Posts categorized "音楽"

中島みゆき 「 サーモン・ダンス 」

 さて、中島みゆきさんの古い曲を聴き始めてから、新しい曲も聴きたくなって、You Tubeで検索して聴いていたら、こんな”大人のエンターテインメント”の雰囲気のある曲に出会いました。

  中島みゆき  ” サーモン・ダンス ” 夜会「24時着0時発」より


 それと、こんな曲も、

  中島みゆき  ” ファイト! ”

  ” ファイト ”の歌詞については、彼女自身の体験ではなくて、たぶん、彼女のファンや、以前やっていたラジオの深夜番組への投書、葉書などが元になっていると思うので、歌詞としては、ストレート過ぎるかなと思う部分もあるのですが、そのストレートさは、中島みゆきの歌の特徴なのだ。直球で押してくる感じがすべての曲にある。そして、何よりそれらの傷付いた者たちの感情を歌詞にして歌うことで、彼女は、そこに表された感情に寄り添っている。そこが、素晴らしい。私の好きな件は、「私の敵は 私です 」という部分です。かつて、このような自己洞察を歌詞にして歌った歌手がいただろうか。彼女の歌詞のストレートさは、幼稚で皮相な皮肉っぽさの時代へのプロテストの意味があるのだと思う。
  


 

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中島みゆき 「Singles 」

 急に中島みゆきのある歌が聴きたくなって、その歌が入っている、彼女の70年代中頃から80年代中頃までのシングル曲を集めた3枚組CD、 「Singles 」を買って、聴いています。

 詩は、やっぱり巧い。歌声は意外に力強い。ちょっとついていけない曲もありますが、いま聴いても古びてない曲も多い。この”昭和の情緒”、は、やっぱりいいですわ。少しウェットだけど、演歌みたいに、それに酔ってるわけじゃない。女の弱さ、ふられた女の哀れさを装った曲も多いが、逆にしなやかな強さを感じる。そして、その孤独を見つめる彼女の強さに、じんと来る。そして詩はやっぱり巧い。

 ※参考記事 「 永遠の嘘をついてくれ 」 吉田拓郎&中島みゆき(2006つま恋)

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ぼくの好きな先生

 「ぼくの好きな先生」

 先日「三番目に大事なもの」をひさびさに聴いて、その強烈な皮肉に大笑いしました。

 

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梅林 茂さんの音楽

 以前から、その作風に魅かれていた梅林茂さんが音楽を担当している映画、「不夜城」と「ラヴァーズ」のサントラを購入しました。

 「不夜城」のサントラは、映画のセリフ入りで、作りがイマイチなのですが、ボーイソプラノのソロが透明な悲しみを醸し出す 2. Opening Title-FUYAJYOとラストの14. A Song for the Boys 、夏美の登場シーンでかかった哀感がありながらも華やかな雰囲気もある 3. Afraid to Dance-NATSUMI 、アコーディオンの音色がアンティークな雰囲気を醸すワルツ 6. Take This Waltz 、ヴァイオリンの旋律の哀愁溢れる寂しさにうっとりしてしまう12. Long Way to Homeなどが好きです。

 「ラヴァーズ」の方は、CDトータルとしての完成度は高い。もちろんチャン・ツィイーの唄う「佳人曲」と、キャスリーン・バトルの唄うテーマ曲「 Lovers 」もいい。

 今回、梅林さんのプロフィールを見ていて、彼が「 ロックのひとだった 」ことがわかり、その辺りに、その音楽性に自分が魅かれる理由があるのかなと思いました。

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ドラマ「 青い鳥 」

 gooブログにglobeのことを書いた記事の中で、TBSの「 青い鳥 」(1997年放送)というドラマ(主題歌がglobeの「Wnaderin` destiny」)のことを少し思い出したので、YouTubeで主題歌を聴くために、アップされているドラマの断片を見て、久しぶりにあのドラマのことを思い出した。
 
 globeの主題歌のイメージのように、主人公たち、豊川悦司(田舎の元駅員)と、その恋人で人妻の夏川結衣と、その娘の鈴木杏(成長してからは山田麻衣子)がまず、北へ、妻を追ってくる夫(佐野史郎)から逃れながら安住の場所を求めて逃避行する前半と、その恋人が死んでしまったのち、彼女の死(=自殺)の罪を被って服役したのち出所した主人公が、彼女の娘とともに、今度は南へ向って旅する。母の遺灰を、埋葬するための。南十字星の見える島(九州の南端にあるという設定)までいっしょに旅して、明け方のほんの一瞬、南十字星の四つの星のうちの一つだけが水平線近くに見える時刻に、ふたりが、母と恋人の遺灰を海に向かって撒くシーンが、とても印象的だった。しかし、今回もまた主人公は誘拐の罪に問われ服役することになる。その場所で、ふたりが交わす「青い鳥」の話(時のおじいさんのエピソード~「不幸を目印にして私を探して」)は、そのあとのふたりの駅での別れと、ドラマのラストシーンに繋がっていく。
 
