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私がドラマ「歌姫」を評価する理由 ③~リアリズム考~

 さて、「ガリレオ」だなんだと騒いでいた世間は、それらをさっさと消費すると、次の消費物を求めてきょろきょろしているようで、せわしないと言うか虚しいと言うか。「歌姫」のあの岸田家の食卓シーンやメリーのバーのシーンを、昔のドラマみたいに一年間くらいずーっと見ていたかったなあ~と思うこの頃です。

 そんなわけで、昨日の続きで、「リアリズム」あるいはドラマのリアリティというものについて、つれづれな感じですが、少し考えてみたいと思います。「歌姫」を語るのに、一部で評判の悪かった一話とニ話を思い出しながら。一話、二話、私は充分おもしろかったので、つまらなかったという意見にはまったくピンと来ないし、わかりにくかったという意見もけっこうあったのにも、そこまで落ちたか、と唖然としたのですが、まず、ドラマ冒頭、最終話につながるけっこう重要な現代部分、舞台は東京、孫の旭が登場して、ヘタレ振りを発揮して婚約者に振られます。旭の母の昭和の「歌姫」さくらが登場しますが、まだタイトルとの関連は謎です。祖父の写真はここでは出てきませんが、形見の懐中時計が出てきます。父親の死によって歌手を引退することを決意したさくらのすすめで、わけもわからず「歌姫」という映画を土佐清水まで観に行くことになった旭は、高知に飛んでそこからはるばる土佐清水のオリオン座という古ぼけた映画館を訪れます。館主は松中と名乗る中年男性、観客は老人ばかりのさびれた映画館です。旭は松中から、オリオン座の最後の上映作品を「歌姫」にすることが最近亡くなった母親の遺言だったと聞き、また松中の受けた携帯電話の話の内容から、彼の娘のルリ子が自分と時を同じくして婚約者に振られたことを小耳にはさんでびっくりします。旭とルリ子。(ここで最終話の展開を予測した人は多かったと思います。)ここまでが現代シーンで、ドラマは昭和30年代の太郎が活躍する土佐清水に移ります。旭の見ている映画のパンフレットの写真の中の主人公(太郎)が昔の映画の画面の(雨が降っているような)質感で動き出す過去への場面転換は鮮やかでした!(ここまでで何か問題ありますか? 何もないですよね。)太郎と岸田家の面々、そしてゲルマンたち漁師仲間と順々に主要なキャストと、そのキャラクターが紹介されていきます。日活映画、裕次郎の「嵐を呼ぶ男」がオリオン座で上映されます。(ドラマで使われていた映画のシーンは山之内一家との関連にひっかけてありなかなかうまかったです。)さて、そしていよいよその次に私のツボだった鯖子と神宮寺君コンビのシーンとなります。空手チョップを繰り出す鯖子、可愛く逃げる神宮寺君、最高コンビの誕生です。(個人的にこのふたりは、一話、二話のからみが最も面白かったと思います。)そして、メリーのバーシーンで、太郎と鈴の「たろたろりんりん」が紹介され、夜道を帰るほほえましいふたりの他愛無い会話、翌朝の岸田家のちゃぶ台での食事シーンでの卵焼きをめぐるやりとりのテンポのよさ、そしてのど自慢大会に向けてクロワッサンの松の送り込んだ愚連隊と歌手の卵の芥川とのからみや鈴の練習シーン、(映画館での練習シーンでの鈴の舞い上がりを流れ続けるアコーディオンの哀愁あふれるメロディで表現した演出は昭和っぽくて好きでした。そして、のど自慢大会本番、黄色いワンピースから伸びる健康的な鈴の脚、流れ続けるアコーディオンの音色、練習の時と同じく舞い上がる鈴。(鈴は意気込みも空しく歌姫にはなれませんでした。)そしてラストのクラプトン。芥川役の秋山竜次の演技の素晴らしさ共々この一話、何の文句がありましょうや?(この昭和の情緒を受け取る感性が失われた、あるいは、それほど難解とも思いませんが、いちいちセリフで「自分は今悩んでいるだあ~!!」とクドく説明するようなドラマしか見れないひとが多いのでしょうね。)

 そしてニ話、いよいよ優勝候補の芥川の歌、(昭和歌謡の名曲「アカシアの雨がやむとき」という選曲の渋さ!個人的に今回の一番の注目)、そして鯖子with神宮寺君の力道山風応援と出し物の短歌+太鼓に大笑いし、いよいよ太郎の「監獄ロック」のギターと唄(この謎はまだしばらく美和子の登場まで残ることになる)、刺客となった芥川と太郎のやりとりは、クスッとした笑いもあり、ふたりの演技、演出もよく、この回のクライマックスでした。その芥川も挙げた中村の狂犬と呼ばれるクロワッサンの噂。(しかし、その実体は三話ラストまで謎のままだ。)そして、唐突なゲルマン拉致の噂をメリーが。(これは次回のクロワッサンのオリオン座訪問と太郎の記憶が回復する事件にも関連して来るのですが。)

 こうして一話と二話を振り返ってみて、何か問題ありますか?私には何も問題は無いように思われます。私はシリアスなドラマの存在を否定するものではありません。でも、それはただのリアリズムであり、この、色んなことががちがちに固まっている現状の肯定であり、それは現状肯定という名のニヒリズムに陥る危険を伴います。「歌姫」が描いているのは、私たちが失ってしまったひととひとのかかわりにおける大切なもの、細やかなひとの感情の機微。岸田家の食卓や団欒シーン、メリーのバーのシーン。岸田家のシーンでの高田純次、風吹ジュン演じる勝男と浜子夫婦の醸しだす雰囲気は、「三丁目」の堤、薬師丸夫婦には絶対出せないものです。そのことは、太郎という魅力的なキャラクターとともに「歌姫」の大きな魅力であるということは声を大にして言っておきたい。(感情の引き出しの少ない俳優ばかりの最近のドラマは、演技というものがないがしろにされ過ぎていると思う。)そしてニヒリズムや伝えたいことの無いシニカルさに陥らない笑いは、現実を生延びるための力となります。「歌姫」の笑いと明るさはそういう類のものです。だから、私は冒頭に挙げたシーンだけでも一年間くらい続けて見ていたかったのです。現実をただ写し取っただけのドラマではないドラマを観たい。そしてそういうドラマにリアリティを与えるのは、俳優たちの演技です。

 とりあえず、今日はここまでとします。
 

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