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汚れつちまつた悲しみに・・・・・・~現代国語的中原中也

 NHKの教育テレビの「日本語で遊ぼ」という番組の中で、中原中也の「汚れつちまつた悲しみに」の一節が朗読されている。彼の「サーカス」という詩の一節も時々朗読されている。その詩の空中ブランコを表現したと思われる不思議なフレーズ、 「 ゆあーん  ゆよーん  ゆやゆよん 」 を”コニちゃん=コニシキ”や子どもたちが朗読している。(この番組では、他にも、平家物語の前文「祇園精舎の・・・」や宮沢賢治の「雨ニモマケズ」も紹介されていて、なかなかよい選択だと思う。)

 もう二十年くらい前に、母と妹と三人で、夏に山口県を旅したことがあって、山口市の湯田温泉の近くの中也の詩碑のある公園のことをガイドブックで知って、立ち寄ったことがある。詩碑があること以外は、何の変哲もない、近所の子どもが遊んでいるような小さな公園だったのですが、その詩碑と横に立つ妹の写真が残っている。先日実家の母に、この写真に写っている詩碑の文章を知り合いに色紙に書いてもらいたいので、詩の文章を調べてほしいと頼まれた。この公園は中也の生家(現在は記念館)近くにある高田公園、刻まれているのは小林秀雄の筆による「帰郷」という詩の一節。※こちらを参照


  これが私の故里(ふるさと)だ
  さやかに風も吹いてゐる
       心置なく泣かれよと
       年増婦(としま)の低い声もする

  あゝ おまへはなにをして来たのだと・・・・・・
  吹き来る風が私に云ふ

                      詩集・山羊の歌「帰郷」より (参考:新潮文庫「中原中也詩集」)

 「心置なく泣かれよと」 と 「年増婦(としま)の低い声もする」の行が碑にあったかどうかは写真ではちょっと判然としないのですが(行数から考えると省かれているように見えます。)
 中也の詩は、思い出しただけでも「月夜の浜辺」「汚れつちまつた悲しみに・・・・・・」「北の海」が教科書に採用されていたと思う。三篇というのは、詩人の中でもかなり多いほうではないだろうか。三篇とも、ひとがこころのなかに持っている普遍的な感情が表現されているので、他の詩人の詩よりみんなのこころにぴたっと来る感じがあって、「 さう さうこの感じ 」と思ったりするし、今読んでも、感覚的に古くない、現代的だし、言葉遣いは、平易で簡単そうに見えるけど、かなり計算された平易さ、さりげなさで「巧い!」と思う。「クイーン」とか「ビートルズ」とかにも感じることだけど、”ポピュラーだけども俗ではない”という感じがする。難解な言葉などは用いずに、俗にならないぎりぎりの場所で勝負している。その場所を見つけることは簡単なようでとても難しいことだと思う。その絶妙なポイントはとても狭いので、凡人には、なかなか見つけられない。やりすぎなものや足りないものは多くみかけるし、その狭いポイントを見つける才能のないものは、俗っぽい表現しかできない。たとえば有線で聞くJ-POPなどというジャンルの歌詞なんかも、全体的に固いというかこなれてないというか、芸がないものが多い。「なんとかでえ、なんとかでえ、なんとかなのですう~」とか「なんとかでえ、なんとかでえ、なんとかだー」とかのうんざりするような説明的な歌詞たち・・・。

 最近読んだ本によると、最近の若者は「悲しみ」の感情が減少して「怒り」の感情が増大しているらしいが、それはさておき、「悲しみ」という感情はやはり重要な感情だと思う私は、「悲しみ」という感情に、これほどまでに現代的な相貌を与えて定義した詩人は中也のあとにも先にもいないと思う。中也の「悲しみ」は私たち現代人の悲しみなのだ。そして「悲しみ」をちゃんと悲しむことは大事だよねと思う。だからいま中也を見直すってのはありだよね。

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テレビは大衆洗脳装置か?(少し追記しました)

