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阿修羅像の貌~奈良、失われたもの、変わらないもの

 子どもが修学旅行で奈良の方へ行って来たので、奈良について書いてみたいと思う。
 主に仏像を観るために、奈良には何度か行った。イタリアなどと比べるとちょっとした暇があれば行けるので、夜行で出かけて、夜行で帰って来るようなハードスケジュールで、旅行の間中、目一杯歩き回り、足にマメができて足の指にテーピングしながら歩き回ったこともあった。奈良のお寺の仏像との出会いは、学生時代の奈良・京都への研修旅行だった。その旅行から帰って来て以来、奈良のお寺や仏像の素晴らしさのとりこになった。イタリアに行って、その気が遠くなるほどの文化遺産を見るにつけ、「日本でこれに匹敵するのは何か」と考えた時に私が思い浮かべたのが、奈良のお寺にある仏像達である。「ああ、日本にはあれがあるじゃないか」と。

 東大寺の三月堂の日光・月光菩薩、戒壇院の四天王像、新薬師寺の十二神将像、薬師寺の日光・月光菩薩像、そして、法隆寺の百済観音像などなど。そして、お寺も、京都のお寺に比べると、大陸的で大らかで、心が開けていくような印象を受ける。法隆寺の建築の素晴らしさ、薬師寺の東塔の風雪を経た美しさなど挙げていけばきりがないが、東大寺などもあんなに有名なお寺なのに、俗っぽさがない。全ての建物が凛とした美しさをたたえているのは、むかしのひとたちの志の高さによるのではないだろうかと思う。

 ある時、法隆寺を訪ねた時のこと、コインロッカーに荷物を預ける時間も惜しんでバスに乗ったので、大きな旅の荷物を抱えたままお寺の門をくぐってしまったことがあった。どこかに荷物を預けるところぐらいあるだろうと高をくくっていたのだが、さすが法隆寺、そんなものは全く見当たらず、困ってしまった私は、図々しくも寺務所に行って、荷物を預かってもらえないかと頼んだのだった。そんなことを頼みにくるひとはあまりいないらしく、とまどわれたのだが、預かってもらえることになって、寺内を身軽になって回っていると、大宝蔵殿のところで寺務所で荷物を預かってくれたひとが私に話しかけてきた。私が、百済観音のような現代的とも言える仏像を感心して見ていたのに気付いたのか、「あなたは、美術として仏様を見るからそういうすーっとした姿の仏様が好きのようだが、私達は信仰の対象として見ているので、こういうふっくらした姿の仏様のほうが好きです。」と言って指されたのが夢違観音と言うふっくらしたお顔の小さな仏様だった。(※夢違観音は悪夢を吉夢に変えてくれると言われている有名な仏様です。)それを聞いて、ああ、これらの仏像は今でも信仰の対象なんだと、今更ながらに当たり前のことに気付かされた出来事でしたが。

 今でこそ仏教について惹かれるものを感じている私ですが、当時の私は美的対象としてしか仏像を見ていなかったような気がします。でも、仏像を見るという行為にも信仰につながる部分はあると思いますが。
 そんな私が、奈良へ行ったら必ず見なければと思っていたのが、興福寺の国宝館にある阿修羅の像でした。阿修羅像は少年のようなほっそりした体つきに、眉をひそめた愁いのある顔をしており、その顔が夭折した美人女優の夏目雅子に似ていると言われていました。今回、阿修羅像の顔が表紙になっている本を引っ張り出して見てみたのだけれど、やっぱりびっくりするくらい彼女に似ていました。日本人の美意識の琴線に触れるような繊細なお貌とでも言えばいいのでしょうか。側面のふたつの顔も六本の腕も造形的に何の破綻もなく自然に造られています。天平時代の作と伝えられているこの像の顔に見られる現代性を見ていると、日本人の美的感性はそんなに変ってないんじゃないだろうかという気がしてきます。こんなことばかり言っていると、また「仏像は拝むものです」とやんわりとさとされそうな気がしますが。余談ですが、夏目雅子似の友人がいるのですが、彼女の顔も興福寺の阿修羅に似ています。

