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現代人のすききらいの観念性=子どもっぽさとかー過去記事の再掲載

↓※この記事は2008-10-30にgooブログに掲載したものの再投稿です。

 以前、作家の故宇野千代さんが、雑誌「クロワッサン」連載記事で、自分より若い世代の”食べ物のすききらい”について、「なにかをきらうそのきらい方が観念的なのよ」と評していて、私も、こと食べ物のすききらいに限らず、現代では、経験に乏しく観念的になりやすい若者だけでなく、大人のすききらいも、総じて”観念的”だと思う。例えば、バタークリームのケーキと生クリームのケーキでは、バタークリームは”ダサい”ので絶対生クリームだとか、ワサビは食べれないとか、ソース味はちょっととか、ソース顔よりおしょうゆ顔だとか、男も眉毛は濃すぎない方がいいとか、ほんとにどうでもいいじゃんそんなことって感じで、どうでもいいことに異常にこだわられると「ふ~ん」としか言えない自分がいます。すききらいとか好みとかは個性のひとつだと考えておけばいいと思うので、そういう嗜好は普遍化しようと力説する(他人に強制する)ほどのものではないと思う。「ドン・キホーテ」のサンチョ風に四字熟語を使って言うと、そんなことは「不易」ではなく「流行」ではないかと思う。

 最近、「あの勝海舟が「源氏物語」を読んでいたらしい。ちょっと彼の趣味ではないので驚いた。」という新聞記事を見かけたけれど、「源氏」も「枕草子」もどちらも女性作家らしく母性原理のぷんぷんする作品である。「源氏」の「雨夜の品定め」も文中で女の品定めしているのは男性だが、それを書いているのは女性(紫式部)だし、「枕草子」は、まるで「これ超かわい~い!」の世界である。昔から、そういう細部にこだわって、色々なことを細かく気を使って生活していくのが女性なのだろう。時々、そういうのがしんどくなる。自分にもある性質なのだが、意識的に、そういう部分が強くなりすぎないように気をつけている。「どうでもいいじゃん、そんなこと」と、意識的にいいかげんになるようにしている。そうしないと、自分も、母性過剰な現代日本のバランスの悪さにのみ込まれて、さらに母性を過剰にする方向に行ってしまう、どうでもいいことにこだわって、自分も周囲も息苦しくさせてしまうからだ。そういう時、私は、我が家のふたりの少年を参考にしている。彼らの”抜けっぷり”を見ることで、かなりバランスを取らせてもらっている。

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「1984」 デヴィッド・ボウイ 「Diamond Dogs」ー過去記事の再掲載

↓※この記事は2005-10-05にgooブログに掲載したものの再投稿です。 

 私が、この小説のことを知ったのは、デヴィッド・ボウイが1974年に発表したアルバム「Diamond Dogs」によってだった。このアルバムは、ボウイが傾倒していたオーウェルの小説「1984」から想を得て作った、ボウイによる「1984」の世界の表現だった。当時の日本でのボウイ人気は、グラムロック人気の延長からの、彼のルックスによる少女マンガ的な人気だったと思うが、(そういう私も、その口だったことは否めないので大きなことは言えないが、)ポストビートルズのロック界において、当時、彼がトップランナーだったことは間違いないし、彼の社会的、政治的なメッセージ性の強い曲作りに共感していた熱狂的な日本のファンも少なからずいたと思う。その後の80年代のボウイは、「レッツ・ダンス」の大ヒットなどによって、不可解な方面へ変容していって、古くからのファンに見放されていくのだが、それは置いといて、「Diamond Dogs」を聴いていた頃の私は、これより少し前の有名なアルバム「Ziggy Stardust」の中の有名な曲、「Five Years」の悲痛な叫びのようなボウイのボーカルによってくり返されるペシミスティックな歌詞「地球の滅亡まであと五年間・・・」という曲と共に、アルバム「1984」の描き出す近未来の陰鬱な予想図をぼんやりと恐れていた。「あと五年間・・・五年間・・・五年間・・・」というリフレインを聴きながら。だから、今思えばお目出度いと思うが、実際の1984年が表面的には何事もなく過ぎ去ったときには、「世界も滅びなかったし、1984の世界も現実にならなくてああよかった」とナイーブに思ったのを覚えている。

 しかし、しかし、私たちが安堵して、その世界は私たちとは関係ないどこかの共産主義やファシズム体制の国のことかと思っていた現実が、この2005年の日本で実現されようとしているとは・・・。