 これらの旅はほとんどが鉄道というところが、なんかノスタルジーを掻き立てられるし、そこに逃避行という要素が加わると、さらに恋が、その不安定さゆえに甘美さが加わる、というところは、昔からのドラマの常套のように思えるが、脚本が野沢尚で、彼独特の暗さと哀切さを伴う独特な雰囲気のドラマだったと思う。そして、このドラマの豊川悦司と夏川結衣の若さと、その演技を見て、現在の彼らと比べて隔世の感を受けるのは私だけではないと思う。「青い鳥」は豊川悦司の主演ドラマの中のベスト1だと私は思う。視聴率では、出世作となったもうひとつのドラマにはかなわないと思うけれど、主人公の柴田理森は、高倉健が演じてきた日本のドラマの主人公の正当な系譜に繋がっている。

 そしてglobeの主題歌「Wnaderin` destiny」のえもいわれぬ暗さも、このドラマによくマッチしていたと思う。そして、その暗さこそがglobeの現代性だと私には感じられる。

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QUEEN GREATEST HITS

 前から、欲しかったクイーンのベストアルバムのCDを買った。彼らの前期のヒット曲が収められたベストアルバム「QUEEN GREATEST HITS」です。

 何年か前に、NHKのBSで、「世紀を刻んだ歌2 ボヘミアンラプソディー殺人事件」と題されたクイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」という曲について特集した番組を観たことがある。番組では、この曲の作者フレディー・マーキュリーの生い立ちや、この曲の制作課程の(おもにコーラス部分の気の遠くなるようなオーバーダビングの)検証や(そのためこの曲のライブでの完全な再現は不可能だった)、この曲での世界初と言われるプロモーションビデオの制作、この曲について論文を書いた女子学生の紹介、さらには、この曲が、イギリスでギネス社がミレニアム記念に行った、”英国史上最高のシングル曲は?”と言うアンケートで、ジョン・レノンの「イマジン」(2位)、ビートルズの「ヘイ・ジュード」(3位)を押さえて、堂々1位になったことなどが紹介されていて、「へえー」とびっくりするとともに、「この結果は、イギリス人の”エキセントリック”な嗜好を現していると思う。」とインタビューされた人が答えていたのを聞いて納得したりと、かなり面白かった。そして、ここ何年か、ドラマやCMで彼らの曲が使われたり、いろんなジャンルのスポーツイベントでも、「ウイ・ウイル・ロック・ユー」や「ウイ・アー・ザ・チャンピオン」がお決まりのテーマソングのように流されたりする状況を見たりしていると、初期のクイーンを知るものとしては、彼らが、ここまでのビッグネームになるとは、と感慨深いものがあります。(今で言うビジュアル系の)グラムロックの影響もあってかルックスやファッションが少女マンガの王子様風で、(フレディだけは微妙でしたが)日本では女子を中心にアイドル的な人気があって(初来日した時、本人たちも日本でのあまりの騒がれかたにびっくりしたとか)、(この日本での人気も本国で賛否あった彼らにとってかなり追い風になって)その後、チャートのトップになるような大ヒット曲を次々に生み出して、次第に女子人気だけではない大メジャーバンドになっていくのですが、その頃はそんなことになるとは知るよしもない私は、ヒットチャートを横目に、そんな彼らにヒットメーカーという以上の深い興味を持つことも無かったのですが、今、こうして、クイーンの曲を改めて聴いてみると、やはりイイですね。いろんな音楽の影響を感じるし、叙情性と力強さ、繊細さと大胆さが共存しているし、非常にポピュラーでありながら芸術性を失っていない(という点ではビートルズの正統な後継者と言えると思う)、芸術性が職人的な緻密さ(理数系のメンバーがいたためか)に裏打ちされているし、やはりフレディの声は素晴らしい・・・・。

