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絵本「チャーリー・ブラウンなぜなんだい?」~ライナスの勇気~

 スヌーピーの「ピーナッツ」シリーズの作者チャールズ・M・シュルツに、心理学用語にもなっている「ライナスの毛布」で有名な、あのライナスが主人公になっている絵本がある。
 副題にーともだちがおもい病気になったときーと付いているように、ライナスやチャーリー・ブラウンのクラスメートのジャニスが白血病になってしまうおはなしです。ジャニスの入院している病院へおみまいにいったチャーリー・ブラウンとライナスは、ジャニスからそのことを聞かされた病院からの帰り道、ライナスがチャーリー・ブラウンに「どうして、チャーリー・ブラウン、なぜなんだい?」と問いかけます。そのライナスの問いかけた言葉、「チャーリー・ブラウンなぜなんだい?」がこの絵本の題名となっています。
 この、シーンは、簡潔な表現ですが、とても適確にふたりの気持ちが表現されています。

 これまでの、まだみじかい人生のなかでも、ふたりにはいろいろなことがありました。しかし、こんな深刻なことに面とむかったのは、はじめてでした。

 という風にふたりの受けたショックが語られた後で、ライナスは
  
 「どうして、チャーリー・ブラウン、なぜなんだい?」
  
 とチャーリー・ブラウンに問いかけます。

 それに対して

 チャーリー・ブラウンはこたえませんでした。
 ライナスは、ゆっくりあるいていきました。

 という言葉が続きます。
 このシーンを読んで思ったことは、このふたり、”チャーリーとライナスはなんておとななんだろう”ということです。ライナスは、自分の問いにチャーリーが答えられないことはわかってます。わかっていながらもそう問わずにはいられないライナスの気持ち、それに対して、安直な言葉を返すことはせず、ただ黙っていたチャーリー、このふたりのやりとりからは、そんなふたりの誠実さがつたわってきます。そしてそれは、作者シュルツの誠実さなのだろうと思います。

 そして、この絵本でのライナスは、私たちに素晴らしい勇気を見せてくれます。お姉さんのルーシーのジャニスに対する意地悪な言葉に対して決然と言い返したりしてジャニスのことをかばい続けるライナスですが、退院したジャニスが化学療法で髪が抜けてしまって帽子をかぶって登校した時、ジャニスの帽子を取りあげてからかったいじめっ子にも決然とつめよります。

  「ジャニスは白血病なんだぞ、このばかやろう。がんなんだぞ。・・・・・・・・・・・・・・・・あの子は病気をなおすために化学療法をうけて、それでかみの毛がぬけちゃったんだぞ。それがうれしいのかよ。あの子とおなじめにあってみたいか、よくかんがえてみろ。いままで頭をつかってなにかかんがえたことなんか、ないんだろう」

 このライナスの言葉には何度読んでも泣かされます。あの”安心毛布を手放せない”ライナスの勇気に感動させられるのです。
 ジャニスの好きなぶらんこを小道具にした物語のラストもとっても爽やかです。

 
 ところで、我が家の次男坊のライナスの毛布はピンクの花柄のバスタオルです。もうぼろぼろにすりきれていて、それが花柄だったということはほとんどわからなくなっていまして、勿論洗濯機は使えません。それが無くても眠れるようになった時に、もういいだろうと思って隠しておいたんですが、つい最近また「あのピンクのタオルは?」と尋ねられて、私がてっきり捨てたと思ってぼろぼろ泣き出してしまったので、捨ててないよ~と言って出さざるをえませんでした。ふーっ、捨てなくて良かったという感じでした。
 そう言えば、もっとちいさかったころは、ともだちが遊びに来たときにそのタオルのことを、「ほら~、このピンクのタオル、あったかくてやわらかいよ~っ」と自慢そうに紹介してたのを思い出します。あなたのお子さん、あるいはあなたの「ライナスの毛布」は何ですか?
 
 あと、子ども(男の子特有でしょうか?)によく見られる行動をもうひとつあげると、NHKのアニメ「おじゃる丸」に出てくる男の子かずま君(漢字忘れた)が好きな「ただの石コレクション」があります。特別に変わった石やきれいな石ではなくて、ほんとうに道路工事で使われるようなただの石をうれしそうに拾ってくるのです。漫画になるくらいだから、かなりの子どもたちがやっていることだと思いますが・・・。最近は、減りましたが、まだ時々拾ってきます。

 絵本の話にもどりますと、この絵本のまえがきをポール・ニューマンが書いています。そして、白血病という重いテーマを、こういう風に軽やかに爽やかさも感じさせて表現できる作者のチャールズ・M・シュルツの力量には只々脱帽するのみです。
 
 

チャーリー・ブラウンなぜなんだい?
チャールズ・M・シュルツ作・細谷亮太訳

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思い出しましたージョンのこと

「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイアモンド」 (「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」より)
 「ルーシーはダイアモンドを持って空にいる 」

