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私がドラマ「歌姫」を評価する理由 ②~意味の無いシニカルさからも幼稚なナルシシズムからも遠く離れて~

 以前に書くと予告しながら、暮れにメモ書き程度の記事をアップしたきりになっている「歌姫」関連記事ですが、なんか、まだドラマの余韻を楽しんでいる状態なので、というか作品を素人が説明、分析などという野暮なことをしたくないという気がしていて、なかなか書けないでいます。

 「歌姫」についての評価のなかで、わかった風な批判や「意味不明」なほどの拒否反応や否定などを時々見かけますが、そして私はそれらはまったくピントがずれた意見に思えるのですが、そこまでの否定ってなんだろうと逆に興味深かったたりするのです。で、自分は、それらの意見にまったく影響はされないのですが、その辺りから考えてみようかとも思うんですが、まあ「そんなの関係ねェ~!」というのが基本なんで、どこまで続くかですが・・。それらの否定の勢いが逆に現代の状況をあぶり出している(そんな大げさなもんか?)気もしたりするので。

 食べ物でもなんでも、マスコミ情報とかに影響されやすい現代人が陥りやすい好き嫌いや嗜好の特徴に、悪い意味での観念性があると思う。何か(の食べ物でもなんでも)を嫌う、その嫌い方が”観念的”なのだ。「歌姫」の嫌われ方を見ていると、どうもそういうものを感じる。私は昭和30年代を少しばかり知っています。子どもだったから、ぼんやりとですが。だから、知った風な、「30年代はこうだった」、という批判に観念性を感じてしまうのです。「歌姫」のおもな舞台、オリオン座のオープンセットやロビーのセットは、私には、昭和そのものに思えます。一話で、現在のオリオン座に旭が入って行くところから、物語に引き込まれたのはあのセットの持つ力でもあったと思います。何回も書きますが、「三丁目の夕日」のプラスティックな昭和よりもずっと生き生きとした昭和を感じます。そして、あの明るさ、これも何度も書きますが、その明るさは、太郎のように悲しみを内に抱えた明るさであり、それを、知りながら、皆がその悲しみを思いやりによってそっと包み込んだ明るさだったと思う。そうしないと生き延びれなかった明るさ。それが「歌姫」というドラマ全体を包んでいる基本のトーンです。それが愛おしい。
 傷ついた太郎を励ますために幼い鈴が考えた昭和の夫婦漫才風ギャグ(たろたろりんりん)をうざったいと感じてしまう心性こそ、現代という”伝えたいことのないシニカルさ”が蔓延している時代への過剰適応から来ているものであり、私はそれは一種の未熟さから来ていると思うし、勿論、ドラマの見方として間違っている。(ドラマ中での相武=鈴と長瀬=太郎のたろたろりんりんは相武紗季ちゃんが関西出身ということもあって、間とか乗りとかのふたりのコンビネーションが絶妙なのです。それは1回だけ演じられる高田、風吹のそれと比較するとよくわかる。)
 
 いちいち書いていると正直うんざりしてきます。これらの感覚は、20年前なら、説明しないでも、あうんの呼吸で今よりも多くのひとの感性の基盤に共通なものとしてあったものだと思うからです。それが無くなってしまった。それはフジのドラマに代表されるような視聴率至上主義の軽いドラマが主流となってしまったことによると思う。そして、多くの大人の視聴者が、民放ドラマから離れてしまった。今回「歌姫」がきちんと評価されないと、ますますその傾向は強まってしまうと思う。大人が出てこない、出てきても、(今回いくつか見られた中年男が若い女に憧れるという設定のような)「自分の惚れた腫れた」を一番に考えるような未熟な大人と若者しか出てこない恋愛物にうんざりしていた私にとって、「歌姫」は久しぶりに大人が描かれていたドラマでした。
 
※大人の定義については以前gooに「大人とは・・」と題して少し書きましたので参照してみて下さい。

 それは、フジ的ドラマが意図的に捨象してきた要素であり、「退行したこどものような大人」と「耳年増の不遜な子ども」ばかりという社会全体が思春期化している現在において、本当の大人を描こうとするならば、過去に遡るしかないのだろう。ドラマの世界だけでなく、廻りを見回しても、若い男女の恋愛模様にうっとりというか、自分が若い女性主人公に感情移入して若い男性アイドルにうっとりしている中年女性や、中年男性と若い女性の恋愛に憧れている中年男性ばかりなのである。そんな現代において太郎のような主人公を描いたことは稀有で貴重なことなのだ。太郎を始めとする「歌姫」の登場人物たちは、幼稚なシニカルさともナルシシズムとも無縁なのだ。そこが思春期真っ只中の”オトナたち”や若者たちには受けなかったのかもしれないですね。でも、その大人が描かれる物語に深く共鳴し感動したひとが数字に現れる以上に多数いたことは声を大にして言っておきたい!そしてそれを描くのに俳優長瀬智也のルックスと演技がぴたっとはまったことは言うまでもありませんし、さらにバラエティに富んだ脇役のキャスティングと趣のある彼らの演技も最近のドラマにはついぞ見られない素晴らしさでした。このドラマの本質的な部分を受け取れず、ドラマを表層的、感覚的にしか受け取れない視聴者が増えたこと、それは、この現代社会にどっぷりひたって育ってきた子どもたちはしょうがないとしても、”退行した”オトナたちの現状をあぶりだしているのではないでしょうか。何度も言いますが、意味の無いシニカルさ、ナルシシズムという幼稚さにとらわれないのが大人であると。

 時間が無くなりましたので、今回は、前の記事(時間が無いので簡単に書きます~私が「歌姫」を評価する理由~)で挙げた最後の点、「リアリズム」云々の点については、機会があったらまた項を改めて書くことにします。 

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