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「いま、会いにゆきます」TVドラマ版

 今回、久しぶりに、TVドラマを観た。TBSで日曜劇場の枠でやっていた「いま、会いにゆきます」だ。話題になった映画版も原作も知らずに、途中から観始めたのですが、段々惹きこまれて、結局最後まで観てしまった。
 何に惹かれたのかというと、それは、やはり主役の三人の瑞々しい演技ですね。
 
 まず、ミムラさん。彼女の何処となくあまり生活感のない、ふわあーとした女性らしい柔らかな雰囲気が、この物語にぴったりでした。彼女以外に澪役は考えられないくらいよかったと思います。
 
 そして、成宮寛貴さん。演技の幅が一段と広がったなと感心しました。いまどきの若者を演じても、うまいなーと思ってましたが、今度の役で新しいファンを増やしたのではと思います。演技の繊細さでは、若手の中でも群を抜いていると思います。
 
 そして、子役の武井証君。本当に演技が自然でかわいくてよかったです。映画でも同じ役を演じたみたいですが、父親役の成宮さんと証君が、ふたりの不安な気持ちを目だけで表現するシーンがあるんですが、あまりにふたりの演技が自然でうまいので、脱帽しました。

 最後の9,10話では思いっきり泣いてしまいました。こんなに感情移入できたのは、やっぱり家族の話だからだと思います。そして、ドラマのテンポもゆっくりで、登場人物達が、最近の多くのドラマのようにマンガみたいにぎゃあぎゃあ叫んだり怒鳴ったりしない、久しぶりに、慎ましやかで密やかな人々の暮らしを見せてもらった気がします。本当によかったです。

 ところで、このドラマ、視聴率はあまりよくなかったとの話ですが、ホームページの掲示板などを見ると、視聴者の反応もなかなかよくて、普段あまりドラマを観ないのだけれど、このドラマは観たという意見もあったり、録画して観ていますという人も大分いたので、案外、視聴率というものも正確な視聴者数としては当てにならない気がするし、マンガのように単純なセリフや演技しか分からない層の評価だけ見て、このドラマが不評だったというのは全然見当はずれな意見だと思います。視聴率って質とは何の関係もないし当てにならないという気がします。

 とりあえず、最近の叫ぶ怒鳴る演技に辟易しているひとは必見のドラマだと思います。本当にこの三人の演技を観るだけでも価値があると思います。DVD化されるようです。

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「チョコレート工場の秘密」

 ジョニー・デップ出演で話題になっている映画 「チャーリーとチョコレート工場」の原作、ロアルド・ダール作 「チョコレート工場の秘密」について書いてみたいと思う。私が読んだのは詩人の田村隆一さん訳の現在絶版になっている評論者より出版されたものです。お断りしておきますが、話題の映画の方は観ていません。

 読んだのは、大分以前なのですが、私がこの本に惹かれたのは、田村隆一さんの訳ということと、何を隠そう、私がチョコレートが大好きだからです。大人の今でもですが、子どもの頃の夢のひとつに「チョコレートを死ぬほど食べてみたい」というのがあったほど好きでした。だから、題名に惹かれて読みはじめたのですが。
 読み始めてまず感じたことは、この評論者版は表紙はカラフルで明るいイメージなのですが、さし絵が何となくというより、とても不気味なのです。子どもたちに寝る前に読み聞かせていたのですが、子どもたちも絵が怖いとのことで、最初のうちは、さし絵をあまり見ないようにして読んでいました。特に、チャーリーといっしょに暮らしている痩せこけた祖父母はまるで亡霊のようで、いくらなんでもこんなに描かなくてもという感じでした。そして、そんなさし絵に象徴されるように物語のほうも、子供向けファンタジーではあるのですが、何となくホラーチックで、チャーリーといっしょにチョコレート工場に招待された悪がきたちが(現代的に見れば、そこらへんに普通にいる子どもたちだと思うが)工場を見学中に奇天烈な(死語?)方法でひとりひとり消えていくのも、自業自得とは思っても、読み進めている間中どこか 「いいのだろうかこの話」と思う内容でした。ラストでは彼らも戻ってきたし、チャーリーの一家にも幸福が訪れてめでたしめでたしだったのですが、途中はかなり怖かったです。もし、私がこの話を子どもの頃読んだとしたら・・、食いしんぼの私は 「チャーリーはチョコレートをたらふく食べられていいな」という点だけで、このお話を好きになったと思いますが。
 
