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「Sweet Rain 死神の精度」

 金城武が死神役を演じている「Sweet Rain 死神の精度」を観た。ひと言で言うと、「ほっこり」しました。私的に微妙な評価の作品が続いた金城君出演作のなかで、これはひさびさに○です。天使とか死神とか、そういう役が本当にはまりますね。(香港映画で天使役を演じたのは「ラベンダー」だっけ。)不慮の事故で亡くなる人物を7日間観察(実際に接触もする)して、「実行」か「見送り」かを判断する。彼が現われると、こちらはいつも雨、で彼はいつも傘を持ち、青空を見たことがなく、黒い犬を連れている。そして 「ミュージック」が好き。(ひとり目の時の小道具はウォークマン、ふたり目の時はiPodが使われていて、時の経過を表していた。最後は家事機能付きロボットだったけれど。)仕事柄、いつも非情に死の「実行」の判定を下すかと思いきや、今回はどうもそうではないらしい。観察の相手や時代に合わせて、人間界へ通じるドアを通り抜けると服装や髪型も変わるらしい。私は、ふたり目のターゲット(中年やくざ)の時の”それ風”出で立ちが「不夜城」を思い出してGoodでした。
 死神とターゲットの会話の微妙なズレ加減が笑える。ゲラゲラではなくて「クスッ」といった感じの笑い。「ナンパ」→「難破」、「醜い」→「見にくい」、「雨男って雪男みたいなもの?」みたいな人間界の新しい言葉に適応できない死神の勘違いから生ずる笑い。それを演じる金城君の飄々とトボケた感じがいい。それと、2話で、ボーリング(「ゴールデンボウル」の引用)と、ビリヤード(得意)と、マージャンをする場面があったりして、私はこの部分が死神のルックスをも含めて、一番おもしろかった。
 私的には、動いている金城武と、あの低音ボイスを聞けただけでも満足なのですが、これまでの彼の持ち味を生かしきれてないいくつかの日本映画に比べて、この映画は、彼の個性をよく生かした演出になっていると思います。ただ、小西真奈美→冨司純子が、私的には、どうしても違和感でした。それは、小西真奈美のプロポーションが80年代のOLと言うには現代的過ぎるせいで、(薄幸な感じは出ていましたが)、最初、1話から2話への時の経過が少しわかりにくく感じました。でも、私的には、充分満足の作品でした。中年やくざの光石研とその子分役の石田卓也の演技もよかった。

 死神=金城武ならばということで、原作者伊坂幸太郎さんの映画化OKが出たそうです。

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「それでもボクはやってない」(テレビ編集版)

 「それでもボクはやってない」(テレビ編集版)を観た。周防正行監督。「Shall We ダンス?」とこの作品しか観てないけれど、この監督の作風がとても好きです。伝えたいことがきちんとあって、痴漢の冤罪事件といういくらでもあざとくなりそうなテーマなのに、あざとさで気を引くような演出も無い。伝えたいことのない、雰囲気だけの、あざとい演出で気を引くような映画が多数あるなかで、とても誠実な作風です。作品中、性犯罪ばかりを選んで傍聴する”傍聴オタク”と呼ばれる傍聴人が出てくるけれど、そのような下心で、この映画を観たひとはがっかりするでしょう。そういう下心を裏切るところに、この作品のクオリティの高さがあります。作品のスタイルは質と不可分です。
 
 映画を観終わっての感想は、判決を聞いた主人公の感想と同じく、もし、日本の裁判やその被告人の置かれる状況がこの映画に描かれる通りであるならば、私が、もしその当事者となったなら絶対に耐えられないだろうという、日本の司法に対する徹底的な不信感です。この映画では、裁判の途中で裁判官が突然理由もはっきりしないまま交代します。最初の大森という裁判官は、「マスコミ受けは悪い」が弁護士間では評判の裁判官で、そんな彼が後輩に、無罪を言い渡した事件で本当はやってるかもしれないと悩んだことはないのか、と質問されて、「ありません。証拠も無いのに検察官の言い分を補って無罪のひとを有罪にしかねません。検察官の証言を吟味して有罪の確信が持てなかったら無罪なんです。」と答え、逆に彼らに「刑事裁判の最大の使命とは何か」、と質問する場面が出てくるのですが、

 彼は自らその問に、「無実の人を罰してはならないということです。」と答えています。

 大森裁判官がその自分の信念を述べていた時に入ってきたのが、途中からこの裁判の担当となる裁判官でした。そして、何故、裁判官が代わったのかについては、大森裁判官がこの裁判の前に担当した裁判で出したふたつの無罪判決(その後高裁でひっくり返された)によって左遷されたのではないか、と作中人物によって噂されます。「無罪判決」とは警察や検察という「国家権力を敵に回すこと」だと。そして、裁判官の交代によって、裁判は、まるでふたりの検事(検事と、大森裁判官が言っていたような、その検事の言い分を補うような、まるでもうひとりの”検事のような”裁判官)がいるような様相を帯びてきて、ここら辺の描写は観ているこちら側にとってもかなりのストレスを感じさせるもので、もし自分が当事者で、しかも無罪なら、そんな状況は到底耐えられない。絶対キレて怒鳴り散らして退場させられるような状況です。日本の刑事裁判の有罪率99.9%を前提にした、被告人の「推定有罪」という予断を持つ裁判官によって裁判は進んで行き、途中やっと被告人にとって有利な目撃者の証言が得られたにも関わらず、それも有罪推定の前には、被告の無罪を証明する重要な証言ではないとあっさり結論づけられ、主人公に「有罪」が言い渡されます。判決に怒って出て行く彼の友人、泣き崩れる母親、座るように促されるが、立ったまま判決を聞く主人公の映像の途中から、静かな、でも判決への怒りの籠められたモノローグがかぶさってきます。「裁判は真実を明らかにする場所ではない。」 「被告人が有罪であるか無罪であるかを集められた証拠でとりあえず判断する場所にすぎない。」 「そしてとりあえず僕は有罪になった。」、そのあとにタイトルにもなっている 「それでもぼくはやってない」という言葉。そして裁判官に判決に不服があれば14日以内に控訴できると言われ、「控訴します!」と即座に答える主人公。
 
 ふ~。これでは、日本で刑事事件の被告人となること≒有罪ですし、逮捕、拘留された被疑者の人権は、ほとんど考慮されず犯人扱いされて、推定無罪なんて知ったこっちゃないという恐ろしい世界なのです。は~・・・。もしその被告人が無実ならば、こういう予断と前提のもとに進められていく裁判というのは、いくら真実の証言をしてもヌカに釘状態の、不毛で不条理で絶望的な状況と言える。大森裁判官のような、裁判官の理想と信念を持った裁判官がひとりでも多く現れてほしい。まあでも、頭はよいが理想の無い官僚のいやらしさ、は、とてもよく表現された映画です。

 この映画は、数々の映画賞を受賞しているように、去年の日本映画の中で、最優秀作品に値する作品だと思います。
 


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