 私は、イギリス人の最も好きなシングル曲の第1位に「ボヘミアン・ラプソディ」が選ばれたということを聞いて、びっくりしたと同時に、橋本治氏の「本当のNO.1はNO.2の場所にいることが多い」という言葉(どの著書だったか忘れましたが)を思い出しました。クイーンの1位には文句も無いし、素直に凄いことだと思うし、番組で紹介された少女の書いた「ボヘミアンラプソディ」の論文の内容にも興味はあるのですが。

 60~70年代のポップカルチャーのことを思い出すと、途中で矢折れ、力尽きた彼らの屍が(フレディもそのひとり)累々なのに思い至ります。あの頃はよかった、と無条件に賛美する気もありませんが、(生き延びたキース・リチャーズは、若者たちに向かって「生き延びろ!」とメッセージを送っています)、いまという時代が、まだ、その後遺症のなかにあるという気はします。その後、まだ、あの時代の”うた”にあったような、世界中が共鳴するようななにかを持った”うた”が生まれていない気はしています。

  ※『クイーン (バンド) ウィキペディア(Wikipedia)』

  ※『ボヘミアン・ラプソディ ウィキペディア(Wikipedia)』

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スカボロー・フェア~サイモン&ガーファンクル

 サイモン&ガーファンクルの安いCDを生協のカタログで見つけて購入した。買った理由は、安かったからですが。以来、ずっと聴き続けている。難点は、歌詞カードがついてないことだ。彼らの、というよりポール・サイモンの詩の素晴らしさを確認することができないのが残念。有名な曲は、ネットで検索すれば調べられるが・・・。

 CDを買う前に、図書館で借りて読んだ本(「ピーターラビットの謎」キリスト教図像学の招待/益田朋幸・著/東京書籍)のなかに、「スカボロー・フェア」のことが出てきたことが心にひっかかっていたこともあった。この曲で繰り返される四つのハーブ、「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」は、”死者に捧げられるフォークロアを持ち、死のイメージがある”と説明されていたのだ。

 ”死のイメージ”。ということは、彼らは、そういうことも知ったうえで、イギリス民謡「スカボロー・フェア」に、反戦的な意味合いを持たせる歌詞を加えたのだろうか。

 前掲書で、原曲の「スカボロー・フェア」は”マザーグースを踏まえた、求愛の歌、いわゆる相聞歌”と説明されている。原曲の歌詞を見ていくと、男性→女性、女性→男性へとそれぞれ難題をなげかけている。

 例えば、「縫い目も針目もない麻のシャツをつくってほしい」とか、
      「海水と浜の間に1エーカーの土地を見つけてください」とか、
      「皮でできた鎌で刈り入れてほしい」とかのように。

 その後に、「そうすれば、彼女は私の本当の恋人になるでしょう」という言葉が続く。

 そして、サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」には、2番から原曲の間に反戦的な別の歌詞が入ってくる。最も特徴的な歌詞は「将軍は兵士に殺せと命じる」、「とうに忘れてしまった理由のために戦えと」ですが、他にも「銀の涙で墓石を洗う」などの言葉も出てきます。そして繰り返されるフレーズ、呪文のような四つのハーブの名前、「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」にこめられた死のイメージ。(どちらかがすでに死んでしまっているとも考えられる。)そして、最後の「そうすれば、彼女は私の本当の恋人になるでしょう」には、「いやなりはしない」という言葉をくっつけると、この曲の言おうとするところがはっきりする。 

 彼らが、この曲にベトナム反戦の意味をこめたとしたら、「スカボローの市に言ったなら、そこに住んでいるひとによろしくと伝えてほしい」と言っている男の人は、(理由のわからない)戦争で既に死んでしまっていると考えられる。

 だから1966年に発表されたこの曲は、2005年の今においても充分なインパクトで私たちの心に響いてくるのだと思う。

 ※ご意見、感想お待ちしています。マイホームページの掲示板のほうもよろしく!

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思い出しましたージョンのこと

「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイアモンド」 (「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」より)
 「ルーシーはダイアモンドを持って空にいる 」

 映画「アイ・アム・サム」でビートルズの曲を聴いて、久しぶりにジョンのことを色々思い出しました。

 ジョン・レノンが、ニューヨークの自宅ダコタアパート前で殺されたのは、1980年12月8日のことでした。ヨーコの目の前で、狂信的なファンの銃弾に倒れたと報道されました。
 当時の私にとって、音楽(ロック)、ビートルズ、ジョン・レノン&ヨーコが私のなかで占めていた割合は、今と比べようが無いほど大きかったのでかなりのショックでした。
 「なんで、ジョンが?」 「なんでジョン・レノンが殺されなければならないんだろう。」 と、しばらく反芻し続けた。
 で、腹立たしく思いながらも、何とか自分を納得させるために考えたことが、殺されたのは、ミック・ジャガーでもポール・マッカートニーでも無くジョン・レノンだったということ。このことが、ジョンの存在の大きさを意味しているのだと思って無理矢理自分を納得させた。