 映画「アイ・アム・サム」でビートルズの曲を聴いて、久しぶりにジョンのことを色々思い出しました。

 ジョン・レノンが、ニューヨークの自宅ダコタアパート前で殺されたのは、1980年12月8日のことでした。ヨーコの目の前で、狂信的なファンの銃弾に倒れたと報道されました。
 当時の私にとって、音楽(ロック)、ビートルズ、ジョン・レノン&ヨーコが私のなかで占めていた割合は、今と比べようが無いほど大きかったのでかなりのショックでした。
 「なんで、ジョンが?」 「なんでジョン・レノンが殺されなければならないんだろう。」 と、しばらく反芻し続けた。
 で、腹立たしく思いながらも、何とか自分を納得させるために考えたことが、殺されたのは、ミック・ジャガーでもポール・マッカートニーでも無くジョン・レノンだったということ。このことが、ジョンの存在の大きさを意味しているのだと思って無理矢理自分を納得させた。

 死の前のジョンは、ハウスハズバンド宣言をして仕事をヨーコに任せ、自分は家事や息子ショーンの育児に専念していた期間をそろそろ終えて、ヨーコといっしょに新しいアルバムをレコーディングしたばかりでさあこれからという時期だっただけに、彼らが紡ぎ出していた新しい物語の先はもう永遠に見れないんだという深い喪失感を感じた。

 ジョンの死については、当時から今日までずっと陰謀説が消えないし、真相もわからないが、9・11のテロの後にジョンの曲「イマジン」がアメリカで放送禁止曲になったりしたことなどを考えると、現在のアメリカの体制側の人々にとっては、生きていれば最も邪魔な存在だったことは間違いない。ジョンが私たちの前から姿を消してしまった今となっては、もし、彼が生きていたらと考えてもしょうがないことかもしれない。でも、その後の世界の向かっている方向を見ると、もし、彼がいたならば、と考えてしまう。

 ビートルズ時代のジョンのファンやヨーコのことをよく思わない人たちは、彼のこの時期のライフスタイルや政治的発言などをあまりよく思ってなかったみたいなのだが、死の直前のインタビューなどを読んでも、彼がロックのスターとしてではなくひとりの人間として、そして、なによりも父親として生き直していた時期だったし、常にヨーコのことをかばっていたし、自分はもうあんまり人気が無くなって忘れられているなんて弱気な面も見せたりしていた。(あなたが人気が無いなんて冗談でしょうと思ったりしたことを覚えている。)そんなジョンの自分の弱さもさらけ出せる率直さが永遠に失われてしまった。私は何をたよりに生きていけばいいんだろうとまで思った。

 そして、今の私は音楽にあまりたくさんのことを期待しなくなった。

 9・11のテロが起きた時、大きな喪失感とともに再びジョンのことを思い出した。
 ジョンが生きていれば、そして、あの率直さで語ってくれたらとないものねだりに考えてしまった。 

  誰が言ったか思い出せませんが、彼の死について誰かがこう言っていました。
  
  ”私たちは、私たちの4番バッターを失った。”と。

  音楽とは関係のないことばかりになってしまいましたが、ふいに思い出したので書いてみました。

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「アイ・アム・サム」のビートルズ

 昨日の金曜ロードショーの映画 「アイ・アム・サム」 を観て感じたことをちょっとだけ書いてみたい。映画のストーリーについてではなく、主に、映画の全篇に挿入されていた、ビートルズの曲のことを中心に。
 
 まず、主人公のサムの子どもの名前の”ルーシー”というのが、ビートルズの曲 「ルーシー イン ザ スカイ ウイズ ダイアモンド 」から取ったものであるということ。
 この曲について、主人公サムの「この曲はドラッグについての曲なんかではなくて、ジョンが自分の子どもの描いた絵を見て作った曲なんだ。」というセリフがあった。
 また、ルーシーの靴を買いに行ったサムと彼の友だちが、帰り道、おまけにもらった風船を持って横断歩道をわたるところは、アルバム 「アビイ・ロード」のジャケット写真だった。
 
 ジョンが前衛的になったのはヨーコのせいじゃないんだ。  (正確なセリフを思い出せませんが。)
 
 とか、
 
 誰もジョージには曲が作れないと思っていたけれど、ジョージは「アビイ・ロード」で「ヒア カムズ ザ サン」という  素晴らしい曲を作った。

 とか、のセリフをサムに言わせていて、思わずくすっと笑ってしまった。「そうなんだよ」と頷きながら。
 
 (映画的には、サムがなんの脈絡もなく唐突にビートルズのことをしゃべるということによって、周りが当惑するという、サムの特異性の表現につかわれていたと思うが。)
 
 で、ビートルズの曲を聞いて思ったことは、今聞いても全然古びていないということだ。
 これが、ストーンズだったらどうだっただろう。きっと、かなり、時代を感じてしまったと思う。
 昔、「ビートルズはストーンズに比べて優等生的だからだめだ。」というちょっと上の世代の意見に、「ふーん、そうなんだ」とか思ってましたけれど、やっぱり、ビートルズと比べたらストーンズは「No2」だったですね。


