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最近読んだ本2~他人を見下す若者たち(少し追記しました)

 最近読んだ本の2冊目「他人を見下す若者たち」(副題)「自分以外はバカ」の時代!(速水敏彦/講談社現代新書)について、

 今回この本を再読したのは、「中原中也」の記事で触れたこの本の指摘、(若者の感情の変化―「悲しみ」の感情の減少と「怒り」の表出の増加)について確認したかったからですが、他にもこの本の指摘には、自分の経験からも肯かされることが多かった。

 今は、本書のテーマをきちんと系統立てて紹介するだけの余裕が無いので、かなりアトランダムに印象に残った言葉をいくつか紹介することにします。

 「はじめに」より、日本人の感情・やる気の変化について触れたあと、その背後にある日本人(おもに若者)の心性について、

 現代人は自分の体面を保つために、周囲の見知らぬ他者の能力や実力を、いとも簡単に否定する。世間の連中はつまらない奴らだ、とるに足らぬ奴らだという感覚をいつのまにか自分の身に染み込ませているように思われる。そのような他者軽視をすることで、彼らは自分への肯定感を獲得することが可能になる。一時的にせよ、自分に対する誇りを味わうことができる。(6頁~7頁)

 筆者は、この”他者軽視を通じて生じる偽りのプライド”のことを、それが”彼らの過去の実績や経験”にいっさい関係なく持たれることから、「仮想的有能感」と名づけている。(いわゆる自尊感情とは違う。)このような他者軽視の感情は、昔は学問を修めて高い理想を持った一部のエリートたちに見られたものであるが(「罪と罰」のラスコーリーニコフのような)、現代における他者軽視は、それらとは違って、一部のエリートたちだけが身に付けているものではなくて、もっと広い範囲にまで広がっており、それら多くの若者たちにとっての他者軽視は、内心の自信喪失や劣等感に対する”一種の防衛機制”として、自分たちの能力には関係なく無意識的に行われているため、昔にくらべて、「死ね」などという言葉が簡単に使われりるするような、どろどろしてネガティブなものになりやすく、社会にとっても個人にとってもそれを無意識なままに増殖させることは危険であると筆者は指摘している。


 一方、悲しみの感情を表出するにしろ、しないにしろ、今の子どもは集団規範をずいぶん気にしてその判断をしているとの感想も見られた。「ここで悲しまなかったら友人ではないと思っている」「皆の前で自分が外れた感情を示すのではないかと思って表に出さない」
 そして「怒りは自然に出てくるものだが、悲しみは生活体験、想像力がないと持てない」、また「悲しまずに責任転嫁するからがんばれない」、などの、悲しみという感情の特徴に言及した感想も述べられた。
(21頁~22頁)

 
 そうなんですよね。ドラマなんかを子どもたちといっしょに観て、私だけが泣いてしまうことが多々あるし、「仮想的有能感」による他者軽視の例として挙げられていた、自転車で横一列に並んでしゃべりながら併走してくる女子中学生が、対向して来た荷台に荷物を載せて自転車を押して歩いていたお年寄りにまったく道を空けようとしなかったというようなことは、私も日常茶飯時出くわしている出来事である。筆者は、このような「平然としている」若者たちの心性を「自分に直接関係のない人間を軽く見ている」 「彼らにとって赤の他人というのは、物体のようにしか受けとめられていないのではなかろうか」と説明しています。私が感じるのは、彼らの自分たちの仲間内での異常とも思えるような気遣いと、それ以外の者(外部)に対する異常なほどの冷淡さ、無関心ですよね。それらは単に社会的なマナーを教えられないまま大きくなったためだと考えられなくもないが、私には、やはり他者に対する冷淡さ、無関心は、そこからはずれることへの恐怖による神経症的気配りの中で続けられている友だち付き合いと好対照を成していると思う。そして、あれはたまらんだろうと思うし、その居心地の悪さの原因は、前の記事で触れた「母性原理の過剰」と「父性原理の不足」からくる社会のバランスの悪い状態を反映していると思うし、彼ら彼女らは、前記事では触れなかったが、「永遠の少年」とともに語られたもうひとつのキーワード「グレートマザー」(=母なるものの元型、肯定的な面と否定的な面があり、この本では日本におけるグレートマザーの強大化による否定的な側面がおもに指摘されている)の支配する「場の倫理」(=個人の成長や自我の確立<場の平衡状態をいかに保つか)の犠牲者といえるかもしれない。

 さて、少々尻切れトンボみたいな感じですが、この文はひとまずここで置きたいと思いますが、同書で、「笑い」の変質(仮想的有能感を抱く人たちが求めている、相手を軽視したり、誰かをこき下ろしたりすることに喜びを感じるような冷たい笑いの増加が指摘されています。)とともに、現代の若者の悲しみの性質について解説した章で、中原中也の「汚れつちまつた悲しみに・・・・・・」について言及した部分があります。「仮想的有能感によって自己を防衛している」「彼らの悲しみには、利己的なご都合主義的原理が働いていると考えられ、それが汚れた情感などという意識は、ないにちがいない。」と。そして悲しみの経験の減少は、自尊感情を肥大させ、弱い人間や傷付いた人間へのやさしさを喪失させる、「悲しみをある程度感じた経験のある人の方が共感性という点では優れている」、[悲しみをある程度蓄積している人の方が感情の統制ができる」と述べられています。

 ※参考記事「汚れつちまつた悲しみに・・・・・・~現代国語的中原中也」

 ※参考記事「中也の詩の紹介」

 ※参考記事「もっと悲しみを~中也の絶対音感~

追記:「笑い」の変質との関連で「ユーモア」についても考察されていたので、ちょっとだけ紹介しておきます。「ユーモアの源泉は哀愁である」というマーク・トウェインの言葉が紹介されたあと、「本当のユーモアは、周りを下に見て笑うのでなく、自分の人間としてのいたらなさ、不十分さといった、本来悲しみの源泉となるようなものを、少し距離をおいて他人の立場で眺められるようになったときに、生じるものではなかろうか。」と定義しています。そして仮想的有能感の高い人たちは、「自分が傷つくことを極度に恐れているため」「自分をゆっくり外側から見つめるだけの余裕」がなく、「自分を笑うことはできない」だろうと。ちょっと前に、「ヒロシ」の自虐的な笑いが受けたのは、自分の情けなさや駄目さ加減を語る彼の笑いに、誰かを蹴落としたり攻撃したりする笑いばかりを見慣れた現代人が、こころのどこかで共感を覚えていたためではないかということも指摘されています。(そういえばヒロシは子どもたちにも受けてました。)私は、先頃亡くなった植木等さんのクレージーキャッツのころからのお笑いの変遷―お笑いがどんどんエゲツナク、品が無くなっていく過程を観てきているので、現代主流の笑いに、はまったり、熱心に見たりということは殆ど無いのですが(クレージーキャッツにもドツキとかからかいとかドタバタとかはあったけれど、何というのか、節度があったので品は残っていたと思う)、あるところで紹介されていた最近注目らしいある若手のコンビを知ったのですが(彼らを観るとダウンタウンの古さがわかると紹介されていました)あんまりお笑い系の番組を観ないもので、紹介できるほどの知識がございませんので、またの機会にします。(みんなとっくに知っているかもしれませんが。)

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Comments

What's up friends, nice piece of writing and good arguments commented aat this place, I am really enjoying by these.

Posted by: network marketing | August 06, 2014 at 03:40 PM

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