 ところで、仏像を見ることの他にも奈良に行きたい理由があった。それは、学生時代に旅行した際の、いくつかの場所の記憶が、もう一度訪ねたい風景として私の頭のなかにずっと残っていたのだ。最初の旅行はちょうど二月の終わりごろで、春の初めのなんとも言えない空気を感じさせる時季だったので、一層強い印象を受けたのかもしれない。”由緒正しい春の風景”とでも言ったらいいのだろうか。
 それらの場所はどれも夢のなかのようにぼんやりとしていて、はっきりとここですという確かな記憶は残っていないのですが。最初の旅行から十年ぐらい後に再び奈良を訪れた時、私は曖昧な記憶をたどりながらそれらの風景を捜した。まず、東大寺の二月堂から下ってくる参道―私の記憶のなかでは土と芝生の坂道を何度も下った記憶が残っていた―に行ってみたが、何度うろうろしても石畳の整備された参道しか見当たらなかった。そして、飛鳥が一望できる甘橿丘へ登る遊歩道も二回目に行った時は、すっかり整備されていて、記憶のなかの、由緒はあるけれどそこら辺にある丘と変わりないような親しみやすさを感じた風景は失われていた。そして日本最古の道と言われる山の辺の道のどこかと記憶されている場所―茶店が近くにあって、畑のなかの道沿いに石仏がたくさんあったような場所を捜して、天理から桜井まで歩いたのだが、ここだと思うような場所を見つけることはできなかった。夢と現実がごっちゃになって、現実にはない場所の記憶が残ってしまっていたのかもしれない。でも、失われた風景、変わらずに残っているものの全てがごっちゃになって、私の記憶のなかの奈良を形作っている。
 
 ちょっと前に、法隆寺の門前に最後まで残っていた食堂が、強制的に撤去されたというニュースを見たが、昔、そこにあった古い食堂で丼物の昼食を食べた記憶も懐かしい思い出として残っている。そんな食堂にも風情があったのだが、二回目に行った時にはもう跡形もなかった。

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スカボロー・フェア~サイモン&ガーファンクル

 サイモン&ガーファンクルの安いCDを生協のカタログで見つけて購入した。買った理由は、安かったからですが。以来、ずっと聴き続けている。難点は、歌詞カードがついてないことだ。彼らの、というよりポール・サイモンの詩の素晴らしさを確認することができないのが残念。有名な曲は、ネットで検索すれば調べられるが・・・。

 CDを買う前に、図書館で借りて読んだ本(「ピーターラビットの謎」キリスト教図像学の招待/益田朋幸・著/東京書籍)のなかに、「スカボロー・フェア」のことが出てきたことが心にひっかかっていたこともあった。この曲で繰り返される四つのハーブ、「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」は、”死者に捧げられるフォークロアを持ち、死のイメージがある”と説明されていたのだ。

 ”死のイメージ”。ということは、彼らは、そういうことも知ったうえで、イギリス民謡「スカボロー・フェア」に、反戦的な意味合いを持たせる歌詞を加えたのだろうか。

 前掲書で、原曲の「スカボロー・フェア」は”マザーグースを踏まえた、求愛の歌、いわゆる相聞歌”と説明されている。原曲の歌詞を見ていくと、男性→女性、女性→男性へとそれぞれ難題をなげかけている。

 例えば、「縫い目も針目もない麻のシャツをつくってほしい」とか、
      「海水と浜の間に1エーカーの土地を見つけてください」とか、
      「皮でできた鎌で刈り入れてほしい」とかのように。

 その後に、「そうすれば、彼女は私の本当の恋人になるでしょう」という言葉が続く。

 そして、サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」には、2番から原曲の間に反戦的な別の歌詞が入ってくる。最も特徴的な歌詞は「将軍は兵士に殺せと命じる」、「とうに忘れてしまった理由のために戦えと」ですが、他にも「銀の涙で墓石を洗う」などの言葉も出てきます。そして繰り返されるフレーズ、呪文のような四つのハーブの名前、「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」にこめられた死のイメージ。(どちらかがすでに死んでしまっているとも考えられる。)そして、最後の「そうすれば、彼女は私の本当の恋人になるでしょう」には、「いやなりはしない」という言葉をくっつけると、この曲の言おうとするところがはっきりする。 

 彼らが、この曲にベトナム反戦の意味をこめたとしたら、「スカボローの市に言ったなら、そこに住んでいるひとによろしくと伝えてほしい」と言っている男の人は、(理由のわからない)戦争で既に死んでしまっていると考えられる。

 だから1966年に発表されたこの曲は、2005年の今においても充分なインパクトで私たちの心に響いてくるのだと思う。

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ダ・ヴィンチとミケランジェロ

 ローマ教皇が亡くなられて、世界中から注目されているバチカンのサン・ピエトロ大聖堂内にミケランジェロ作の「ピエタ」がある。ピエタとは”哀れみ”という意味のイタリア語ですが、キリスト教美術では、十字架から降ろされたイエスの遺体を抱いて悲しむ聖母マリアの像のことです。ミケランジェロは、生涯に四つのピエタ像を制作していますが、なかでもバチカンにあるピエタ像が一番有名で、唯一の完成作です。バチカンの「ピエタ」の聖母マリアは、乙女のように若く美しく造られています。でも、私が紹介したいのは、バチカンの「ピエタ」ではなく、ミラノのスフォルチェスコ城美術館にある、ミケランジェロの未完の遺作「ロンダニーニのピエタ」のほうです。

