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~長新太さんのことつれづれ~

 長新太さんの訃報を聞いてから、長さんの絵本や著作などをあらためて見直したりしてみて感じたことをつれづれに書いてみようと思う。

 2002年11月21日発行の「別冊太陽 絵本の作家たちⅠ」のインタビューより、少し引用してみます。

 「ナンセンスだからといって、ひとりよがりじゃいけない」と言った後、絵本の表現の普遍性について聞かれて、

 ここより落ちると非常に安っぽくなっちゃうし、逆に上へ行くとひとりよがりになる、そういう非常に細い境界みたいなのがあって。そのへんで、ぎりぎりやってるのがいいんじゃないかしらね。

 表現の課程での変化についての質問に対して

 一番はじめ考える時は、当然これは通過しないだろうっていう、かなり過激なことを考えます。たとえば原石というのがあって、それをだんだん研磨して宝石にすることを考えると、初めの原石がものすごくいいものじゃないといけないということがあって。その原石にあたるのが非常に過激なものであって、それをだんだんけずってく段階で、さっき言った普遍性みたいなものがちゃんと出てきて、それで収まるんですけどね。初めっからある程度の宝石の形になってるものから始めると、かなりゆるいものができちゃうって感じがある。ただ、ほんとの宝石になるちょっと前の段階で出したいと思うこともある。でもそれは自費出版ならいいけど、プロとしやる場合はちょっとよくないんじゃないかなあ、と思ったりしますけど。       
                              
                         (「別冊太陽 絵本の作家たちⅠ」 長新太インタビューより)

 この辺り、長新太さんの創作のスタンスが、かなりよくわかる発言だと思う。創作における「非常に細い境界」への人一倍のこだわりをその作品の全てから受ける。そして、「ほんとの宝石になるちょっと前の段階で出したいと思うこともある。」という発言も、彼の作品から受ける”引き算の魅力”に通じる発言だと思う。長新太さんの影響を受けた作家は多いと思うが、長新太さんのようにその表現から過激さと同時にストイックさと洒脱さとでもいったものを感じさせる人は余りいない。それはこれらの発言に垣間見られる彼の表現や絵への拘りによるものだという気がする。そこから、あの過激だけれどどこか観る者に静謐ささえ感じさせる絵が生まれていたのだと思う。そのようなストイックさ、ダンディズムとでも呼びたいような姿勢は、若い世代からはなかなか感じられない資質だ。 
 
 ところで、長新太さんの作品によく登場するもののひとつにヘビがあるが、そんなヘビの出てくる作品のなかでも、「かえるのひこうせん」のヘビは私にとって一番インパクトが強い。なんかこのヘビは性質の悪さ加減が際だっている。そしてヘビ自身はその自分の性質の悪さに気付いていないというところが余計に始末に終えない。この作品は、たぶん本人の経験が反映されているような感じで、長新太さんの作品中では比較的分かりやすい部類に入ると思うが、そんな非常に困った性質のひと(ヘビ)を描いてもユーモアを持って描くところが彼の真骨頂だと思う。そしてそのヘビに泣かされるかえるくんには本当に同情せずにはいられなくなる。

 次は、”マンガどうわ”と題された「なんじゃもんじゃ博士」(ハラハラ編、ドキドキ編)について。(福音館書店の雑誌「母の友」に1985年の4月号から2002年12月号まで掲載された作品を二冊にまとめたものです。)なんじゃもんじゃ博士と博士の分身のようなゾウアザラシの奇想天外な冒険の旅の物語が2ページずつ完結の”マンガどうわ”になって、これぞ長新太ワールドと言うしかない世界です。私たちは、 「なんじゃこりゃー!」と言いながらただただそのふしぎな世界に遊べばいいだけなのです。その”ナンセンスロードムービー”とでも呼びたいような作品を読んでいるうちに、自然と癒されるような感じを受けるのは、あのかなりの拘りから生まれていた絵によるところが大きいと思います。

 一体、あのような長さんの表現の資質はどこから生まれたものだろうか。徹底したナンセンスへの拘りと、あの詩情あふれるユーモアは。
 私は、その拘りは上記に引用したインタビューの最初で語られている戦争の体験から生まれてきたもののように思う。戦争という、愚かさ、悲惨さ、無意味さの過剰を知っているからこそ、あの表現における「非常に細い境界」をはずれないバランス感覚や、生涯を通してのナンセンスへの拘りが生まれたのではないだろうか。過激さと静謐さ、繊細さが同居している不思議な絵を見ているとそんなことを考えさせられる。

 

かえるのひこうせん
長 新太 / 長 新太さく / 長 新太さく
佼成出版社 (1979.3)
通常2??3日以内に発送します。

 
なんじゃもんじゃ博士 全2巻

福音館書店 (N/A)
この本は現在お取り扱いできません。

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シンプルな絵本~「あおくんときいろちゃん」「ペツェッティーノ」

 最近、次男に寝る前に読む絵本を私が三冊くらい選んだ中から、「どれにする?」と聞いたところ、彼が選んだのはレオ・レオニの「あおくんときいろちゃん」だった。以前に、シンプルさの極致のようなこの絵本が、子どもにわかってもらえるかなあと思って読んだことがあったが、意外にすんなりと気に入ってもらえたので、子どものよいものをわかる能力をあなどってはいけないというのが、私のうれしい感想だったのですが。(勿論、日々の生活では、「それ何?」って言いたいようなアニメや漫画もしっかり見たりしていますが、そういう時は横で、「お母さんあんまりこういうのは好きじゃないなー」と呟いたりして抵抗しているのですが・・。)
 この絵本は、レオ・レオニがアトリエに訪れた孫のために、画用紙に絵具で即興で作ったおはなしが元になっています。絵具で描かれた青いまるのあおくんと、黄色いまるのきいろちゃんは、いちばんのなかよしですが、あるひのこと、まちかどでばったりであったのがうれしくてうれしくて、ふたりともみどりになってしまうというおはなしです。このシンプルさ、シンプルだけど、それが絵本になって私たちに差し出されると、そのシンプルさで表現されたものの深さに、私たちは驚き、静かな感動を覚えます。

