« November 2005 | Main | January 2006 »

映画「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」

 イブの晩に、子どもたちと映画「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」を観に行った。私は、特にポッターファンというわけでもなく、(前三作はテレビで放映されたのを観たのみです)、今回出かけたのは、この映画がR-15指定だというのでしぶしぶ出かけたと言うぐらいなのですが、全体的な感想はというと、やはり映画の全篇が暗いトーンで終始するところが、子ども向け映画としては少し気なったと言えば気になったといったところでしょうか。
 最初のクィディッチ・ワールドカップのところから魔法学校対抗試合のところまで終始暗く不気味なトーンが支配していて、それもこれも、あの宿敵ヴォルデモートの復活を印象付けるための演出なのだろうけど、 (以下ネタバレ注意!)(原作を読んでいないので原作の問題なのか映画の表現の問題なのかわからないですが)、魔法学校対抗試合の描写には、特に前三作にはあった明るい雰囲気が感じられなかった。
 そんななかで、映画の中で異彩を放って抜群の存在感を示していたのが、怪物のような教師マッド-アイ・ムーディ役の俳優ですが、ムーディについてくわしく語ると、本当にネタバレになってしまうので、これ以上は語りませんが、彼の醸しだす”イギリス的不気味さ”が、なかなか味のある役者さんだと思いました。
 その他、スネイプ先生は相変わらずいかにも意地悪そうだし、ドラコ・マルフォイは相変わらず憎たらしいし、ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人がクリスマスのダンスパーティーに際して、それぞれに淡い恋の感情を垣間見せているところや、ロンが母親から送られたドレスローブに憂鬱になるエピソードなどもグッドでしたが、やはり、対抗試合の表現ですね。ゲーム自体が少し解せないくらい暗いし、何より犠牲者が出たのが、ヴォルデモートのせいとは言え辛かったです。

 次に、原作を読んでいる長男の感想を紹介します。
 
 いくつかの重要な項目が抜けている。
 .クィディッチ・ワールドカップの結果が記されていない。
 .リータ・スキーター(女性記者)の正体が記されていない。&彼女の記事も原作より生やさしい。
 .ハグリッドの正体についてもくわしく記されていない。
 .(ハリーが恋する相手)チョウ・チャンとハリーの関係がくわしく記されていない。
 .ネビル(身長がすごく伸びていた!)の過去について全く記されていない。
 .(「秘密の部屋」で登場した屋敷しもべ妖精)ドビーが登場しない。
 .S P U Gについて記されていない。
 .「尻尾爆発スクリュート」について記されていない。

登場していないキャラクターがいる。
 ルード・バグマン、ウィンキ ー etc.

以上のような理由で、映画は物足りなかったようです。原作を越える映画というのは、なかなかないということでしょうか。映画を観た直後は、かなり不満気でしたが、今では、「まあまあ面白かったよ。(あんなもんでしょ。)」と言っています。
 
 ハリー・ポッターシリーズのテーマは、悪(ヴォルデモート)に、主人公のハリー、ロン、ハーマイオニーたちが知恵や友情や勇気で立ち向かうところにあると思うのですが、映画「炎のゴブレット」では、魔法学校対抗試合に比重が置かれているので、ハリーひとりが孤独に戦っている印象が強くて、ヴォルデモートの闇のエネルギーが強調されすぎて、それに対抗する若い彼らの明るい正のエネルギーが感じられる場面が少なく、映画全体のトーンが陰鬱になってしまったと思う。そんなところが不満と言えば不満ですが、怪人ムーディの不気味さや、もんもんとするロンなどはおもしろかったです。ハリーとチョウ・チャンの恋のエピソードは、やはりちょっと弱かったかな。まあ、わが子の感想と同じく、映画としては前三作のほうが好きかなと(彼の映画のイチオシは「秘密の部屋」です)いうところでしょうか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「ハウルの動く城」

 遅まきながら、レンタルDVDで映画「ハウルの動く城」をやっと見ました。
 封切りの時の評判があまりよくなかった作品ですが、私にはそれなりに楽しめました。原作とはかなり変わっている部分もあり、魔法使いサリマンの設定―原作では男性で、荒地の魔女の呪いによって行方不明となっており、その捜索を王よりハウル―又の名を魔法使いジェンキンスが仰せつかるという設定でした。そして、映画の荒地の魔女はサリマンによって簡単にやっつけられてしまい情けないお婆ちゃんになってしまうのですが、原作では、終盤までハウルと壮絶な闘いを繰り広げます。そして、荒地の魔女をやっつけたハウルは、最後に魔女をあやつっていた悪魔との闘いに勝って、皆にかけられていた呪いをとくのですが、映画で、ハウルが闘っていたのは、サリマン率いる王国の軍隊でした。(この辺りの描写も反戦という視点から見ると物足りないと感じた人が多かったらしい。)そして、ハウルが火の悪魔カルシファーと交わした契約の説明も映像で説明されるだけなので、原作を読んでないひとにはわかりにくかっただろうと思う。ソフィーが老婆になるという必然性も映画では家族関係の説明もあまりないので映画だけを見てソフィーの心理を理解するのは難しいと感じたひともいたかもしれない。原作では、ソフィーの心理に沿って物語が進んでいくのに比べて、映画のほうは、王国の軍隊に象徴される軍や戦争というものに対する反戦のメッセージがかなり前面に出ていたので、その分、ソフィーやハウルの人物描写や心理の描き方が不十分になってしまったのではないだろうか。原作を読んだ者としては、この物語は、あくまでもソフィーとハウルという若いふたりの成長物語のほうに主眼が置かれていたと思う(例えばハウルの「守る者(ソフィー)ができたので強くなれたんだ」というようなセリフに見られる)ので、そういう視点から見れば別に映画に不満はないのだが、強いて弱点を挙げるとすれば、反戦のメッセージを強調したために物語の主題がぼやけてしまったと言えるのではないだろうか。(その辺りをよく知るにはやはり原作を読むことをお勧めします。)
 
 ところで、この映画で意外によかったのはキムタクのハウルです。ドラマのように”何を演っても木村拓哉”という感じではなくて繊細なハウルになりきった声の演技はなかなかよかったと思う。
 逆に不満だったのは、原作に比べて荒地の魔女の悪の描き方がちゃち過ぎて凄みが全くないこと。
 (只の「有閑マダム」のような・・)
 時期的に反戦のメッセージをどうしても盛り込みたかったのかもしれないが、やはり原作どおりに荒地の魔女と彼女を操っている悪魔の”悪”を描いたほうが、物語にもっと厚みが出て面白かったし、ファンタジーとしても成功したのではないだろうかと思う。
 ※参照、前記事「魔法使いハウルと火の悪魔」

| | Comments (2) | TrackBack (1)

« November 2005 | Main | January 2006 »