銃弾に倒れたと報道されました。
当時の私にとって、音楽(ロック)、ビートルズ、ジョン・レノン&ヨーコが私のなかで占めていた割合は、今と比べようが無いほど大きかったのでかなりのショックでした。
「なんで、ジョンが?」 「なんでジョン・レノンが殺されなければならないんだろう。」 と、しばらく反芻し続けた。
で、腹立たしく思いながらも、何とか自分を納得させるために考えたことが、殺されたのは、ミック・ジャガーでもポール・マッカートニーでも無くジョン・レノンだったということ。このことが、ジョンの存在の大きさを意味しているのだと思って無理矢理自分を納得させた。
死の前のジョンは、ハウスハズバンド宣言をして仕事をヨーコに任せ、自分は家事や息子ショーンの育児に専念していた期間をそろそろ終えて、ヨーコといっしょに新しいアルバムをレコーディングしたばかりでさあこれからという時期だっただけに、彼らが紡ぎ出していた新しい物語の先はもう永遠に見れないんだという深い喪失感を感じた。
ジョンの死については、当時から今日までずっと陰謀説が消えないし、真相もわからないが、9・11のテロの後にジョンの曲「イマジン」がアメリカで放送禁止曲になったりしたことなどを考えると、現在のアメリカの体制側の人々にとっては、生きていれば最も邪魔な存在だったことは間違いない。ジョンが私たちの前から姿を消してしまった今となっては、もし、彼が生きていたらと考えてもしょうがないことかもしれない。でも、その後の世界の向かっている方向を見ると、もし、彼がいたならば、と考えてしまう。
ビートルズ時代のジョンのファンやヨーコのことをよく思わない人たちは、彼のこの時期のライフスタイルや政治的発言などをあまりよく思ってなかったみたいなのだが、死の直前のインタビューなどを読んでも、彼がロックのスターとしてではなくひとりの人間として、そして、なによりも父親として生き直していた時期だったし、常にヨーコのことをかばっていたし、自分はもうあんまり人気が無くなって忘れられているなんて弱気な面も見せたりしていた。(あなたが人気が無いなんて冗談でしょうと思ったりしたことを覚えている。)そんなジョンの自分の弱さもさらけ出せる率直さが永遠に失われてしまった。私は何をたよりに生きていけばいいんだろうとまで思った。
そして、今の私は音楽にあまりたくさんのことを期待しなくなった。
9・11のテロが起きた時、大きな喪失感とともに再びジョンのことを思い出した。
ジョンが生きていれば、そして、あの率直さで語ってくれたらとないものねだりに考えてしまった。
誰が言ったか思い出せませんが、彼の死について誰かがこう言っていました。
”私たちは、私たちの4番バッターを失った。”と。
音楽とは関係のないことばかりになってしまいましたが、ふいに思い出したので書いてみました。
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