 「あおくんときいろちゃん」を少し複雑にしたようなおはなしに、 「ペツェッティーノ」(レオ・レオニ) があります。このおはなしは、副題に「じぶんを みつけた ぶぶんひんの はなし」とついているように、なかなか哲学的な内容です。ちいさいペツェッティーノは、じぶんのことを、おおきなだれかのぶぶんひんなんだろうと思って、そのことを確かめようとたびにでますが、だれもペツェッティーノのことを、じぶんのぶぶんひんだとはいってくれません。さいごにであった、かしこいやつにいわれていった「こなごなじま」で、かれはつかれはてて、こなごなになってしまいます。そして、やっとペツェッティーノにもわかりました・・・

 一時期、レオ・レオニの絵本ばかり集めていたことがあって、(たぶんわが家の絵本のなかで、レオ・レオニの絵本は一番冊数が多い、)そんな彼の絵本のなかでも、この「ペツェッティーノ」は絵も可愛いわけではないし、主人公のペツェッティーノはオレンジ色の角が丸い四角に描かれてますし、彼がであういろいろなやつたちも、いろいろな色のちいさい四角の集合体として描かれているだけです。この絵本はおもしろいけれど、子どもには手に取ってもらえないだろうと思った絵本でした。だから、たくさんある彼の絵本の中から、子どもがこの絵本を読んでと言って選んだときは、正直びっくりしました。「ほんとうに これでいいの?」と念を押したくらいです。内心ではとてもうれしかったのですが。

 レオ・レオニは、「スイミー」が小学校の国語の教科書に取り上げられたりして、その名前は日本でもよく知られていると思いますが、彼のたくさんの著作の中から、子どもが選ぶ絵本を見てみると、案外、親が望むちょっと教訓的な内容の絵本や、かわいい絵のとっつきやすい絵本より、こういうシンプルでも深く考えさせられる絵本が選ばれるのを見ると、絵本の表現ということについて、深く考えさせられます。

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あおくんときいろちゃん
藤田 圭雄 / Lionni Leo
至光社 (1979)
通常24時間以内に発送します。

 
 
ペツェッティーノ
谷川 俊太郎 / 〔谷川 俊太郎著〕 / 谷川 俊太郎著 / Lionni Leo
好学社 (1978)
通常2~3日以内に発送します。

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熊川哲也さんのこと

 先日、念願だった熊川哲也さん率いるKバレエ カンパニーの舞台(『白鳥の湖』)を観ることができた。元々、ダンス全般観るのは好きなのですが、地方に住んでいると中々こういう本格的な古典全幕バレエを観る機会は無いので、そんなにいい席は取れなかったのですが、堪能させてもらいました。舞台美術や衣裳も素晴らしくて、芸術監督熊川哲也の鋭く繊細な美意識が細部にまで感じられました。勿論、熊川さんのダンスはスペシャルでした。カーテンコールでは、観客殆ど総立ちのスタンディングオベーションに何度も何度も答えている姿が印象的でした。観客のその反応は、お世辞や形式的なものではなく心からの感動の表現として自然に出てきたものでした。
 
 私が熊川哲也の名前を初めて知ったのは、彼がゴールド・メダルを受賞した’89ローザンヌ国際バレエ・コンクールがNHKの教育テレビで放映されたのを偶然見た時です。私がその番組を観ていたのは、その番組の解説をしていた、名前は忘れましたが、たぶんその世界では有名なフランス人の女性の解説者の毒舌ぶりがおもしろかったためで、さすがフランス人とある意味感心しながら、彼女の解説を聞きたくて、その長い番組を最後まで観てしまったのです。コンクールを観たことのある方ならご存知と思いますが、コンクールはクラシックの部門と創作ダンスの部門に分かれていて、クラシックの部門は、そこそこ彼女に誉められるひともいたのですが、創作ダンスの部門では、それこそ彼女の毒舌が冴えわたって、「これはひどいですね」 「全然だめですね」 「創作ダンスというものが全然わかっていませんね」 などというコメントが続いて、殆どのひとがばっさばっさと切られていったのですが、その彼女が、最後に熊川さんが登場する前に、「皆さん、彼のダンスを観てください。創作ダンスとはこういうものです。」みたいなことを言ったのです。私は彼女のそのコメントにびっくりして、そして熊川さんの創作ダンスを見て、ーピエロの扮装でのダンスでしたが―その大胆かつ豊かな表現力に感動したのです。たぶん、その時17歳くらいだったと思います。フィギュアスケートの伊藤みどりなどを見てもテクニックはあっても表現力はいまひとつというのが日本人のイメージだったので、その時の彼のダンスには本当にびっくりしました。今でも時々、そのコンクールの様子がビデオで紹介されたりするんですが、大体クラシックダンスのほうが使われていて、私が感動した創作ダンスのほうは観る機会が無いのが残念なんですが、今でもその時の鮮烈なイメージが頭の中に残っています。こんな日本人が出て来たんだという感慨とともに。その後の、活躍ぶりは、皆さんもご存知のとおりですが、偶然とは言え、あのコンクールで熊川哲也というバレエ界のスターが誕生した瞬間を目撃したことは、私の中で、密かに自慢すべきこととなっています。同じ時代に生きていてよかったと思うような芸術家のひとりです。そして、あの日本人離れした表現力がどうやって身に付いたのかその秘密を知りたい気がします。

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