« July 2006 | Main | October 2006 »

THE ART OF TALES from EARTHSEA

yahara教授renkonnさんのブログで紹介されていた映画「ゲド戦記」のジブリのアート本「 THE ART OF TALES from EARTHSEA 」(徳間書店)を購入した。特にアニメファンでもないので、今までこの手の本を買ったことはないのですが、「ゲド」の背景美術の素晴らしさに魅かれて買いましたが、やはり、なかなか素晴らしくて、眺めては楽しんでいます。(この本の存在を教えてくれた、おふたりに感謝しています。)

 まず、表紙にもなっているモザイク画風の竜の壁画が、色といい、デザインといい素晴らしい。モザイク画にしたところに、センスを感じます。(エンラッドの王宮内の他の壁画もデザイン、色彩等素晴らしく一見の価値があります。)

 映画をはなれたアニメのキャラクターには、さほど関心のない私が、この本で一番見たかったのが、背景美術で、なかでも、美術監督の武重洋二氏の描くイメージは素晴らしくて、本当に気に入りました。只、映画では、この背景にシンプルな描線のあのキャラクターが入ると、少しギャップを感じたのも確かですが。特に映画の中盤部分のテナーやテルー、アレンの描き方にはちょっと違和感がありました。映画の前半と後半部分は、キャラクターと背景の違和感はそれほど感じなかったのですが・・。前にも書きましたが、ホート・タウンのイメージとドラゴン、空の表現はやはり素晴らしいです。

 各人の描く各キャラクターの初期イメージが、それぞれ違っているのを見るのも、「え~っ、これがゲド~っ、これはオジオンでしょう 」とか、「 こっちのアレンの方が好きかも 」とか、なかなか面白かったです。特に、テナーとアレンに関しては、山下明彦氏のラフスケッチの方が生き生きと描かれていて、個人的には好みでした。映画のテナーは、あの腕輪のテナーと言うには、少し平凡すぎる感じがしたし、アレンは私的には、幼すぎる感じでした。

 他にも、「影との戦い」や「さいはての島へ」をイメージして描かれた絵もかなり紹介されていて、武重氏のロークの学院の中庭や黄泉の国への入り口、さいはての島のイメージが描かれた絵はとても美しくて、原作に忠実に描かれた映画の中で見てみたかったなとも思いました。

 映画のクモは、現代的なルックスでなかなか面白い悪の表現だなと思いましたが、原案となった山下明彦氏のラフスケッチは、映画よりもう少し男性的で、こちらのほうが迫力はあるかなと思いました。
 ゲドについては、映画のゲドは悪くはなのですが、私の中では、ゲドは、「いい男」なので、そして、四巻「帰還」の中で、コケばばに「年寄りが十五の男の子でいるってのは妙な感じのするもんでしょうよ。」と言われているように、ずっと女性を知らなかった男性として、年老いた中にも少年の初々しさや脆さを感じさせる部分もあるようなルックスでイメージされているので、映画のゲドは、ちょっと悟りすぎかなとも思ったりしました。他にも、いろいろ書いているときりがないので、とりあえず今日はこの辺で。

| | Comments (0) | TrackBack (2)

思いつくままに(映画「ゲド戦記」追記)

 ちゃんと、まとめて書く余裕が無いので、映画を観てからずっと考えていたことを、思いつくままに書いてみたいと思う。

 まず、掲示板などで多くの人が指摘していた点、「セリフに頼りすぎて説明的すぎる」とか「ストーりーが平板で盛り上がりに欠ける」とか「ストーリーのつながりが悪い」とかの点については、私はどれもさして感じなかった。、
 
 俳優さんよりも声優さんを使うべきという意見も、各キャラクターの声については特に違和感を感じなかったのであれでよかったと思う。ハウルのキムタクに次いでの岡田アレンは、あれはあれで映画のアレンには合っていたと思った。ジブリが声優ではなくて俳優を使うのは、技術では得られない、俳優さんそれぞれの持っている本質的なものの力が欲しいからだと思う。

