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「 龍馬伝 33・34回 」

 
 長次郎回とも言えるこの2回、33回では、グラバーとの商談での長次郎の活躍が丁寧に描かれていて、よかったと思う。長次郎が薩長同盟成立のために重要な役割を果たしたことがよく表現されていたと思う。

 しかし、その活躍が、長次郎の身をほろぼすことにもなるとは・・

 34回でよかったのは、切腹した長次郎の亡骸と対面した時の、その死を悲しむ龍馬が、その素直な感情を吐露する場面、そしてその場面と対照的に、切腹という責任の取り方を認めてないであろう”近代人龍馬”が、長崎奉行に対して、侍として切腹して亡くなった長次郎の意地を汲み取るような言葉で、申し開きをしている、ここは、龍馬の率直さと柔軟性が表現されていて、龍馬らしくてよかったと思う。


 「 侍が訳あって腹を切ったがです。

 
 それをあれこれ詮索することらあ無用にございますき 」


  龍馬の本心は、その前の場面の、

 
  「長次郎、おまん、何をしゆう・・・!」

  
  にあるがですが・・

 そして、最後、丸山でお元の舞を観ながら、長次郎の遺影に酒を注ぎながら涙をこぼす龍馬の場面には、じんと来るものがありました。長次郎の死を経験して、「おまんの言うとおりじゃった。 わしはおめでたい人間じゃった 」と素直に吐露する龍馬の言葉で、お元との間に心が通い合ったところもよかった。
 
 この長次郎の写真、表情やポーズ、小物など、驚く程、実際の長次郎の写真の雰囲気が出ていて、その作り込み方が素晴らしいと思った。本物の長次郎の写真から感じる、彼の向学心、向上心、真面目さのようなものがよく表現されていて素晴らしかった。

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「 借りぐらしのアリエッティ 」

 「 凄く短いらしい 」、という噂を聞いて、少し心配しながら観に行きましたが、とてもよかったです。

 「病気の少年が古いお屋敷で静養」、「小人の少女」と来たら、好いたはれたの恋愛話や、ドラマチックな事件を期待して、観たあとがっかりするひとがいると思うのですが、作者が描きたかったのは、少年や少女が「 生き延びるために必要なもの 」、についてだと思う。それは、この映画で描かれている古いお屋敷の庭の濃密な「自然 」(小人の視点から描かれたその大きさや音の表現がとても新鮮です! )と、アリエッティの父親によって教えられる「借り」の仕方(= 生活に必要なものを人間に気付かれずに人間から借りて来る術 )=「生き延びるための技術」だ。

 「借り」の技術を教えるのが父親ということで、この映画は、父性はどちらかというと肯定的に、母性は、どちらかというとネガティブに描かれています。少年の母親は、手術前の少年を祖母に預けて、忙しいのか登場すらしませんし、アリエッティの母親は、子どもに対して過保護気味で、事件が起こるとおろおろするばかりの頼りない人物に描かれています。そこら辺りが、「ポニョ」とは対照的ですね。あちらは、父性の存在感が余りに希薄でしたから。父性の肯定的な面をきちっと描いたところがいいと思います。やはり、父性が不足して、母性が過剰気味ですからね。すべてにおいて。アリエッティの家は、あの父親がいるから、あの母親もバランスが取れてちゃんとやっていけるわけです。それが、現代の日本は、母性に片寄ってしまって、色々と”どうでもいいこと”が過剰なわけですわ・・。ああいう風にどしんと構えて家族を支えている父親が必要なわけです。「そんなことどうでもいいやんか」ってことが日常よくあります。そういうことには極力巻き込まれないようにしてますけどね。「そんなことはたいして重要なことではない」って言ってくれる父親がね。

 それはさておき、小人の噺と言えば、子どもの頃わくわくして読んだ、「コロボックル」の噺を思い出しました。
 

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