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ウォン・カーウァイの「2046」を観て

 最近、ツタヤでレンタルして、ウォン・カーウァイ監督の「2046」を、やっと観た。あまりに遅まきなのと、ひと言で言ってしまうと微妙な評価なので、感想を書くのはやめようかと思っていたけれど、ちょっとだけ書こうと思う。この乗り気の無さがそのままこの作品の評価を表している。
 
 前作、「花様年華」が濃密なエッセンスがぎゅっと詰まった佳作だとしたら、前作の主人公チャウのその後が描かれる、アジアのオールスターキャストで撮られたこの作品は、刹那的な快楽に流されるように生きている主人公の心のように散漫な印象の映画だった。主人公の心象を描くためにわざとそういう風に撮ったとも言えるのだろうが、前作では、主人公ふたりの愛がストイックに描かれていたために、かえって密度の濃いエロティシズムが感じられたのだが、この作品では、性表現が多用されているのにもかかわらず、そういう場面からはエロティシズムというよりも、退廃的な痛々しさしか感じられなかった。そして、よい映画というのは、時代の気分を掬い上げるようなところがあると思うのだが、この作品からは、作者の意気込みにもかかわらず、そういうものが感じ取れなかった。私は、(邦題)「恋する惑星」も「天使の涙」も好感を持って観たし、「花様年華」では、「やられたっ!」と思うほど感心したので、本作品も期待して観たのですが・・。
 そして、このことも公開後散々言われたみたいなので、今さら書くのもと思ったのですが、”われらが日本代表”木村拓哉の出来が、この映画の失敗の大きな原因のひとつに思われるのです。キムタクの役は、主人公の住むホテルの支配人の長女(フェイ・ウォン)と愛し合う日本人サラリーマンの役(と主人公の書く小説「2046」の主人公の二役)で、このふたりの恋は、主人公チャウの退廃的で実ることのない女性関係との対比で、この物語のなかで唯一成就する恋として、明るさや希望を感じさせる重要なパートなのですが、まず、キムタクの顔がトニー・レオンやフェイ・ウォンに比べて、幼すぎる!表情だけで、恋人を思う切ない心を表現できるフェイ・ウォンに比べて、キムタクの感情表現は、平板で拙すぎる。おまけに、似合わない横分けのオールバックのサラリーマンスタイルをさせられて、余計に幼く見えてしまう。茶髪でウエーブのかかった髪の、近未来小説「2046」での彼には、それほど違和感を感じなかったのだが・・。(こういう場合、顔が小さいというのもよしあしだと思う)
 チャウの描く小説「2046」のパートは、皆の評判はあまりよくなかったみたいだけれど、他のパートほどキムタクに違和感を感じなかったので、私は、チャウの心象風景としての小説の主人公として、日本人の恋人を登場させるというのは、設定としてはおもしろいと思う。だからカーウァイ監督は、キムタクの役とキャスティングには、かなりの思い入れを持って、この作品を撮りはじめたのだと思うのだが、結果的に成功しているとは言いがたいのが残念である。
 それに比べて、キムタク演じる日本人の恋人を一途に思い続ける娘とアンドロイドの二役を演じるフェイ・ウォンの演技は見事だった。彼女が練習するたどたどしい日本語が、主人公の住むとなりの部屋(2046号室)から聞こえてくる場面は、恋する女性の可愛らしさに満ちていて、とても好きな場面だった。唐突に聞こえてくる日本語ということで、「恋する惑星」での金城武の「パイナップル好き?」という日本語が響いてきた時の衝撃を思い出したのだが、恋する女性の感情を表現した彼女の日本語は、甘い響きがあって、ほんとうに可愛いらしかった。うーん、キムタクにも、このような豊かな感情表現ができれば、この恋がもっと私たちの心に響いて来たのにと思うと惜しまれる。(ネタバレですが)彼女の恋が成就したことを知った主人公のうれしそうな笑みを見るに付け、このエピソードの重要性を思って、残念でならない。
 まあ、でも、「ハウルの動く城」のハウルの声の演技には、感心させられたので、彼にとっては、よい経験になったのだろうと思う。 (前記事「ハウルの動く城」参照)