 背景の美術については、その芸術性においては、お父さんを凌ぐ力を感じました。竜の壁画、ホート・タウンの町並み、原作者も気に入ったらしい、竜とアレンが相対しているシーン、空や雲等は美しかったです。
 それに比べて、映画を観た時には、テナーの家のシーンでは、全体的に”ハイジ的”な感じが、前者の芸術性との比較で、そっけなくて物足りない気がしましたが、今は、あの感じがあの原作には合っているのかなと思ったりしています。
 アニメとしての完成度としては、駿監督のほうがあるのでしょうが、吾朗監督は、お父さんには無い芸術性を持っていると思います。

 ゲドは私のイメージとはちょっと違うけれどまあ許容範囲です。テナーもまあいいでしょう。テルーは、ジブリ的に変えられて、唄も唄える少女ですが、(原作では彼女の受けた暴力によるダメージのために、唄などを美しい声で唄える少女ではないのですが、)まあいいでしょう。アレンは映画オリジナルですね・・。(アレンを主人公にしたことが、この映画が若い世代に向けてのメッセージであり、主に若い世代に支持するひとが多い理由だと思う。)

 子どもが怖がったという意見もありましたが、原作「ゲド戦記」は小学校低学年向けではないです。一巻のラストでゲドが影に立ち向かって行くときの年齢が19歳ですからね。そして、「グロい」という意見も結構ありましたが、私にとっては余りグロいとは感じませんでした。
 多くの人が「グロい」と感じたらしい「クモ」の最期のシーンですが、見せかけの若さが無くなって、本来の姿が顕れてきたクモの描写は、アニメでしか描けない描き方でなかなか面白かったと思いました。
 
 ジブリファンによる、「感情移入できるかわいいキャラクターがいない」という意見がありましたが、映画に何を求めているかですよね。駿監督はそういうのがうまくて、”ちいさい人たち”でも楽しめる工夫をしていたと思いますが、そういう言わばサービスはこの映画にはないのでしょう。原作にもないし。

 吾朗監督は、原作の「黄泉の国」のイメージがピンと来なくて、映画のラストをああいう形にしたらしいですが、私は、原作のあの暗い「黄泉の国」のイメージと、そして三巻のラストのアレンとゲドがカレシンに会う光にあふれた浜辺のイメージの対比が強烈に印象に残っているので、美しいドラゴンの姿をもっと見たかった者としては、映画は物足りなかったです。2時間の枠内に収めるためもあったのでしょうが。