 死の前のジョンは、ハウスハズバンド宣言をして仕事をヨーコに任せ、自分は家事や息子ショーンの育児に専念していた期間をそろそろ終えて、ヨーコといっしょに新しいアルバムをレコーディングしたばかりでさあこれからという時期だっただけに、彼らが紡ぎ出していた新しい物語の先はもう永遠に見れないんだという深い喪失感を感じた。

 ジョンの死については、当時から今日までずっと陰謀説が消えないし、真相もわからないが、9・11のテロの後にジョンの曲「イマジン」がアメリカで放送禁止曲になったりしたことなどを考えると、現在のアメリカの体制側の人々にとっては、生きていれば最も邪魔な存在だったことは間違いない。ジョンが私たちの前から姿を消してしまった今となっては、もし、彼が生きていたらと考えてもしょうがないことかもしれない。でも、その後の世界の向かっている方向を見ると、もし、彼がいたならば、と考えてしまう。

 ビートルズ時代のジョンのファンやヨーコのことをよく思わない人たちは、彼のこの時期のライフスタイルや政治的発言などをあまりよく思ってなかったみたいなのだが、死の直前のインタビューなどを読んでも、彼がロックのスターとしてではなくひとりの人間として、そして、なによりも父親として生き直していた時期だったし、常にヨーコのことをかばっていたし、自分はもうあんまり人気が無くなって忘れられているなんて弱気な面も見せたりしていた。(あなたが人気が無いなんて冗談でしょうと思ったりしたことを覚えている。)そんなジョンの自分の弱さもさらけ出せる率直さが永遠に失われてしまった。私は何をたよりに生きていけばいいんだろうとまで思った。

 そして、今の私は音楽にあまりたくさんのことを期待しなくなった。

 9・11のテロが起きた時、大きな喪失感とともに再びジョンのことを思い出した。
 ジョンが生きていれば、そして、あの率直さで語ってくれたらとないものねだりに考えてしまった。 

  誰が言ったか思い出せませんが、彼の死について誰かがこう言っていました。
  
  ”私たちは、私たちの4番バッターを失った。”と。

  音楽とは関係のないことばかりになってしまいましたが、ふいに思い出したので書いてみました。

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「アイ・アム・サム」のビートルズ

 昨日の金曜ロードショーの映画 「アイ・アム・サム」 を観て感じたことをちょっとだけ書いてみたい。映画のストーリーについてではなく、主に、映画の全篇に挿入されていた、ビートルズの曲のことを中心に。
 
 まず、主人公のサムの子どもの名前の”ルーシー”というのが、ビートルズの曲 「ルーシー イン ザ スカイ ウイズ ダイアモンド 」から取ったものであるということ。
 この曲について、主人公サムの「この曲はドラッグについての曲なんかではなくて、ジョンが自分の子どもの描いた絵を見て作った曲なんだ。」というセリフがあった。
 また、ルーシーの靴を買いに行ったサムと彼の友だちが、帰り道、おまけにもらった風船を持って横断歩道をわたるところは、アルバム 「アビイ・ロード」のジャケット写真だった。
 
 ジョンが前衛的になったのはヨーコのせいじゃないんだ。  (正確なセリフを思い出せませんが。)
 
 とか、
 
 誰もジョージには曲が作れないと思っていたけれど、ジョージは「アビイ・ロード」で「ヒア カムズ ザ サン」という  素晴らしい曲を作った。

 とか、のセリフをサムに言わせていて、思わずくすっと笑ってしまった。「そうなんだよ」と頷きながら。
 
 (映画的には、サムがなんの脈絡もなく唐突にビートルズのことをしゃべるということによって、周りが当惑するという、サムの特異性の表現につかわれていたと思うが。)
 
 で、ビートルズの曲を聞いて思ったことは、今聞いても全然古びていないということだ。
 これが、ストーンズだったらどうだっただろう。きっと、かなり、時代を感じてしまったと思う。
 昔、「ビートルズはストーンズに比べて優等生的だからだめだ。」というちょっと上の世代の意見に、「ふーん、そうなんだ」とか思ってましたけれど、やっぱり、ビートルズと比べたらストーンズは「No2」だったですね。


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