 このアルバムよりも少しあとで、小説と同名の映画「1984」を観た。オーウェルの「1984」の世界を忠実に映画化しているとされるその映画は、最初から最後まで、陰鬱で、やるせなく、灰色の希望のない世界が表現されていて、観たあと気が滅入ったことを覚えている。映画館から外に出た時には正直ほっとした。

 80年代のボウイの変容は、私の中で、彼に対する興味とロックに対する興味の両方を失わせていったが、あれから20年経って、オーウェルやボウイの予言した世界を最も洗練された形で抵抗もなく現出しようとしている国があるとは・・・。

 オーウェルの「1984」もボウイの初期の上に挙げたようなアルバムも、今の日本でこそ読まれ、聴かれるべきかもしれないと思う。日本には、今のところ彼らのような預言者、警告者は現われそうにないので・・。

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恐るべし!タラソワコーチ(芸術におけるワイルドなもの)ー過去記事の再掲載

↓※この記事は2006-01-17にgooブログに掲載したものの再投稿です。

 もうすぐトリノオリンピックということで、フィギュアスケートに関した記事を書くことにしました。(ヒマネタなんで気楽に読んでください。)
 
 最近、女子選手の活躍もあってフィギュアスケートのファンは更に増えていると思いますが、かくいう私もマニアというほどではないのですがかなりのフィギュア好きなので、トリノオリンピックを楽しみにしているのですが、(いつもはお目当ての選手がいたりするのですが、今回は特にいませんが、女子シングルの三人の活躍は楽しみにしています。)
 私がこれまでに見た名選手を思い出してみると、(歳がわかってしまうけれど)やはりいちばんかわいかった札幌のジャネット・リン、高くて美しいジャンプと品のある美しいスケーティングの男子シングルのロビン・カズンズ、男子と女子のシングルのゴールドメダリスト、ペトレンコとバイウルのウクライナのふたりなど数々の名選手が思い浮かびますが、中でも、私が好きだったのはアイスダンスで、アイスダンスといえば、サラエボのトービル&ディーン組の「ボレロ」が有名ですが、私が一番思い入れがあったのはカルガリーオリンピックのアイスダンスで金メダルを獲った、ベステミアノア&ブーキン組です。(カルガリーのエキシビションでのアンコールに応えたダンスメドレーの演技も印象に残っています。)その彼らのコーチが、あの荒川静香さんのコーチだったことで(最近、彼女が同コーチの元を離れたことがニュースになりましたが)日本での知名度がアップしたタチアナ・タラソワコーチでした。勿論、彼女の名前を知ったのは最近のことで、当時は、あの、選手が採点を待つ”キッス&クライ”のコーナーで毛皮のコートを着て座っている彼女の迫力に圧倒されていただけでしたが、最近、ネットで彼女のことを調べて、”私が好きだった選手やペアの殆どを彼女がコーチしていた”ということを知って驚きました。すごいステップで確かオリンピックで三連覇したペアのロドニナさん(確か途中でパートナーが変わったと思う)、アイスダンスのモイセーワ&ミネンコフ(モイセーワが美女で評判だった)、そして前述のベステミアノア&ブーキン、前回ソルトレークの男子シングル「仮面の男」で金を獲ったアレクセイ・ヤグディンとフィギュア界の名選手、金メダリストばかりなのです。ヤグディンの「仮面の男」のプログラムは覚えておられる方も多いと思いますが、それを見てもわかるように、その振り付け、ステップ、選曲など、プログラムのすべてがとても洗練されていて完璧で欠点が無いことに驚かされます。顔の表情まで逐一振り付けられるということを聞いて、さもありなんとそのコーチングの厳しさ、完璧主義が想像されるのですが、今やその名声に違わない実績を残されて、知るひとぞ知るというより、日本でも有名になってしまった名コーチなのです。だから、予備知識なしに見ていても、彼女のコーチした選手やペアはわかってしまうのですが、そのカルガリーのアイスダンスのTVの解説で今も思い出すことがあるのです。解説は確か五十嵐文男氏だったと思いますが、彼は当時、このふたり(ベステミアノア&ブーキン)のプログラムがあまり好みではなかったらしく、解説で「好きじゃない」、「よくなかった」などと連発して、彼が押していた二位のロシアの別のペアを盛んに持ち上げていたのです。解説者が「好きじゃない」などという何か素人の個人的な感情みたいなことを言うことに当時かなりの違和感を感じましたが、やはりメディアに出て来るひとの意見はすべて正しいと思っているひとが多いのか、「(一位のふたりの演技は)よくなかった、と解説者も言っていた」という意見が多くって、私が、エキシビションのふたりの演技を熱心に見ていると「○○さんは、好みが濃いから・・」などどとからかわれたことを思い出します。このオリンピックのフィギュアで日本のマスコミが例によって集中的に報道していたのは、女子シングルの伊藤みどりと、ブルック・シールズに似ていると言われて人気のあった、あのカタリーナ・ビット(「カルメン」のプログラムで女子シングルで金を獲った)でしたが、オリンピックでエキシビションの最後に出てきたのは、ベステミアノア&ブーキンのアイスダンスのふたりで、会場は熱狂的な三回のアンコールを送ってふたりの演技をたたえたのですが、このとき私は、しぶしぶ彼らの実力を認めていた解説の五十嵐氏に対して、してやったりと思わずにはいられませんでした。
 この件については、もうひとつエピソードを付け加えると、皆さんご存知のシンクロの小谷実可子さんが、まだ現役だったころのインタヴューで、(彼女が次のオリンピックのプログラムに「カルメン」を選曲していたことが話題になっていた頃のことです)インタヴュアーに「カタリーナ・ビットのカルメンを参考にされますか?」と問われて、彼女は「私はビットよりもアイスダンスのベステミアノアのカルメンのほうがすごいと思う」と答えていて、最後にインタヴュアーは彼女に対して「変わってますね」などと言って「よく変わっていると言われます」と彼女は答えていましたが、私は、それを読んで、わが意を得たりと、とてもうれしかったのを覚えています。インタヴュアーは、自分の予想した答えが返ってこなくて当惑したのでしょうが・・。
 