 私にとっては、この映画は、トニー・レオンの色男ぶりでも、チャン・ツィイーの色っぽさでも、謎めいたコン・リーでもなく、フェイ・ウォンの可憐な演技を観たということに尽きる。

 ※gooブログにフィギュアスケートの記事を書きました。よかったら見てください。
 
 

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「アブダラと空飛ぶ絨毯」

 年末年始に読んだ本、あの「魔法使いハウルと火の悪魔」の姉妹篇 「空中の城2 アブダラと空飛ぶ絨毯」 (ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作/西村醇子訳/徳間書店) を紹介します。

 作者は、あの”空飛ぶ絨毯”が出て来る本を書きたくて、この物語を書きはじめたそうです。そして「ハウルと仲間たちの、その後の様子も気になっていた」ので、彼らを、この物語にも登場させています。ハウルやソフィー、カルシファーは、三人ともそれとはわからない姿に変えられて登場しますので、「ハウル」を読んだひとは、あれっ、彼らは何処だ?と思われるでしょうが、作者のジョーンズさんはちゃんと彼らをこの物語に登場させています。「ハウル」を読まれたかたには、彼らがどのような形でこの物語に登場するのかを見つけるという楽しみもあると思います。もちろんあのハウルの城も出てきます。姿を変えられて。

 主人公は、ラシュプート国ザンジブ市のバザールの絨毯商人アブダラです。彼は、金持ちでも英雄的でもない、空想好きで気の弱い青年です。その彼が、偶然手に入れた空飛ぶ絨毯に導かれて行った庭園で、<夜咲花>という姫ぎみに出会って、恋に落ちますが、ある日のこと、彼女は庭に舞い降りた魔神(ジン)によってどこかへ連れ去られてしまいます。それから、アブダラの、空飛ぶ絨毯や”瓶の精霊”ジンニーに助けられた、<夜咲花>を捜す旅が始まります。途中で、ジンニーの助言によって、ずるがしこそうな顔をした、いわくありげな兵士といっしょに旅をすることになります。そして瓶の精霊ジンニーは、一日にひとつ持ち主の願いをかなえてくれるのですが、かなり気むずかしくて、「災いを引き起こすような形でしか願いをかなえない」のです。果たして、この兵士は何ものなのか、そしてアブダラは<夜咲花>を見つけ出すことができるのか、ハウルやソフィーはどこにいるのか。物語の後半は、「ハウル」の舞台インガリー国(オキンスタン国)に移って展開します。結末を知りたいかた、またハウルたちに会いたいかたはぜひ読んでみてください。

 それにしても、前作のソフィーもそうでしたが、この作品に出て来る女性たちも、<夜咲花>をはじめとして、皆、運命に立ち向かおうとする聡明で力強い女性(本編に出て来るソフィーのことを、アブダラが「気が強い」と評しています)に描かれています。それに比べて、前作のハウルもそうでしたが、この作品のアブダラも決して英雄的人物には描かれてはいません。そんな彼らが、愛するもののために勇気を出して、危険を冒して、運命に立ち向かっていきます。前作でも本作でも、それがテーマだと思いますが、「ハウル」を読んだものとしては、ソフィーとハウルのその後を知ることができたのがうれしかったかなと思いました。


 ソフィーとハウルは、あいかわらず空中の城でくらしました。ときどき喧嘩はしていましたが、その方が二人は幸せなんだと言われています。                ( 「アブダラと空飛ぶ絨毯」より ) 

アブダラと空飛ぶ絨毯
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作 / 西村 醇子訳
徳間書店 (2001.9)
通常24時間以内に発送します。

 

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ペイントギャラリー~Happy New Year~

inu


     「犬の絵」       by kai

「 皆さま、今年もよろしくお願いします。 」

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