 最近、テレビをあまり見なくなった。と言うか、去年の秋から暮れにかけて、数本のドラマを続けて熱心に視聴したのは、私にとっては例外的なことだったのですが。最近は、朝の情報番組もほとんど見ていない。自分が知りたくもないニュースを微に入り細にわたって延々とやられると、どのチャンネルもほとんど同じだし、こちらを煽ってくる妙な演出とか見せられるので、もううんざりなのだ。聞いていると、相当おかしな論理も多いのだが、日常でも、ちょっと声の大きいひとが、威圧的に結論付けたり、何らかの肩書きを持ったひとが理路整然とこちらを韜晦するかのような一見論理的なしゃべりをすれば、よくわからないままに、納得したつもりになる=思考停止するひとのほうが多いと思う。声の大きいひとや理路整然としているひとが正しいという保障はまったくないのに。そういう場合に感じるうさんくささなどの直感は正しいことが多い。うさんくさくない魅力のあるしゃべりを聞きたい。で、いま朝出かける前にチャンネルをNHKの朝のドラマに合わせることが多い。積極的に見たいというわけではない。見ていらいらしないし、時間もわかるしという消極的な理由なのですが。(ニュースに関しては、NHKに満足しているわけでは決してありませんが。)

 今季、唯一続けて観ているドラマ「華麗なる一族」ですが、細部には見所もあるのですが、やはり物語の根本のところに共感できないし、視聴後の感情もあまりよくないので、そろそろしんどくなってきました。脇役陣の演技を観るために観ていると言ってもいいので、今後も辛抱しつつ観続けると思いますが、このもやもやは、最終回まで見届けて、”一気に”吐き出したいと思ってます。


(以下、太字部分引用)


・・・・・・マスメディアの問題は、一つにはさまざまな圧力があることです。政治権力からの圧力、広告主、つまり大企業からの圧力、それとそれに関連して問題になるのが部数、視聴率で、それらがニュースやエンターテイメントの内容に強い影響を与えている。
 もう一つは、「中立・客観的・公正」というけれども、沈黙もまた意見の表明で、「中立」の意見というのはないんです。また「客観的に事実を報道する」といっても、「事実」は無数にあるわけで、事実を選ぶには何らかの基準がなけらばならない。その基準は結局、価値観で、したがって客観的なニュース報道というのも原理的にはない。多くの新聞やテレビが言っている「中立・客観的・公正」というのはよくいえば幻想で、悪くいえばウソです。

結局は話題の選択の問題だと思う。テレビに何が映っているかというと、世の中にとって重大なことはほとんどない。飛行機が落ちたということで大ニュースになったりするけれども、全体として構造的に重大な問題はあまりない。そうすると世界は調和的だという印象が大衆の中に浸透していく。これがいちばん大きな問題です。
                                            
                                      (加藤周一/「二○世紀から」より)

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パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち&デッドマンズ・チェスト

 ジョニー・デップ主演の「パイレーツ・オブ・カリビアン」の1作目、2作目を続けて観た。Ⅰの「呪われた海賊たち」がとても面白くて、みんなの評判もよく、早く「デッドマンズ・チェスト」を観たいと言うので、早速、いそいそと借りて来たら、冒頭シーンから、みんな「ゲッ・・・」となって、「なんでこんなの借りてきたのー!」と大ブーイングになってしまった。私も、先日、スーパーでタコを買おうとして、この映画の悪役デイビー・ジョーンズのことを思い出してしまい、止めてしまった。それとデイヴィ・ジョーンズてのは、イギリスの昔のアイドルグループ、モンキーズのボーカルの名前でしょう。そしてデビッド・ボウイの本名でもありますが。それと、彼の船の名前「フライング・ダッチマン号」ってのは、「さまよえるオランダ人」っていう意味の他に、あのサッカー界のスーパースター、ヨハン・クライフのあだ名”フライング・ダッチマン=空飛ぶオランダ人”でもありますね。まあ、どうでもいいことですが。
 そして、これは、デップのインタビューなどで、よく知られていると思うのですが、彼は、この映画の主人公、キャプテン・ジャック・スパロウを、あのストーンズのキース・リチャーズをイメージして作ったということで(3作目にスパロウの父役で本人が出演するそうです)、この作品とサッカーとロックとのちょっとしたつながりが、どうでもいいことですが、なんか面白かったです。
 