 私は、”世界標準”という言葉をそのまま素直に受け入れられない、あるいは、その言葉に反発を覚えてしまうことも多々ありますが、でも、特に芸術の世界において、自分が理解できない、自分が未知のものに対して”拒絶してしまう”あるいは”勉強不足の解説者や評論家の権威によって、それらを判断してしまう”ことは、とても損なことだと思うのです。単純に言ってしまうと、彼らだって正しいわけではないので、もっと疑おう、まず自分の目でみてみようということだと思うのです。

 私が、フィギュアスケートのおもしろさに目をひらかされたのは、ベステミアノアたちよりもさらに以前のアイスダンスのペア、モイセーワ&ミネンコフだったと思います。彼らが、NHK杯で、あの「タブー」の曲に合わせて踊ったときには、子どもごころに度肝を抜かれたのを覚えています。彼らの演技は、大人っぽくて色っぽいのですが、いやらしくはなかったのです。そこが、研ぎ澄まされた芸術表現と、ただのエログロナンセンスとの差だと思いますし、日本人には、むずかしい世界(エスコートやレディファーストの感覚が自然に出てくるような環境がないとあの感じは出せないだろうし、日本人だと、せいぜいホスト的になってしまいそうだと思う)ですね、ペアとかアイスダンスというのは。

 期待されているトリノの代表の4人にはがんばってほしいと思います。前回もでしたが、今回もアイスダンスに特にひいきのペアがいないので、私はゆったり見ようと思ってます。シングルのフリーのプログラムはなかなかむずかしくて、女子は特に、ひとりであの時間を飽きさせずに持たせる完璧なフリーのプログラムというのには、まだお目にかかってないと思う。(アルベールビルのバイウルの「黒鳥」はよかったけれど、あれはショートプログラムだったし)男子シングルの前回のヤグディンのフリーはかなり完璧なものだったと思うけれど、やっぱり私にとってのNO1はスケーティングがきれいで、ジャンプもうまく、表現力もあったロビン・カズンズですけどね。

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いまの気分にぴったりなジュリーの曲

 いまの気分にぴったりのジュリーの曲を紹介します。。

「 強いHEART 」

  ( 1996年のアルバム『 愛まで待てない 』より、 作詞:沢田研二/作曲:玉置浩二/編曲:大村憲司 )

 この曲の歌詞から、ジュリーの優しい強さと透徹とした悲しみ

 そしてそれでもかすかな希望を信じようとする「 強いHEART 」

 そして愛を感じる。

 それらはいまのTVの中には見当たらない感性。

 そして、「 すさんだ時代 」は「 いいことがある 」どころかますます。。なのですが。。

 だからこその強いHEARTなんですよね


   友情を笑って とぼけて生きよう 


 って歌詞がとくにすきです。。

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