 この作品は、ミラノのスフォルチェスコ城というお城の美術館の一番奥の部屋にあります。私は、その作品に辿りついた時、自分でもどうしてなのかわからないけれど涙があふれ出して止まらなくなってしまったのです。後にも先にも、絵や彫刻を見て泣いたのはこの時一回だけです。

 例えば、ゴッホの絵からは、ゴッホの気配のようなものを感じたりするんですが、美術館を回っていて、近くにゴッホの絵があると何となくその気配が感じられるんです。ゴッホの絵の妖気とでも言ったらいいのか、「近くにゴッホがある!」というのがわかるんです。そのことを「すごい」とは思うけれど、絵を見て泣いたりはしない。

 そして、ダ・ヴィンチの絵画。私は、画集で見ていた頃は、ミケランジェロよりダ・ヴィンチのほうが好きでした。ダ・ヴィンチがミケランジェロの作品を下に見ていたように、私もミケランジェロの作品は、マッチョ過ぎて、過剰で、ダサイと思っていたのです。それに比べて、ダ・ヴィンチの作品のなんて優雅で貴族的なことか、と思っていました。でも、ルーブルで「モナリザ」を見ても、ウフィッツイ美術館にある、美しい天使の絵を見ても、ミケランジェロの作品(「ロンダニーニのピエタ」)に接した時の涙を流すような感覚は沸いては来なかった。なんとなく、絵がすーっ、すーっと通り過ぎていくだけの感じとでも言ったらいいのだろうか、作品の繊細さなどには感心したりはするのだけれど、それ以上の気持ちは沸いて来なかった。天才が、さらーっと仕上げたとでも言ったらいいような淡白な作品という感想以上のものが・・・。どの作品も有名過ぎて、その作品を前にしても、「これは知っている」という確認作業に終わってしまうからだろうか・・・。

 例えば、あのバルセロナにあるサグラダ・ファミリア教会を見た時も、私には、写真でそれを最初に見た時以上の感動が沸いて来なかった。何の予備知識もなく、この建築に突然出遭ったとしたら、もっと違っただろうかと、その時ふと思ったのですが、それと同じことをダ・ヴィンチの作品に接した時にも思ったのですが。

 ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」に接した時の感覚を、言葉ではうまく表現できないのですが、天才ミケランジェロがその生涯の最後に到達した彼の精神の苦闘の軌跡がこの作品に全て結実しているとでも言ったらいいのでしょうか。たぶん、手先や目なども不自由になりながらの制作だったのでしょう。そのことによって、却って全盛期の完成作品には見られない精神性が備わっているのです。ダ・ヴィンチによって、「解剖学にとらわれ過ぎている」と批判されていたミケランジェロですが、彼が人生の最後に到達したこの作品の精神性は、レオナルドの到達し得なかった地点だと思う。私はその時から、ミケランジェロ派になった。

 俗っぽい言い方をすると、ダ・ヴィンチの作品は、美男だったと伝えられる彼の容姿のように、誰にでもさっとわかるが、深みに欠ける。醜男だったと伝えられるミケランジェロの作品からは、彼の精神の悩みが感じられる。そして、最後の作品の精神性において、彼はダ・ヴィンチを超えた。醜男の芸術はそれでいいのだ!などと、大天才ミケランジェロに対して失礼なことを考えていた私ですが。

 ミラノに行かれる方は、是非、この作品を見ることをお薦めします。画集ではわからない作品の本質や価値は、実際にその作品と同じ空間に身を置いてみないとわからないものだというのが私の経験から言えることです。

 さて、ミケランジェロの他の作品についても少しだけ書いてみたい。次のローマ教皇の選挙(コンクラーベ)が行われることがニュースになったサン・ピエトロ寺院にあるシスティナ礼拝堂には、彼の最も有名な絵画作品(天井画と壁画)がありますが、その天井画のなかに、ミケランジェロが描いたもっとも可憐な乙女の像があります。「デルフォイの巫女」と呼ばれるその乙女の像は、男性美と筋肉美の崇拝者のような彼が描いた天井画の像の中で異彩を放っていて、見るものをほっとさせてくれます。もし、これからこの天井画を見る機会のある人は、彼女の像を捜してみてください。