 そんなわけで、デップ=キース=ジャック・スパロウは、例によって最高なのですが、特に若いウイル・ターナーに対する彼のセリフにはなかなか含蓄があった。子どもたちと観るので、吹き替えなんですが、1作目の、「男にとって大切なことは1つ、自分に何ができて、何ができないかだ。」と「お前にとってのここぞという瞬間は、イマだった。」です。

 それにしても、しばらくタコを食べれそうにないです。デイヴィ・ジョーンズは本当はイカ怪人?みたいですが、怪物クラーケンは、タコに見えるし。

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世界一の美貌

 私は、金髪、碧眼が(彼の瞳は碧と言うより緑がかった碧らしいが)特に好みというわけでもないし、特に欧米崇拝というわけでもないが、私にとって”世界一の美貌は?”と問われれば、その形容詞で思い浮かべるのは、初めて「アラビアのロレンス」を観て以来、ピーター・オトゥールである。初めてこの映画を観た時は、アラブの複雑な歴史がきちんとわかるわけもなく、ただ砂漠の美しさとロレンスを演じたピーター・オトゥールの美しさに圧倒されただけだったのですが。彼が初めて白いアラブの服に身を包んだ自分の影を見ながら、無邪気に喜んでいるシーンが映画に出て来るのですが、英国の軍服姿よりも断然アラブ服に身を包んだ姿のほうが美しくて、その姿を見て溜息を吐いたのは女性だけではないと思います。映画の後半は、一躍アラブの英雄となったロレンス本人の理想とずれていく現実に悩み、最後にはアラブと英国の間で身動きが取れなくなり、無力感に失望していく彼が描かれていますが、それもまた美しいんですよね。溜息。男とラクダと砂漠しか出てこない映画がなぜこれほど美しいのか・・・。

 それはともかく、私が、最後に彼の出演作を観たのは、ベルトルッチの「ラスト・エンペラー」の皇帝溥儀の家庭教師役だったと思うのですが、何年か前のアカデミー賞の授賞式に、これまで7回ノミネートされながら無冠に終わっている彼に対して、「アカデミー名誉賞」という賞が贈られ、本人も出席するということを聞いて、彼を見るために初めてBSで放送されたアカデミー賞の授賞式を見たことがあるのですが、まあ、いろんな意味で感慨深いものがありました。賞のプレゼンターは、確かメリル・ストリーヴだったと思います。本人がステージに登場する前から、みんなの(メリルのコメントも含めて)、俳優としての彼への尊敬の気持ちが会場に満ちている様子がTVを見ているこちらにも伝わってきました。本人が登場すると、ジャック・ニコルソンがスタンディングオベーションする様子が映されました。そして、すっかりお爺ちゃんになったピーター(本人はスピーチで自分の事を”私はすっかりポンコツになってしまいましたが”とか言っていましたが、)の後ろのスクリーンに、彼の代表作の名場面が次々と映されたのですが、その中の彼のあまりの美しさに、誰もが息を飲んで、賛美していたようでした。個人的には、たぶん「何かいいことないか子猫チャン」か「おしゃれ泥棒」だと思うのですが、女性を”お姫様抱っこ”した彼がくるくる廻るシーンがあったのですが、その姿は、言葉を失うほどキレイでした。そして会場からは、言葉にならない溜息が・・・。そして、その美しい彼と、現在の年老いた彼の対比とが、何となく哀しかったのを覚えています。ピーター・オトゥールもお爺ちゃんになるのね、と。

 で、そんな賞を貰ってしまって、もうすっかり現役引退かと思っていましたら、なんと今回のアカデミー賞の主演男優賞に8回目のノミネートをされたというニュースが入ってきました!共演は、なんとあの「ジュリア」のヴァネッサ・レッドグレーヴ(映画「ヴィーナス」)ということで、他にも、私が知らなかっただけで、今も色んな映画に出ていたことを最近知って、まだまだ引退してなかったのねと、びっくりしましたが、やはり、あの美貌が忘れられない私にとっては、年老いた彼の姿は複雑です。「ヴィーナス」という映画にはちょっと興味がありますけど。