 ところで、観ていない映画のほうですが、監督が「シザーハンズ」(すみません、観てません)のティム・バートンと言うことで、(ティム・バートンと言えば、ティム・バートン作のホラー風クリスマス絵本「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」がありますが)何となく彼好みのエキセントリック風味のファンタジーかなという気はします。映画のほうは、子どもというより、ジョニー・デップファンを中心にかなり評判いいみたいですが、子どもたちの意見も聞いてみたい気もします。

追記:物語についてですが、表現方法は少々風変わりなのですが、作者が伝えたいメッセージは極々シンプルなものだと思います。子どもに向けたメッセージはシンプルでいいのではないかということを改めて考えました。大人の感性でねじくれたメッセージを子どもに送るべきではないと思うので。 

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E・Lカニグズバーグ「ジョコンダ婦人の肖像」

 題名の「ジョコンダ婦人の肖像」というのは「マドンナ・リザ・ジョコンダ」つまりあの「モナ・リザ」のことです。モナ・リザのモデルについては諸説ありますが、カニグズバーグは、フィレンツェの名もない商人ジョコンダ氏の二度目の妻としています。そして、この物語は、レオナルドがなぜ彼女の肖像を描いたのかという問いへの答えとなっています。

 物語では、ミラノでロドヴィコ・スフォルツァ公に仕えていた頃のレオナルドやミラノ公妃ベアトリチェ、彼女の姉でマントヴァ公妃イザベラ・デステなどのことが、レオナルドの札付きの召使だった(大うそつきでどろぼうだったと書かれてます)サライの目を通して描かれています。この物語はレオナルドがなぜそんなサライを死ぬまで手元に置いたのかという疑問に対するカニグズバーグの答えでもあります。本の表紙にはレオナルドによるサライと思われる美しい若者の横顔のデッサンが使われていますし、レオナルドとサライが同性愛関係にあったのではということはよく指摘されていることですが、カニグズバーグはレオナルドがサライを必要としたのはそれだけの理由ではないと、作中でミラノ公妃ベアトリチェにその理由を語らせています。つまり、「レオナルドは自分に欠けているものをサライから得るために彼を必要としたのだ」と。そして、それはすべて偉大な芸術に必要なものであると。カニグズバーグはそれを芸術における”ワイルド”な要素であると言っています。すべての偉大な芸術にはワイルドな要素があるのだと。
 このことを、ベアトリチェはサライに語っています。これが、ひとつの答えですが、もうひとつの答えのほうは、ミラノ公妃ベアトリチェにあると作者は言っています。カニグズバーグはベアトリチェのことを、そんなに器量はよくないが、愛嬌があって機知に富んでいて、とても周囲の者達に愛される魅力的な人物として描いています。それに比べて、姉のイザベラ・デステのほうは、器量はよかったが、虚栄心と自己愛が強い退屈な女性として描かれています。史実はどうだったかは、私にはわかりませんが、このイザベラの描かれ方は、物語としてはたいへんおもしろいのですが、ちょっと気の毒な気もします。というのも、イザベラの肖像と言われるレオナルドの手による有名なデッサンが残されていて、この物語でもそのデッサンのことが、レオナルドは何故そのデッサンに色をつけなかったのかという説明(つまり、イザベラにあまり魅力を感じなかったため)とともに出てくるのですが、そういう意地悪い見方で紹介されている当のデッサンを先入観なしに見てみると、これが中々味があってよいのです。レオナルドの繊細なタッチで描き込まれた手や横顔などは見応えがあるし、私には完成されたタブロー作品にも負けない興味深い趣のある作品に仕上がっていると思います。作中では、レオナルドはイザベラの中年にさしかかった徴候を容赦なく描いたと否定的に紹介されていますが、私には、レオナルドの他の作品に比べて、例えば、カニグズバーグによって、ジョコンダ婦人の中に好きだったベアトリチェの面影を見て、彼女の肖像を描いたと説明されている「モナ・リザ」(これが最初の問いの答えです)の神秘性、中性性に比べて、そこには、生身の女性が描かれている気がするのです。
 でも、この物語で語られているベアトリチェとイザベラを比べてどちらが魅力的かと問われれば、それはもちろんベアトリチェなんですが、それはそれとして、「イザベラ・デステの肖像」のデッサンの素晴らしさは、この物語の解釈とは関係なく存在するように思われます。


 ※4月10日の拙記事「ダ・ヴィンチとミケランジェロ」よかったら参照してください。

※よかったら、gooブログのほうも訪問してみてください。

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