 ベニスでだったと思いますが、イタリア人のガイドがある天井画の説明をする時、「世界で最も美しい天井画は、バチカンのシスティナ礼拝堂にあります」と言っていたのを思い出しますが、現代のイタリア人にとってもミケランジェロの作品は彼らのプライドの最も重要な根拠なんだなあと思いましたが、私は、ダ・ヴィンチとの比較で、美男と醜男の芸術なんてことを考えてしまいました。ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」の素晴らしさを多くのひとに知ってもらいたくてこの文章を書いたのですが。

 ※「ロンダニーニのピエタ」のある「スフォルチェスコ城美術館」はミラノのPiazza Castelloにあります。ドゥオモから歩いて行ける距離にありますので、機会のあるかたは是非訪れてみてください。

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「りすのナトキンのおはなし」~ピーター・ラビットの絵本10

 今回、紹介するのは、1902年に出版されて以来、世界中で愛され続けているvery famousな絵本「ピーター・ラビットの絵本」シリーズより、「りすのナトキンのおはなし」(ビアトリクス・ポター 作・絵/石井桃子 訳)です。

 「ピーター・ラビット」と言うと、そのキャラクターは世界中で認知されているわりには、おはなしを読んだひとは少ないのではないでしょうか。かく言う私もそうだったのですが・・・。日本では、マヨネーズのCMに出てくるうさぎということしか知らないひとも多いのではないでしょうか。
 私が持っているのは、「愛蔵版 ピーター・ラビット全おはなし集」という全部のおはなしが一冊にまとめられて入っている大型の絵本で、(子どもが自分で読むのには、おはなし毎に製本されている小さい本のほうが読み易いと思いますが)ポターの絵の素晴らしさや色彩の美しさは、絵が大きい分「愛蔵版」のほうがよくわかります。ポター本人は、お嬢さんで、気難しいところもあるひとだったらしいですが、彼女の絵からは、彼女の自然を観察する眼の確かさを知ることができます。この絵本に出てくる動物や植物は、それらがいつも身近にあって、それらをよく観察した者でないと描けないリアルさにあふれてます。そして、愛らしい。愛らしくないキツネやアナグマなども出てきますが、大体の動物が愛らしく描かれています。その愛らしさは人間の子どもの愛らしさにも共通のものだと思います。この絵本がいつまでも色褪せないのは、この自然観察に裏打ちされた絵のすばらしさにあると思います。

 さてそんなおはなしのなかから、「りすのナトキンのおはなし」を選んだのは、うちの次男の一番のお気に入りということもあるのですが、このおはなしの主人公ナトキンの”なまいきさ、性懲りの無さ”に、我が家の次男坊の姿を見るようで、私もこの話が一番印象にのこっているからなのです。

 みずうみのそばの森にすんでいるりすたちは、みずうみのまんなかにある島の木の実が熟すると、いかだに乗って木の実をとりにやってきます。その島は、ふくろうじまと呼ばれていて、島の中心のかしわの木に、年取ったふくろうのブラウンじいさまが住んでいて、りすたちは毎回じいさまにおみやげを持ってくる代わりに、島の木の実を取ることを許してもらっているのでした。そんななかナトキンだけは、ブラウンじいさまに毎回なぞなぞを出したり、木の実も取らずに遊んでいました。そして、そんなことを続けていたナトキンのことを、無視していたブラウンじいさまでしたが、りすたちが島にくるさいごの日、6日めにナトキンがおなじようになぞかけをして、悪ふざけをエスカレートさせたとき、ブラウンじいさまはとつぜんナトキンにとびかかりいえのなかにつれていってしっぽをもってかわをはごうとしたのです。ナトキン絶体絶命だったのですが、ちからいっぱいあばれたため、しっぽがぷっつりきれてナトキンはなんとかにげだしました。よかったね、ナトキン食べられなくて、というおはなしですが。

 だから言ったでしょうという気がする結果なのですが、子どもというのは痛い目にあわないとわからない、というところがある気がします。「だから言ったでしょう」というのは、いつも私が子ども相手に思っていることだからです。でも、わが家のナトキンは”悪ふざけやいたずらは程ほどにしないと自分の身を危険にさらすことになりかねない(罰をうける)”なんていう教訓的な内容よりも、ナトキンのかけるなぞなぞや、ナトキンが毎回いろんな木の実をつかってするあそびのほうに魅力を感じているに違いないと思ったりもするのですが。

 このおはなしのラストは、しりきれしっぽと呼ばれているナトキンが森のなかでほかのりすからなぞをかけられてからかわれると、そのあいてにぼうをぶつけたり、ふくろう語でわるくちを言ったりという相変わらずの負けん気の強さが描かれていますが、とりあえずナトキンには「いのちをおとさなくてよかったね」と思わずにはいられません。

 

りすのナトキンのおはなし(ピーターラビットの絵本 10)
ビアトリクス・ポターさく・え・いしいももこやく

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