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QUEEN GREATEST HITS

 前から、欲しかったクイーンのベストアルバムのCDを買った。彼らの前期のヒット曲が収められたベストアルバム「QUEEN GREATEST HITS」です。

 何年か前に、NHKのBSで、「世紀を刻んだ歌2 ボヘミアンラプソディー殺人事件」と題されたクイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」という曲について特集した番組を観たことがある。番組では、この曲の作者フレディー・マーキュリーの生い立ちや、この曲の制作課程の(おもにコーラス部分の気の遠くなるようなオーバーダビングの)検証や(そのためこの曲のライブでの完全な再現は不可能だった)、この曲での世界初と言われるプロモーションビデオの制作、この曲について論文を書いた女子学生の紹介、さらには、この曲が、イギリスでギネス社がミレニアム記念に行った、”英国史上最高のシングル曲は?”と言うアンケートで、ジョン・レノンの「イマジン」(2位)、ビートルズの「ヘイ・ジュード」(3位)を押さえて、堂々1位になったことなどが紹介されていて、「へえー」とびっくりするとともに、「この結果は、イギリス人の”エキセントリック”な嗜好を現していると思う。」とインタビューされた人が答えていたのを聞いて納得したりと、かなり面白かった。そして、ここ何年か、ドラマやCMで彼らの曲が使われたり、いろんなジャンルのスポーツイベントでも、「ウイ・ウイル・ロック・ユー」や「ウイ・アー・ザ・チャンピオン」がお決まりのテーマソングのように流されたりする状況を見たりしていると、初期のクイーンを知るものとしては、彼らが、ここまでのビッグネームになるとは、と感慨深いものがあります。(今で言うビジュアル系の)グラムロックの影響もあってかルックスやファッションが少女マンガの王子様風で、(フレディだけは微妙でしたが)日本では女子を中心にアイドル的な人気があって(初来日した時、本人たちも日本でのあまりの騒がれかたにびっくりしたとか)、(この日本での人気も本国で賛否あった彼らにとってかなり追い風になって)その後、チャートのトップになるような大ヒット曲を次々に生み出して、次第に女子人気だけではない大メジャーバンドになっていくのですが、その頃はそんなことになるとは知るよしもない私は、ヒットチャートを横目に、そんな彼らにヒットメーカーという以上の深い興味を持つことも無かったのですが、今、こうして、クイーンの曲を改めて聴いてみると、やはりイイですね。いろんな音楽の影響を感じるし、叙情性と力強さ、繊細さと大胆さが共存しているし、非常にポピュラーでありながら芸術性を失っていない(という点ではビートルズの正統な後継者と言えると思う)、芸術性が職人的な緻密さ(理数系のメンバーがいたためか)に裏打ちされているし、やはりフレディの声は素晴らしい・・・・。

 私は、イギリス人の最も好きなシングル曲の第1位に「ボヘミアン・ラプソディ」が選ばれたということを聞いて、びっくりしたと同時に、橋本治氏の「本当のNO.1はNO.2の場所にいることが多い」という言葉(どの著書だったか忘れましたが)を思い出しました。クイーンの1位には文句も無いし、素直に凄いことだと思うし、番組で紹介された少女の書いた「ボヘミアンラプソディ」の論文の内容にも興味はあるのですが。

 60~70年代のポップカルチャーのことを思い出すと、途中で矢折れ、力尽きた彼らの屍が(フレディもそのひとり)累々なのに思い至ります。あの頃はよかった、と無条件に賛美する気もありませんが、(生き延びたキース・リチャーズは、若者たちに向かって「生き延びろ!」とメッセージを送っています)、いまという時代が、まだ、その後遺症のなかにあるという気はします。その後、まだ、あの時代の”うた”にあったような、世界中が共鳴するようななにかを持った”うた”が生まれていない気はしています。

  ※『クイーン (バンド) ウィキペディア(Wikipedia)』

  ※『ボヘミアン・ラプソディ ウィキペディア(Wikipedia)』

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