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アーノルド・ローベルの絵本

 ひさしぶりに絵本の紹介をします。がまくんとかえるくんが主人公の『ふたり』シリーズで有名なアーノルド・ローベルの絵本です。このシリーズは全部で四冊出ていて、どれがいいとかは私のなかでは無くて、それぞれ全部いいですが、春ということで、『ふたりはともだち』 (アーノルド・ローベル作、 三木 卓訳、文化出版局)から「はるがきた」というおはなしを紹介します。
 
 はるになったので、かえるくんはがまくんをたずねます。かえるくんがいろいろ呼びかけてがまくんをおこそうとしますがなかなかおきてくれません。「ぼく ここに いないよ。」なんて言ったりします。なんとかげんかんまでつれていくのですが、まだねむっていたいがまくんは、5月のなかばごろにもう一かい起こしにきてくれといってまたねむってしまいます。かえるくんはがまくんのカレンダーをやぶきはじめました。がまくんがねむりはじめた11月からはじめて1月2月・・・4月まで。そして、がまくんのところへいって、5月になったからおきなよと言うんです。がまくんは、はやいなあとおもいながらもカレンダーを見たら5月なのでおきることにしました。そして、ふたりは、はるのよのなかをみにでかけました。
 
 とこんな感じのおはなしが一冊に五話ずつはいっています。
がまくんとかえるくんのやりとりはいつもこんな感じです。しっかりものでやさしいかえるくんにくらべて、がまくんはにんげん世界ならばちょっと”困ったちゃん”と言われて敬遠されかねないキャラクターかもしれません。しかし、かえるくんはそんながまくんのことをおもいやりながらやさしくフォローしています。いや、おもいやりなんていう、ちょっと上からの視線を感じさせる傲慢な感じは、ふたりの間には感じられません。もっと自然にふたりは”ともだち”というかんけいが描かれています。『ふたりはともだち』の最後のおはなし「おてがみ」に見られるようなゆっくりとした時間の流れは(かえるくんはかたつむりに手紙の配達をたのみます。)全篇に共通しています。

 もう一冊ローベルの絵本を紹介します。
 『どろんここぶた』 (アーノルド・ローベル 作、岸田衿子 訳、文化出版局)です。(次男のお気に入り絵本です。)
 主人公のこぶたが一番すきなことは、やわらかいどろんこのなかに、すわったまま、ずずずーっとしずんでいくことです。こぶたをかっているおひゃくしょうのおじさんとおばさんは、ふたりともこぶたのことをとてもかわいがっていましたが、あるあさのこと、うちじゅうの大掃除をはじめたおばさんが、こぶたのだいじなどろんこを「ここが いちばん きたないねえ」といって掃除機で吸いこんでしまったのです。こぶたはおこって、うちから逃げ出してしまいます。
 やわらかーいどろんこをさがしながら、おおきなまちまでやってきたこぶたは、どろんこと間違えてセメントのなかにずずずーっとしずんでしまいます。セメントづけになってうごけなくなったこぶたを見に、まちじゅうのひとが集まってきました。さて、こぶたはどうなったでしょうか。
 
 ラスト、無事におひゃくしょうさんのうちに帰ったこぶたは、ちょうど降ってきた雨でできたやわらかーいどろんこのなかに、満足そうにずずずーっとしずんでゆきました。
 
 よかったね、ということではなしはおしまいなのだけれど、このはなしを読んで気になるところは、こぶたがなによりだいじにしていたどろんこを掃除機で吸いこんでしまうのがおひゃくしょうのおばさんだったということだ。(このおばさんは『ルシールはうま』というおはなしでも、うまにたいして同じようなことをしてしまいます。)ローベルは女性が持っているそういう側面をよくわかっています。このおばさんも悪気があるわけではない、よかれと思ってやっていることなんですが、自分の価値観でしかものごとを見ていないので、おばさんにとってきたないものでしかないどろんこが、こぶた(子どもとおきかえてもいいとおもう)にとってどんなに大事なものかということがわからない。私たち、特に女性のほうがそういうことを平気でしてしまうということを反省させられます。

 書店のひとが言っていたのですが、ローベルの『ふたり』シリーズは、最近の子どもに受けないんだそうです。子どもは、親の考えや好みに敏感ですからね。このシリーズ、まず、大人に読んでもらいたいなと思います。

 

ふたりはともだち
アーノルド・ローベル作・三木卓訳

 
どろんここぶた
アーノルド・ローベル作・岸田衿子訳

 
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ペイントギャラリー~だれも乗っていない不思議の船~

daremonotteinaifusiginofune
「だれも乗っていない不思議の船」 by wataru
     春ですね。でも、花粉症の私としては、憂鬱な季節です。     次回は絵本を紹介しますね。

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