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「歌姫」八話(少し追記しました)

 今回も、とりあえず印象に残ったシーンの簡単な感想をひとまずアップしておきます。(明日以降、追記する予定です。たぶん・・・。)

 八話最後の、ふたりのロマンティックなシーンは、「歌姫」らしい抑制された演出でしたね。「バッタもんの真珠の首飾り」は、ここにつながって来たんだ~、と納得しました。まあ、でも一話とか、来週の予告とかで、よかったね~という気持ちよりも、切なさでいっぱいになって、終わってからもため息をついてしまいました・・・。

 それと、今回、やっと美和子が鈴の気持ちに気付きましたね。

 それと、七話で、太郎が美和子に、美和子とそれがまだ自分のことだとは知らず生きていた美和子の夫について言った言葉、「やっぱり惚れちょった男に、惚れぬいて、惚れぬいて、惚れぬいて、惚れぬきゃあ、きっといつか必ず出会えるがぜよ。生きちゅうあいだに出会えんでも、生まれかわったら必ず出会えるがぜよ。」は、太郎と鈴のことを予言していると思うとちょっとは救われるかな・・・。悲恋の甘さ、と切なさは好きなんだけど。

 結末よりも、それに至る過程に納得できればいいという物語かな。

 追記:美和子がゆうさんの好物だったと言って差し入れた漬物のエピソードは、岸田家の食卓シーンでの、みんなが平静を装いつつ、とまどっている様子や(察した太郎は食べなかった)、その後で太郎がひとりこっそり食べてみて、そのショッパさと臭さにおどろくところなどの演出が、さりげないけど、とてもうまかったです。

 「歌姫」掲示板でも、どなたかが書かれていましたが、ラストのキスシーンで音楽が消えた演出は、新鮮でした。

さらに追記:他人事の絵に描いたような不幸を高みから第三者的に余裕を持って見物できる程度に幸せなひとには、「歌姫」の表現は物足りないのでしょう。「他人事の不幸」、を楽しめるひとが多いってことは、日本もまだまだ余裕のある幸せなひとのほうが多いんでしょうね。30年代はただ明るかったわけではなく、絶望や悲しみを通り抜けたひとびとの生きのびるための処世術としての明るさだったという側面もあったと思う。光が強ければ強いほど影も濃いということを知っているひとだけが、この物語を楽しめる。みんなの前では、漬物に手を出そうとしない太郎や、美和子の前では「自分と太郎はなんちゃあない」と精一杯強がる鈴に共感できるものだけが、ラストのふたりの思いに寄り添える。

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