 前に書いた、セリフに頼りすぎとか退屈だとか平板だとかキャラに魅力がないとか、また感情移入できるキャラがいないとかグロいとかの批判は、熱烈なジブリ(宮崎駿アニメ)ファンの感想だと思うけれど、さしてジブリにもハヤオアニメにも思い入れの無かった私から見ると、全て、この映画に対しては的はずれな批判だと思う。そして、その言葉が全て、逆にハヤオアニメの欠点(ファンからすればそこが熱烈に支持する理由なのだろうが)をあぶり出しているような気がする。
 私が、宮崎駿作品で一番好きなのは、「千と千尋」と「ハウル」だ。私は、このふたつの作品に出会うまで、子どもたちとTVやビデオを一緒に観たりはしていたが、さして宮崎アニメの熱心な視聴者ではなかったと思う。それは、何故なのかと考えると、それまでの彼の(ジブリの)描くヒロインたちに、何か感情移入しきれない部分を感じていたからだという気がする。ナウシカやもののけ姫などの美少女ヒーローとでも言うべき美しくて強いヒロインたちにも、ジブリ映画の可憐でけなげな少女たちにも反感こそは抱かなかったものの、何か違和感のようなものを感じてしまい、彼女たちにすんなり感情移入できないものを感じていたからだ。可愛いし、美しいけれど何かが違うと。そして、「千と千尋」の千尋に出会って、初めて私は千尋にぴったり感情移入できた。それは、この映画で初めて、作者によって理想化されてない現実の少女を発見したからだと思う。そして「ハウル」のソフィーは原作よりもハヤオテイストが加味されているとは思うが、婆さんになっている時間が長いので、作者の理想化があまり気にならないのだ。(私が感情移入できるのは勿論婆さんのソフィーの方です。)
 「千と千尋」はグウィン女史も認めているように凄く完成された映画だと思う。大人から子どもまで楽しめる部分もありながら、テーマも伝わってくるし。「ハウル」は不評だったみたいだが、美青年ハウルは原作のイメージ通りによく描けていたと思う。そしてマルクルを子どもにして、愛くるしいキャラクターに変身させて、みんなの人気者にさせているし。でも、このふたつの映画とも「グロい」と言える部分はかなりある。千尋の両親が豚になってしまう部分やカオナシの暴れるシーンやハウルの心の心象風景としての城や彼の部屋の描写などは、その美しいルックスに比べて充分にグロいと言える。(その辺りが不評の理由かな。)でもスピード感やスリルにあふれる場面展開や、愛くるしかったり、ユーモアあふれるキャラクターの登場などによって、それらの場面がうまく中和されているのだと思う。
 そしてそういう小細工のない吾朗氏の映画は、上記のような不評が、ハヤオマジックに慣れていたこれまでのジブリファンから出て来たのだと思う。
 ただ、原作のドラゴンが出て来る場面はなかなか想像力をかきたてられる美しいシーンだと思うので、ドラゴンのシーンをもっと見たかった気はしますが。映画の後半部分は主に四巻をベースに構成されているので、セリダーの竜とかは出てこれず、ストーリーが平板で神話的な第三巻までのような盛り上がりに欠けるという批判が出てきたのだと思う。

今回、映画「ゲド戦記」についての色々な意見を読んだり見たりして、今回の「ゲド戦記」のみならず、ジブリアニメに対する皆の博識ぶり、その貪欲なまでの情報収集ぶりに驚いてしまった。皆、ジブリのホームページの監督日誌や関連本、インタビューなどを逐一こまめにチェックして、ジブリの内部事情にまで詳しいひとが多いことに驚かされてしまった。(映画を観る前のそういう情報が幸なのか不幸なのかはわからないが・・・。)

 そして、映画で一番違和感を感じたのは、(セリフに頼っているという批判を妥当だと感じたシーンですが、)テルーの「命を大切にしない奴なんて大嫌いだ」というセリフです。ウサギとのシーンでのアレンの態度を受けてのセリフなのでしょうが、少々乱暴すぎる(ストレートすぎる)言葉だと思ったし、もやもやと悩んでいるアレンにその言葉のみで気付かせようというのは無理があるし、少なくとも予告編で繰り返してほしくはなかったセリフでした。他のセリフには、それほど違和感も説教臭さも感じませんでしたが、このセリフだけはダメでした。

 映画については、いろいろな意見を見た上で、また観てみたい気がしています。原作ファンとしては、映画を英語の題のように「Tales from Earthsea」として、原作「ゲド戦記」に想を得たひとつの物語として観れば、もっとよくこの作品を理解できるのかなと思ったりもしています。

 私の「ゲド」は清水さん訳の「ゲド戦記」六巻なので、ジブリの「ゲド」に慣れるには、まだ少し時間がかかるのかもしれないなと思っています。


 むかしむかし、はるかなむかし、セリダーほどにも遠いところに・・・・・・  

 「暗黒の地を生きて通過し、真昼の遠き岸辺に達した者がわたしのあとを継ぐであろう。」  
                                                                           (「ゲド戦記」ル=グウィン作 清水真砂子訳より) 
 

最近偶然たどりついたあるブログで、この映画の肯定派の読み応えのある意見を発見して、いろいろと参考になりましたので、興味のある方は訪問してみてください。

| | Comments (5) | TrackBack (2)

« July 2006 | Main | October 2006 »